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毛を以て馬を相す(9日目の2)

In : 9日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/27

「毛を以て馬を相す」とは「物事の価値を外見だけで判断することのたとえ」。人は多分にそういうことをする。そしてその判断は正しい時もあるし、正しくない場合もある。

あさかわ駅を出発してから20分後ほどして坂道の途中に休憩所があった。また休憩した。狂い咲きした花を付けている桜の木がそばにあった。道路に散った花びらが、その木の存在を教えてくれた。ボクは少し呆然としてそれを眺めていた。

ふたり連れのお遍路さんがやって来た。
「何日目ですか?」と聞いてきた。
「えっと、9日目です」とボクは答えた。
「何回目ですか?」と次の質問を用意していた。
「初めてなんですよ」
「そうですか。桜の花が咲いていますよ、知ってますか」
「ええ、咲いていますね」

少し嫌な気分になった。
そう聞いてきた人に対しても、そして何よりもその嫌な気分になった自分に対しても。

その人たちはそのまま先へ進んで行った。ボクは暫くそこにいた。少し距離を開けたかった。あさかわ駅から20分後の休憩を後悔した。ここで休憩しなかったら彼らに会うこともなかっただろうに、と思った。

回数を聞かれることもだけれど、「知ってますか」という言葉に過剰反応してしまった。「知らなくてもいいじゃないか」と思った。「回数もどうでもいいじゃないか」と思った。そして「それくらいのことで嫌な気分になることもないじゃないか」と思った。

その日の日記にこう書いている。
『遍路の回数を
納札の色を
自慢する人がいたら、こう言え。
「遍路とは回数なのですね」と。
そして
「回数ならば観光バスの運転手さんやガイドさんは大先達ですね」と。
……
数打ちゃ当たる……それが遍路なのか、と。』

歩き始めた。どうでもいいことだった。「聞かれたら『何回目に見えます』と答えよう」と、意地悪く考えたりもした。

10時にローソン海陽町杉谷店に着いた。買い物をした。そして駐車場でレタスハムサンドを食べた。朝食だった。

金剛杖と花
海陽町国道55号線にて



日和佐にて(8日目の3)

In : 8日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/26

遍路とは歩くことなのだろう。そして迷うことなのだろう。探し求めて苦しみ、その先にある暗闇にすがる。夜は来る。そして朝も来る。

雨は止んでいた。23番札所薬王寺で「発心の道場」徳島県の23札所を打ち終わり、長い室戸行きが待っていた。ひとつの節目。よく分からないまま200キロほどを歩いてきた。そして迷ってきた。何かが見えてきた、とか、何かが分かった、なんてことはなかったし、ただただ前へ先へと足を繰り返し動かすような日々だった。そのことは、例えば、ライン作業のように感じた。繰り返されることの苦しみや痛み、それを思っていた。

薬王寺には14時に着いた。長い停滞や田井ノ浜でのシャワーが到着を遅くした。中途半端な時間だった。薬王寺近くには宿泊施設が多かった。素泊まり 2500円の宿、善根宿や道の駅もあり「発心の道場」最後の札所、これから向かう「修行の道場」へのさながらターミナルのように感じた。そこでこれから始まる長い旅路への準備、あるいは、傷を癒合させる聖地のようにも感じていた。

14時30分。また迷っていたし、決められないでいた。空腹感、飢えという感覚がボクを前に進める。サンクス日和佐店に入った。非常食も底をついていた。買い物をしたボクは反対側にある道の駅に渡った。日曜日の道の駅は混雑していた。そのことがボクを前へ進めた。少し行くと「どさんこラーメン」があった。ボクはそこでも少し迷ったのだけれど、そして少し通り過ぎたのだけれど、戻って店内に入った。

カルビ丼セット650円を注文した。その店の男の子はボクのその姿を見て、少し戸惑ったようであった。押し込められた思いが、その目の奥に好奇心となって凝縮されているように感じた。ボクも、戸惑っていたし、沈黙していた。注文したものが早く来ることだけを考えていた。

カルビ丼セットは、ボクが想像したとおりだった。その味やその量、温もりにおいて。そのことがボクを安心させたのだけれど、子供の好奇心はどうすることもできなかった。ボクは満腹になって、そして店を出た。室戸へ向かった。

薬王寺にて
線香の香りは人の脳を刺激する作用があるのだろう。帰った後も部屋で線香を焚く。(薬王寺にて)



補陀洛(7日目の3)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

人は旅をする。
永遠に。
行き着くところは桃源郷、あるいは地獄。

補陀洛とは「《(梵)Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す》仏語。インド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山。日本でも観音の霊地にはこの名が多い。補陀落山(ふだらくせん)」。

その桃源郷を目指して、旅に出るという宗教的な行いもあったそうだ。多くは海の藻屑となり、生きて戻ったとしても死が待っていた。
補陀洛渡海(ふだらくとかい)

大龍寺に着いたのは11時少し過ぎた頃だった。山の反対側には大龍寺ロープウェイが、高低差400メートル強、距離3000メートル弱を運行している。参拝者の多くはそのロープウェイを利用して標高500メートルの大龍寺を訪れる。それは急峻な山ということを物語っている。

おじさんがいた。ちょうど大師堂で納経をしていた。そのあとボクが納経所から出てきた時もおじさんはまだベンチに座っていた。ちょうど昼食時だったので、パンを食べていた。ボクはその隣に腰を下ろした。そして「今日はどこまで行きますか?」と尋ねた。「平等寺まで行って、それから考えるか」と答えてくれた。

しばらくしておじさんは、出発する仕度をした。「そしてどっちかね」とボクに聞いてきた。平等寺へのへんろ道は山門を出て少し打ち戻る車道を通るコースと、山に向かって行くふだらく峠越えとがあった。「どっちなんですかねえ」とボクが言うと、おじさんは納経所に聞きに行った。そして「山門を戻るんだそうだ」と、車道のコースを教えてもらったことをボクに話した。そして出発した。

ボクは昼食におにぎり2個とスニッカーズを食べていた。「あの方向は車道コースですよね」と隣のベンチに座っていたおじさんが声をかけてきた。茨城のKさんとの出会いだった。「そうなんですか」とボクは地図をサイドポケットから引っ張り出して見た。あとで分かったことなんだけれど、ふだらく越えは迷いやすいので、大龍寺としては車道を通るコースを勧めているそうだ。

Kさんも昼食のおにぎりを食べていた。昨夜泊まった民宿で作ってもらったものだ、とKさんは言った。そして宿に泊まりながら歩いているということを話してくれた。まだ少し休憩する様子だったKさんに「じゃあ、お先に失礼します」と言って、ボクはふだらく峠を目指した。確かに踏み後はしっかりと付いているけれど、それがいくつにも分かれていたので、迷いやすいな、と思った。そして思った通りの急坂だった。金剛杖で身体を止めなければならなかった。なんどか転びそうになった。

それでも身体は落ちて行く。そういう感じで山を下りて行った。まだボクの身体、特に膝にも痛みはなかった。筋肉痛は全身にあったとしても、それは少しだけ心地よさも伴っていた。痛みは時として快楽を内包して存在する。あるいは痛みは快楽に変換される。脳内でドーパミンが分泌される。そのことを身体は知っている。無意識下において。

持福院で休憩した。荷物を肩から降ろし、道端に座った。そして靴を脱いだ。しばらくするとKさんもやって来た。また少し話した。出身地のことや、ボクが失業者であることなんかを言った。Kさんの方が先に出発した。「止まっていると動きたくなくなりますからね」と言った。そうボクも思っていた。少ししてボクも歩き始めた。

国道195号線に出た。久しぶりの文明、なんてことを感じた。朝からまだ6時間ほどしか過ぎていなかった。身体が少し楽になると、思索が始まる。痛み…ボクは癌で亡くなったユリさんのことを考えていた。二ヶ月後に死ぬと宣告されたら、いったい何をするのだろうと。そしてその痛みに耐えることが、ボクには出来るのだろうか、と。

大龍寺 種火
昇華。エネルギーは異なる力へと置換される。痛みあるいはい悦び。その繰り返しが生命ということだ。(大龍寺の種火)



時雨て霞む徳島の街(4日目の2)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

住むだけ、あるいは遍路として四国に滞在するだけならば、四国は優しく包容力のある場所だと思う。一笠一杖の旅姿さえしていれば、お遍路さんとして公認される。そして無料の宿泊施設や野宿場所やお接待という待遇を受けることができる。旅ということに何かを求めるとしたら、四国は生温い気もする、そのことを前のエントリーに書いた。

歩くことが遍路である、としたら、歩くことはつらい。毎日30キロも40キロも歩くということは悲しいほどつらかった。そして野宿ということがさらにその距離を長くした。たとえ四国が優しく包容力のある場所だとしても、いとも簡単にねぐらが見つかる、ということはなかったし、都市化した街ではさらにそのことを難しくした。そして何よりボクはまだ「善根宿」や「通夜堂」と言った無料の、あるいは低額の宿泊施設の存在を知らなかった。

鬼籠野へ歩いていた。空は雨を予感させていた。山あいの道は寂しかった。車とすれ違うことがとても不自然に思われる程の佇まいだった。辺境、言い方は悪いかもしれないが、ボクにはそう感じた。30分で徳島市内へ行けるほどの距離だとしても、ボクにとっては半日がかりの辺境であることには変わりはなかった。

ボクは鬼籠野を過ぎてオーロ喜来で道に迷った。ちょうど工事中だったことがボクの感を鈍らしたと思う。地図を確認しなかった。コンパスを出さなかった。へんろマークはあった。広野ではなくて一の坂越えの道、県道207号を歩いていた。

そしてそこから県立神山森林公園を通るはずだったのだけれど、大桜トンネルの手前の交差点でも直進してしまっていた。トンネル直前でその間違いに気付いたのだけれど、ボクにはその1キロに満たない距離を戻ることがムダのように思えた。そのままトンネルを抜けた。3つの選択が鬼籠野ではあった。そして選ぶ余裕もなく、そちらへ誘われたように進んだ。地図には「甲、乙、丙」という案内があって、その道は「丙」だった。その意味は分からないのだけれど、きっと「3番目の選択」という意味なのかもしれない、と考えていた。少しだけ後悔もした。いつものように。

その辺境の道は長く感じた。結局、南丁赤坂のへんろ道への左折場所も見過ごしてしまって、一宮の駐在署のある信号交差点まであるいてそこから左折して(ようするに打ち戻ることになったのだ)大日寺に着いた。雨が降り始めていた。「山中で降られなくて吉」と日記にメモしている。道の駅を7時に出て12時20 分に着いたのだから約5時間、ほとんど休まずに歩いたことになる。

大日寺を打って、常楽寺へ向かう途中一の宮橋の手前で雨脚が強くなる。ザックカバーを着けた。「キツイ」という文字が日記の中に目立つ。大桜トンネル越え、いや、昨日の焼山寺への山越えと下り、そして今日の山越えが、足にきていたのだろう。確かにきつかった。

常楽寺で雨の止むのを待った。14時20分発。雨は降っていたけれど、空の色は回復に向かうように思えた。歩いた。国分寺、観音寺で16時、井戸寺まで2 キロ。足は悲鳴をあげていた。ボクも時折声をあげた。「南無大師金剛遍照…」そして「このやろ~」と。もうどこでも良いから泊りたい、と思っていた。

井戸寺を打ち終えたのが16時50分だった。逆打ちでまわれれている人に「徳島市内なら送って行きますよ」と声をかけて頂いた。「ありがとうございます。歩いていますので…」と断った。本当は乗せてもらいたかった。「良いじゃないか、それぐらい」と思った。きっとそのおじさんも、思ったのだろう。こだわる理由はなんなのだろうと、そして何になるのか、と考えていた。

雨は止んでいたけれど、湿気を吸った雲が高度を下げていたし、もうそのまま落ちてくるのではないのかと不安に感じた。まだ降るのだろうと思った。

ボクは、ホテルに泊まることにした。「今日は風呂に入る。充電もする。そして寝る」と決めていた。徳島市内のビルの明りが、その欲望の光が、ボクを誘っていたし、雨の不安の中でのねぐら探しがきつかった。どこでも良かったのだけれど、温もりや安心というもの、文明に慰撫されたかったのだ。ボクはホテルを目指した。そう決めると、心も体も少し軽くなったように感じた。

朝食に前日買った赤飯オニギリとポリッピー、昼食にふんわりロールパンと柿の種を食べただけの胃は限界を訴えていた。

うしろすがたのしぐれてゆくか

山頭火48歳の時の句を口に出していた。なんのために人は歩き続けるのか、ボクは歩き続けるのか、と思っていた。いったい、この苦しみはなんに繋がるのかと考えていた。「神山、鬼門やで~」ではなくて、毎日が鬼門のようにも感じた。

十五番札所国分寺にて

十五番札所国分寺にて



競艇おじさんとミスタースモーク、そして眠れぬ夜なのだ(1日目の4)

In : 1日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

上板スポーツ公園1塁側ベンチは、今思えば最高のベッドだった。三面壁、そして広いベンチ、静かな立地、トイレ・水完備、自販機まで徒歩30歩…。そうして四国初夜という不安をゲストたちが和らげてくれた。

弁当を食べて、そしてデザートのイチゴパンを食べ終えたボクは、洗髪をしようかと考えていた。疲れていた身体は重力に逆らえずにベンチに倒れこんでいた。洗髪しようと何度も考えた。考えたのだけれど、面倒でもあった。

しばらくすると、ボクにその最高のベッドを教えてくれたおじさんが、暗闇の中3塁ベースあたりからやってきた。1塁ファールグランドに来ると「さっきのお兄さんかね?」と。

「そうです、どうもありがとうございました。」

とボクは起き上がった。そして立ち上がって挨拶をした。それから1時間ほどいろいろな話をした。おじさんの過去の話が主な話題だったのだけれど…。大阪で暮らしていたというそのおじさんは競艇好きで、トラックの運転手としてかなりの額の収入もあったのだけれど、多くは競艇で消えてしまったことを、ボクに話してくれた。そして予想師の話、予想師になるには3000万円ほどの権利金がいるし、予想もそこそこ当てなければならない話、なんかをしてくれた。

「それじゃあの、お兄ちゃん、気をつけてな」
と、おじさんが帰った。20時を過ぎていた。ボクは、眠かった。

と、しばらくすると「缶はなかった?」と、いきなりお兄さんが訪れた。というか、ボクがそこにお邪魔していたのだけれど…。お兄さんはさらに「缶はなかった?」と聞いてきた。

何のことなのかさっぱりわからないボク。
「缶があったのだけれどなあ」
「……」

お兄さんはベンチの周辺をその「缶」を見つけようと探し回った。その「缶」は少し離れたところにあったらしく、見つけてそしてボクの前のベンチに前にその「缶」を置いて、彼も腰を降ろした。

タバコの吸殻用の缶だった。一斗缶、というのだろうか、食用油や塗料が入っている18リットル缶、その空缶を探していたのだった。そしてお兄さんはタバコを吸い始めた。消した、と思ったら、また吸い始めた。チェーンスモーカー…。

「お遍路さんですか?」
「はい」
「今日はここで泊まるのですか?」
「ええ、泊まらせていただこうと思っています」
「……」

タバコを消す、そしてタバコに火をつける。消す、つける。ベンチにいる間におそらく20本、一箱吸ったのではないのだろうか…。

沈黙。
「どこからですか」
「○○からです」
「ああ、あすこの○○高校は野球強いですね」
「そうですねえ、プロ野球選手もいますし」

野球の話をしばらくした。その間、もちろん、つける消すという、ことを繰り返していた。

「じゃあ、気をつけて」
お兄さんが帰った時には21時を過ぎていた。ボクは、少し苛立っていた。もう来ないでくれ、と思っていたし、たとえ来たとしても「寝たふりをするもんね、もんね、ぜったい、するもんね」と決心していた。

それからは、誰も来なかった。真夜中に、きっと1時か2時にアベックが来てグランドでふざけ合っていたのだけれど、20分ほどしていなくなったけれど、そのことはボクの睡眠を妨げたとしても、ボクが起き上がって会話をするということはなかったので、例えば夢を見ている感じだった。

ボクは、お兄さんが帰ってから(というのも変な表現なんだけれど)、髪を洗った。そしてタオルを濡らして身体を拭いた。身体を拭きながら思っていた。「毛が邪魔だな」と…。陰毛が邪魔、というか、その毛は洗髪できないので、特に不潔になるように感じていた。拭いたとしても地肌までは綺麗にはならないし…。洗おうかと思ったけれど、陰毛を洗っている、それもその部分だけを出して、そんな自分を想像したら……やめた。ボクはホテル上板1塁ベンチのベッドに戻った。

寝袋にもぐり込んだ。23時前だった。とにかくいろいろなことが、いまさっきまで起こりすぎた、と思っていた。そのことがボクの疲労度を増していたように思い出している。

ボクは、深夜のアベックがグラウンドを駈け巡るまで眠りに落ちた。なんとも長い一日だった。少し寒かった。

割れたガラス
金泉寺から大日寺に向かう途中で…。

*一番札所霊山寺~五番札所地蔵寺まで
*上板スポーツ公園泊

*(出費)納経代、お賽銭別
・極楽寺
山菜たきこみごはん400円
よもぎ餅2個170円
・自動販売機
スポーツドリンク2本300円
・スーパーでぐち
鮭弁当500円
イチゴパン140円
アクエリアス104円

(合計)1614円