Tags: 霊山寺

遍路とは(44日の2)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/27

早朝6時に一番札所霊山寺に着いたボクは、近くにあるローソンに向かった。高速バスで鳴門PAにある鳴門西バス的から難波まで行き、それから南海電鉄高野線で極楽寺駅まで、そこから高野山までケーブルカーで行く予定にした。それは早朝歩きながら考えた。

霊山寺の夜明けとローソンの看板

霊山寺の夜明けとローソンの看板

予め決めてはいなかった。なにもかも。行き当たりばったり、というよりは、臨機応変、体調や天候に合わせての遍路だった。予定を決めるとそれに縛られる。しかたないことはしかたないのだろうし、と考えていた。それを考えることが出来る時間があるということが前提ではあるのだけれど。多くの遍路は時間に拘束される。そして区切り打ちをしなければならない人も多い。

何度か書いたのだけれど、遍路のスタイルにはいろいろあって、どれが一番とかどれが霊験あらたかなのかということは誰も分からないし、決められないと思う。どれも大変なことなのだ。野宿しない人たちはそれだけ宿泊代がかかる。打ち終わるまでに40万とか50万円という出費になる。

区切り打ちのひともそうだ。その金額プラス何度も四国への交通費が増える。そしてお金を貯めて休日を使い遍路をする、という生活全てが遍路になる。人生即遍路なのだ。

ツアーにしても同じだ。時間がない人、あるいは健康ということもあるだろう。人生いろいろなのだから。

遍路をしようと思うことが大切なのだろうと思う。なにもいらないし、どんな作法でもいい、その気持ちを持つことですでに8割がたは結願しているのだろうと思う。したくても出来ない人のほうが多いのだから。多くの四国八十八か所が全国にあるということはそういうことなのだろうと思う。そこで結願することも、本四国で結願することも、同じなのだと思う。

遍路とは。いろいろなワーディングでそれが語られると思う。そして遍路とは、ということを言葉にするのも簡単なのかもしれない。でも、実際、ボクは分からないでしるし、なにかがボクの中に生まれた、あるいは、消滅したなんて実感もない。

そうして、遍路する前と同じ生活をしている。精神的にも物質的にも変化していないのだ。「擬死再生」という言葉を使ったとしても、それがマジックのようにボクに起きたかというと、その気配すらない。

膝の痛みも、足に出来た豆も、もうすっかり消えてしまった。思いでも徐々に変化する。

そしてボクはなお今もすがる。線香を焚いては「南無大師遍照金剛」と唱える。般若心経を唱える日もある。そして近くのお寺に行くこともある。

擬死再生というよりも、また元に戻ったという感じなのだ。

ボクはロッピーで南海なんばまでのチケットを買った。9時17分発のバスだった。それから霊山寺に向かった。山門で一礼をして、いつものように納経をした。まるで今から打ち始めるような気持ちになった。

納経所に行きお土産を買った。納経所の方と少し話をして、結願記念のお数珠を頂いた。高野山の地図やガイドブックも頂いた。まだ7時を少し回ったところだった。ボクはそのまま高速バスの乗り場へ向かった。

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け



そして一番霊山寺へ(44日の1)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/25

上板スポーツ公園3塁側ベンチの夜は、12月、初冬の冷え込みだった。mont-bellのULアルパインダウンハハガー#3でも寒いくらいだった。使い捨てカイロを足元に入れた。シュラフカバーは結露するので出来るだけ使わないようにしていた。使わなくても済む気温だったということもあるのだけれど。

霊山寺山門の提灯

霊山寺山門の提灯

深夜に、たぶん0時を回ったころだろうか、アベックが犬の散歩にやってきた。グランドでボールを投げてそれを犬に拾わせるということを何度か繰り返していた。ボクのことに気づいてすこし驚いたようだった。そして1塁側にも同じように遍路が寝ていたのだから、2度驚いたのだろうと思った。

あるいは、毎日違う遍路が寝ているのかもしれない。もう上板は遍路の聖地となっているのかもしれない、と考えていた。四国とはいえ、安心して眠れる場所が簡単に見つかるわけではない。

散歩のアベックがいなくなると、また静寂が戻ってきた。少し寝た。次に起きたときは1時30分、そして次に目が覚めたときは2時だった。眠りは浅かった。日付が変わって、もうその日が四国最後の日になっていた、そういう興奮した気持ちもあった。

なによりも「帰れる」と思った。「やっと、終わる」と思った。

アパートに帰れば毎日風呂に入ることが出来て、そして暖かい部屋で安心して眠ることが出来る。そう思うと、そこが楽園に思えてきた。豊かさとはなんと身近にあることか、と思った。ここでそのギャップを感じることができるのも不思議なことだった。ここ、文明の国、日本にボクはいたのだから。

もう眠れなかった。寝袋からはい出して、音をたてないようにパッキングをした。いつものように。ヘッドライトも出来るだけ使わなかった。1塁側の遍路氏に遠慮したということもある。不審者として通報されるのではという懸念もあった。

パッキングを済ませると、出発した。2時30分。意味のない出発だった。早く着きすぎる・霊山寺まで6~7キロという場所だった。2時間としても5時前だ。それでも出発した。ゆっくりと歩いた。正面玄関から県道12号線に向かって歩いた。

ゆっくり歩きながら板野町に入った。羅漢のローソンのところで少し休憩した。その先のコインランドリーでも休憩した。疲れているのではなくて、時間をやり過ごした。懐かしい思い出が蘇った。あの日、板野と坂東を間違えて2駅手前で下車してしまったこと、そして霊山寺に戻ったことを思い出した。そこを歩くのは3度目となっていた。

5時、阿波川端駅着。駅のベンチに座って朝食をとった。おにぎり2個とほっとレモン。それからまたゆっくりと歩き始めた。寒い朝だった。鳴門PAの場所を確認するためにドイツ館バス停の所から高速道路の高架をくぐり、PA入り口の階段を上った。そして下りて霊山寺に向かった。

6時00分、一番札所霊山寺到着。開門前。朝は粛々と再生されているように感じた。ボクはバスチケットを買うためにローソンへ向かった。

霊山寺で昨日のろうそくを燃やす

霊山寺で昨日のろうそくを燃やす



そして一番札所霊山寺(1日目の2)

In : 1日目, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

車に乗せていただいた。
間違った板野駅から板東駅、霊山寺を目指して県道12号線を歩いている時のことだった。いきなり車が停まって「霊山寺までですか、乗って下さい」と、おじさんが助手席の窓を開けて話しかけてきた。

ボクは少し考えたのだけれど、「じゃあ、お願いします」と乗り込んだ。まだ巡礼は始まっていなかったし、きっとボクのような「板違い」をする人が多いのだろうと思っていた。

「結願して霊山寺ですか?」
「……。あ、いえ、板違いで」
「?」
「あ、板東かと思って降りたら、板野駅だったもんで、歩いていたのです」
「ああ、そうですか。じゃあ、今日からですか」
「はい、最初からこんなんで……」
「12号線を霊山寺に向かっている人はだいたい結願後にお礼参りの人が多いもので、てっきりそうかと思って……」
「すみません」

と、霊山寺の門の前まで送ってもらった。初めてのお接待が、ボクのミスからのものだったなんて、と、少しショックを受けて、そしてそのことで更に、少し緊張が増して、そしてなによりも時間は過ぎるし、迷ったことと戻るということで、疲れてしまった。

霊山寺の門前にある「門前一番街」にて遍路用品を買った。14450円で全てを揃えた。霊山寺の中にもあったということをお寺の中に入って初めて知った。どちらが良いのか分からないし、気持ち的には正装をして門をくぐりたい、ということもあるのだけれど、お寺のほうが霊験あらたかなようにも思うし…。どうなんだろう。

とにかく始まったのだ。

日曜日の朝、それも大安吉日快晴、霊山寺は賑やかだった。賑やかというよりも、少し混雑していた。ボクは緊張していたのだけれど、どうにか本堂、大師堂で納経することが出来た。読経も来る前に何度か聞いて声に出していたので、すんなりできた(と思う)。

それでも初日は門前一番街の店の人が「(1)開経偈(2)般若心経(3)十三佛真言(本堂のみ)(4)光明真言(5)大師御宝号(5)回向文を唱えて下さい」と言われたので、他の合掌禮拝、懺悔文、三帰ほかは唱えなかった。そういった余裕もなぜだかなかった。とにかく、その作法を辿ることで精一杯の一日だったように思う。般若心経以外のお経は初めて見聞きするものばかりだったので、なんだかお経というよりも、不思議な外国語のように、聞こえたのだろうし、そう思った。

いろいろなことが、一番札所霊山寺までに起きた。岡山駅からまだ5時間ほどしか過ぎてないのに、5日も6日も過ぎたように感じた。そしてボクは板野駅の方向に歩き始めた。少し前に来た方向に。

結願後にお礼参りに来たときに、ゆっくり霊山寺を見ることが出来た。どうもよく覚えていない自分がいた。それぐらい初日、一番札所は緊張もしていたのだろうし、間違ったと言うことで少し焦ってもいたのだろう。

まだ始まったばかりだった。気温も上がっていった。半そでに白衣という姿だった。
一番札所霊山寺にて
一番札所霊山寺にて、買ったばかりの金剛杖とボクの手



板野駅、板東駅、痛い間違い(1日目の1)

In : 1日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

日曜日は、本当は避けたかったのだけれど、大安だったのでこの日を出発の日とした。18日にそのまま四国入りも出来たのだけれど、やはり仏滅はなにか縁起の悪さみたいなのもを感じていた。

5時26分岡山発マリンライナー高松行きに乗った。まだ明けやらぬプラットホームは秋というよりは冬を感じさせる風が吹いてた。寒かった。ほとんど寝ていなかったので、そのことが更に体感気温を低くさせているのではないかと思った。暖房の効いた電車の中が心地良かった。すぐに眠くなったし、寝てしまった。

1時間少しで高松駅に着くということがなかなか頭の中で理解できなかった。距離感がうまく感覚として分からなかった。四国はもう少し遠い、というイメージが出来上がっていた。今、地図を見ると岡山-高松間と岡山-福山間を比較すると、直線距離で福山までのほうが遠い、そしてそれを考えると、あまり遠くないのだ、というのが実感できる。海を越えるということが、遠いというイメージになってしまっている、のかもしれない。

ほとんど寝たままに電車は6時30分過ぎに高松駅に着いた。夜は明けていて朝日が綺麗だった。快晴。そのことが緊張感を高めた。身体が浮く感じもした。

到着後、ボクはトイレを探して行った。そしてJR高徳線、徳島行き普通電車の乗り場に急いだ。6時37分発、トイレに行く暇などなかった、ということを発車した電車の中で気付いた。ボクを待つようにして電車は動きだした。ついているのかついていないのか、とにかく大安吉日、1日目は始まっていた。

電車の暖かさは、ボクの緊張とは裏腹に眠りを誘ったし、ボクはまた眠ってしまった。

そして電車は「板野」駅に着いていた。ボクはそこで目が覚めた。と、同時に電車を降りた。目的の「板東」に着いたと思ったからだ。ボクは改札を出て駅のお姉さんに聞いたのだ。「一番札所はどっちに行けば良いのでしょうか?」

駅員であるお姉さんは、恐らく、ボクが板野駅に降りたのはそこに近い札所に行くからだろうという、先入観があったのか、あるいはボクの「一番札所」という言葉をうまく聞き取れなかったのか、三番札所金泉寺の方向を教えてくれた。(それは後で分かったことなのだけれど)

ボクはその方向が一番札所霊山寺だと思って、駅員の教えてくれた方向に歩いて行った。そして駅(板東)と霊山寺との位置関係を地図で確認した。そこでボクはどうも駅から東方向を目指しているということに気付く。板野駅からだと西、正確には北西方向に霊山寺があるはずなのに…、と立ち止まってその方向を向いた。

「迷ったよ~」と、駅を出た直後に道を見失ってしまった。県道12号の横断歩道下のことだった。そしてボクはそこが「板野駅」ではなくて「板東駅」だったと気付いたのだ。2駅手前で降りてしまっていた。「しまった」

ボクは県道12号線を板野駅方面、一番札所霊山寺目指して逆打ちを始めた。大安吉日、快晴の日曜日だった。

到着駅(板東駅)だと思って記念写真まで撮っていたのだけれど…。

到着駅(板東駅)だと思って記念写真まで撮っていたのだけれど…。