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雨遍路(37日目の1)

In : 37日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/24

5時少し過ぎたあたりで目がさめる。京都からの区切り打ちの男はパッキングをしていた。小さな声でお互い挨拶をした。外はまだ暗かった。流れる雨を街灯が映し出していた。

男は5時40分の松山行き普通電車に乗って伊予小松に行くと言った。ボクたちの話し声で起されたのだろうアベック二人連れの遍路も起きた。挨拶をする。まだ少女の面影の女の子は恥ずかしそうにしていた。

男は電車がやってくる少し前に改札を抜けてホームへと向かった。「また」「お気をつけて」という声が狭い待合室に響いた。ボクは自動販売機に行ってコーヒーを買う。雨。少し先のタバコ屋の軒下にはテントが張っていて、昨夜駅に泊まることができなかった遍路が寝ているらしかった。

出発の準備をする。アベックが今日の予定を話している。まだ20代前半の彼らの話を聞いていた。すると、どうも聞き覚えのあるイントネーションで女の子は話す。彼らの話が一段落した時にボクは訊いた。「あの辺りの出身だよね」

すると彼女は驚いて「え~、分かりますか」と言った。「分かる分かる、オレもあのあたりだからね」「え~、そうなんですか」「ちょっと離れているけれど、知り合いがいるよ」「すごいですね」という話から始まって、彼女は出身校なんかのことを話してくれた。

それでも色々な事情はお互い聞かなかった。ボクも、ふたりの関係とか、どうして野宿をしているのか、なんことは聞かなかった。

出発の準備が出来た。レインジャケットを着た。「さてと」と席を立つと、その女の子が「これ、お接待です」と500円をくれた。「え、どうしたの」と訊いた。すると「昨日横峰寺で1000円頂いたので、おじさんにも」と言った。「そっか、ありがとうね」とボクはそのお金を頂いてから「じゃあ、先に行ってるよ」と駅を後にした。「お気をつけて」と同時に声がした。

同じ遍路からみかんや食べ物を頂いたことはあるがお金は初めてだった。無財七施、お金のない若者ふたり、ひとり2500円ほど出し合えば駅隣のラブホに泊まれるだろうに、雨の中を冷たい駅の待合室で眠っていたふたりの、純粋な遍路心に感動をしていた。ボクに出来るだろうか、と考えた。「500円あれば」と人は考えてしまう。物の貧困は心の貧困を引き起こす。そのふたつは全く別のものなのだけれど。そして心の貧困こそが真の貧しさなのだ。

6時20分にいしづちやま駅を出発した。小雨が降り続いていた。サンクス西条洲之内店に寄る。おにぎりとお茶、そしてポテトチップスを買った。511円の買い物だった。それを歩きながら食べた。

雨。新居浜市にて

雨。新居浜市にて

加茂川を渡ると西条市街地の賑やかな風景になる。雨がその風景をインターレース加工していた。雨の日はそれだけで哀しくもなった。写真を撮る機会も極端に減る。カメラをザックに入れて、そしてカバーで覆っている。休憩もままならない。濡れた姿でコンビニに入るのも気が引ける。それでも寒さがトイレの回数を増やす。

8時20分、松山自動車道西条ICのすぐそばにあるローソン新居浜大生院店に寄る。買い物というよりもトイレ。そしておにぎりを買う。雨は止みそうで止まなかった。

11時00分、新居浜市舟木、国道11号線沿いのデイリーヤマザキに寄る。ここでもトイレ、そして肉まん2個を買って食べる。上り坂、関の戸から下り、旧道を通る。

11時30分、関の川バス停、少し休憩。雨を避ける。雨の中を出発。12時50分、四国別格二十霊場第十二番延命寺に着く。休憩所にて休憩。新居浜のローソンで買ったおにぎりを食べる。札所がない分距離も時間も長く感じていた。13時10分、出発。すこしだけ青空が見えてきた。

秋、雲辺寺にて

秋、雲辺寺にて



一番ダメな時の自分が本当の自分なんだろうね(22日目の2)

In : 22日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/09

海のバザールを出発してから、小雨の降る中を歩いていた。
10時30分、県道42号線と339号線の交差点で休憩。缶コーヒーを飲む。ここ数日、あまり飲み食いしていなかったので、なんだかこの日は食べることが多くなっていた。

12時20分、四万十大橋の近く、スリーエフ中村竹島店に着く。食糧の買い出し。そして店の前のベンチでスニッカーズを食べて少し休憩。日記を書く。

雨止まず。

歩いても歩いても道ばかり
捨て去っても捨て去っても
ひろうものあり
迷っても迷っても日は暮れて
苦しんでも苦しんでも日は明ける

竹島の直線道 涙が流れる
膝は痛む、天気は悪い 気持ちは沈む

と日記に書いてある。雨は哀しい。

13時00分、スリーエフを出発。四万十大橋の手前で中村さん(中村市だからではないのだけれど)という自転車のオジサンから声をかけていただく。そして橋を一緒に渡る。橋の中程でその中村さんは「休憩するから」と言って、ベンチに座って、ポケットからカップ焼酎を取り出して飲み始めた。ボクは「先に行ってますね」と歩き続けた。

少しして中村さんが自転車に乗って追いついてきた。そして自転車を降りて、ボクと並んで歩く。そのまま橋を渡りきった。オジサンはそれから自転車に乗って先へ進んで行った。

四万十大橋が出来るは向こうの橋を渡った話とか、渡し船があったという話とかを聞かせてもらった。焼酎を飲むことと、自転車に乗ること、それが中村さんの哀しみなのかもしれないと思ったりした。街で焼酎を買って、それを家に帰り着くまでの飲み干す。家では嫁が「またお義父さん、お酒飲んで」なんて言うのかもしれないと、思ったりした。

雨、休憩する場所もないまま、伊豆田トンネルへ。長い。1610メートル。抜けるのに28分かかった。時計で計った。時速4キロも満たない速度だということに驚いた。随分とゆっくりになってると思った。それも膝が痛いからだろうと思った。

16時少し前、レストラン水車に到着。雨は降り止まず。ベンチに座って食事。そして日記に書く。


もう抜きつ抜かれつした人たちとは再会することもないのだろうと思う。3日近く停滞したし、時速4キロ以下の速度では追い抜けないだろうし。

「膝さえよければ」と何度か考えた…。でも、人生なんてそんなもので、例えば「数学が出来れば」とか「もう少し頭が良ければ」「もう少し容姿が良ければ」ということばかりで、それが煩悩なんてことなんだろうけれど、悪い部分、要するに「良ければ」という部分を含めて自分なのだから、そこと同化、そこを認識しないと、というか、それが「自分とは何か」ということの発見なのだろうから、その弱い(と思われる)部分も自分なのだということなのだから、それが発見、認識出来ることが大事なのだろう。

この痛みも自分なのだ。
だから、ゆっくりした歩行速度が本来の自分の速度なのだ。

と日記に書いた。

もう、その駐車場にある東屋に泊まることにした。冷えてきていた。

雨、菅笠と金剛杖

雨、菅笠と金剛杖



最後の晩餐(21日目の2)

In : 21日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/08

13時からは誰も来ることはなかった。魚釣りの人が、向こうに見える防波堤にいるのは見えた。寒かったので、テントの中で寝袋にくるまっていた。時々、入り口から外を見たりした。雨は強く降ったり、弱くなったりを繰り返していた。チッ、チッ、と雨音が聞こえていた。

16時45分、夕食。ジャンボソーセージだけの食事だった。
最後の食料を食べたら、少し不安になった。その時間から道の駅に行くことは、往復1時間歩くことは、それよりはじっとしていたほうが良かった。明日は移動しなければ、そう思った。

膝は回復しているのか、それとも鎮痛剤が効いているのか、痛みは和らいでいるように感じた。

17時過ぎると薄暗くなった。明日は天気も身体も良くなってくれ、と祈った。それから、テントの中で目を閉じた。起きているのか寝ているのか分からない時間が流れた。それでも、そういう時間の中にいるのは嫌いではなかった。

21時か22時頃に起き出して、髪を洗った、そして身体を拭いた。それからまた、起きているのか寝ているのか分からない時間の中にいた。

*浮津海水浴場停滞
*浮津海水浴場キャンプ場泊

(出費)

0円

雨、夕方、四万十方面

雨、夕方、四万十方面



迷故三界城 雨(16日目の1)

In : 16日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/03

足が痛くて何度か起きた。今までの痛みとは少し違うものだった。3時30分には起き出して、そしておにぎり辛子高菜とジャンボソーセージを食べた。なにか物音がする。雨音だと分かったのは夜が明けて外に出た時だった。食べてまた寝袋に収まった。

朝一番 清滝寺にて

朝一番 清滝寺にて


6時に目が覚めた。そして起き出した。洗顔。6時30分には参拝客が来ていた。トイレに行く。雨は止んでいたけれど、今にも降り出しそうな空模様だった。部屋の掃除をした。そして参拝。納経所に挨拶に行った。昨日の若いお坊さんがいた。天気のことを少し話した。「お気を付けて」「ありがとうございます」。

こうして2ヶ月が過ぎた今も、しっかりと記憶の中にあっては、静寂な境内に漂う線香の香りや湿った空気の匂い、そして身体の痛みが冷たい空気に押されるような感じが、まるで味覚のように蘇る。ちょうど冬の初めに、半年ぶりに、クリームシチューを食べる、そんな感じの。

歩き始めた。坂道を下って行く。霧雨。県道に出てからレインジャケットを着るかどうしようかと迷ったのだけれど、そのまま前進。ファミリーマート土佐高岡店で買い出し。8時21分というのがレシートに刻まれている時間。

小雨。ファミリーマートの駐車場でレインジャケットを着る。「今日は青龍寺までだなあ」と短めの予定にする。足、特に膝の痛みがそうさせる。歩きながらおにぎり2個(シーチキンマヨネーズと紀州梅)を食べる。おにぎりとジャンボソーセージ、ピーナッツばかり食べている。時間もうまく取れていない。急いでもいないのに、ゆっくりと食べている時間もない。休憩を取れないでいる。自己管理が出来ていない、のだろう。

少し行って降りが激しくなったのでレインパンツをはく。

10時30分に塚地峠の遍路小屋に着く。雨宿り。薄皮つぶあん(5個入り)と、セコイヤチョコの昼食。食べてばかりの朝。満足できていないのだろう。胃は満たされているのだけれど、欲は満たされていない。水でも豆腐でも胃は満たされる。

11時20分、中年の女性がやって来た。「峠を越されるのですか?」と聞いてきたので「はい、そのつもりですが、ぬかるんでいるので、国道の塚地坂トンネルを通ったほうが良いかもしれませんね」と言った。

「そうですね」とその人は言って、遍路小屋のベンチに腰を下ろした。その遍路小屋には子猫がいて誰かが飼っているようだった。キャットフードが棚にあって「餌がなくなっているようでしたら、皿に入れて下さい」という張り紙があった。子猫はボクを嫌ったのか、姿を見せなかった。

女の人に挨拶をして、ボクは峠の道を目指した。もし、その人と逢わなかったら、トンネルを通っていたかもしれないと、思った。そのほうが楽だっただろうし、そのほうが早かっただろうし…。

見栄、虚栄心、自意識……。迷故三界城。
雨は上がっていた。

清滝寺 龍の天井画

清滝寺 龍の天井画



濛雨(5日目の1)

In : 5日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/23

人は必ず死ぬ。

ビジネスホテルの朝は雨だった。いつもの時間に目覚めたのだけれど、そのことを確認するとボクはまたベッドに潜り込んだ。8時前に起き出して、朝風呂に入った。足の痛みは少しだけだけれど和らいでいるように感じていた。

昨日買っておいたスナックパンを朝食にした。そしてパッキングを始める。寝袋を丸めてスタッフバックに押し込む、それと衣類とを一緒に更に圧縮袋に入れて小さくする。カメラと携帯電話の充電器をタッパウェアの中に入れる。薬品類は違うタッパウェアの中だ。洗面道具は防水袋に入れて、それら全てをザックの中に入れる。レインウェアをザックのサイドポケットから取り出す。ザックカバーと菅笠のレインカバーはフロントポケットに入れておいた、それも取り出す。雨用の装備をして、ボクは10時30分ほど前にフロントに行き、チェックアウトを済ませた。雨。

昨夜と同じサンクス佐古八番町店にて食料の買出しをする。その食糧をザックに入れる。金剛杖を握りしめた。歩き始めた。地蔵院経由、地蔵峠越えの十八札所恩山寺打ちだ。今日も少し後戻りする。

徳島市内を避けての地蔵院経由にしたのは、その峠を越えることが、ホテルに宿泊して10時まで停滞していたことへの、4時間という欲望を貪ったことへの、贖罪のように感じていたからかもしれない。

途中道を尋ねる。想像していたよりも長かったからだ。そして20代後半であろうお兄さんは、親切にもボクを地蔵院の入口まで案内してくれた。雨が降っていた、お兄さんは濡れていたけれど、嫌な顔もしなければ、ボクに話しかけてもくれた。ありがたい。その20分という時間のなんと貴重なことかと、ボクは思っていた。

地蔵院に着く。雨はまだ降っていたのだけれど、晴れることを予感させる雲が池の向こうに見えていた。ボクは地蔵院前の公園の東屋に腰を下ろしていた。止むだろう雨、その時間が来るのを待つ。

すぐに、一通のメールを受け取る。10時35分、留守を頼んでいるホッチキスからのメール。

高知から葉書が来ていました。ユリさんのお兄さんからで、ユリさんが今年の四月になくなられた事をお知らせするものでした。

少し驚いた。少し信じられなかった。少し怒りを感じた。少し不思議だった。少し苦しかった。……。よく分からない感情が少しずつボクの中にあった。雨靄が立ち込めていた。名残の雨が降っていた。

ボクは動けないでいた。

十九番札所立江寺にて

十九番札所立江寺にて

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