Tags: 遍路ころがし

女体山、母なる山で(43日目の1)

In : 43日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/30

道の駅ながお、売店裏の軒下、最後の日のねぐらで5時少し過ぎに目がさめた。朝の気配はしていなかった。山間は海辺よりも朝が遅いようにも感じていた。日の出や日照時間というよりも、なにかゆっくりとした始まりをいつも感じていた。

トイレに行き、洗顔をした。そして自動販売機でココアを買った。昨夜遅くに着いた遍路であろう人のテントもまだ夜の中にあった。ココアを飲むと、パッキングを始めた。43回目のパッキングだった。ザックのハーネスもくたびれていた。道具だけではなくて、ボクもくたびれていた。こけた頬は精悍というよりも、くたびれた顔だった。白衣は純白ではなくて、背中や肩のあたりは汗で汚れていたし、ザックの色も移っていた。金剛杖は12センチ減っていた。何もかもが43日という時間の中で変化をしていた。

6時00分出発した。まだあたりは暗かった。ヘッドライトを持っての出発だった。少し興奮していた。県道3号線を左折して遍路道に入った。少し行った三叉路を、どうしてなのか分からないのだけれど、左折してしまった。その方向が正しいように感じたからだ。途中、民家がある辺り行き止まりになり、間違いに気が付いた。まだあたりは暗かった。三叉路まで戻った。

道標が見えなかったことが迷う原因になった。今度は道標を確認して右へ折れた。少しずつ空が明るくなっていた。来栖神社のところを通るルート。川沿いを高度を上げていった。遍路転がし、おそら斜度で言うとここが一番キツイのではないかと感じた。それでも結願ということがそれを麻痺させる。

笑顔スマイル

笑顔スマイル


「笑顔スマイル」という遍路札が木に掛けられていた。笑えなかった。

太郎兵衛館の分岐から少し車道を歩き、それから女体山に向けてさらに厳しい登りになった。標高は500メートルを越えていた。風も強くなっていた。気温が上がらない。それどころか休憩していると寒くなった。脱いだり着たりを繰り返していた。やっぱりこの登りが一番キツイと考えていた。平成へんろ石72番から同じく67番、そして山頂まで一気に300メートルを登ってゆく。頂上直下では攀じるという場所もあり、遍路というよりも登山になった。

2時間30分で女体山山頂に着く。女体宮があり、そして休憩所がある。その休憩所でチョコチップパンの朝食を摂った。眼下には讃岐平野が広がっていた。通ってきた場所が一望できた。昨日、一昨日の出来事だった。それでも遠い昔のことのように感じていた。

たぶん、ここでほとんどの遍路は泣くのだろうと思った。それほど厳しい登り、そして、それほど遥かな道程だった。吹きさらす風が想い出を蘇らせてくれた。餓え乾き、そして眠れぬ夜を過ごし、疲労もピークに達していた。疲れが感情を激しく揺らした。そこがピークだった。あと少し下って行けば八十八番札所、結願寺だった。そしてボクも泣いていた。

女体山、母なる山で生まれ変わる。擬死再生。ボクは胎蔵峰を目指して歩き始めた。もうそこだった。

讃岐平野

讃岐平野



讃岐平野(41日目の1)

In : 41日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/28

雨だった。国分駅の自転車置場の朝。5時10分に目がさめた。それからいつものようにパッキングをした。屋根があるおかげで、寝袋もマットも濡れなくてすんだ。屋根のあることの幸せ。

6時00分出発。雨は小降りになっていた。そしてすぐに霧雨となって、止んだ。まだ暗かった。ボクはヘッドランプを点けて歩いた。国分寺山門前を通り、ラブホテルのところを曲がった。そして山に向かって歩いていると東の空が少しずつ明るくなっていった。遍路道の道標やマークを確認するために何度か立ち止まった。

県道180号線までの登りは雨上がりで歩きにくかった。そしてここも「遍路ころがし」と言われる難所だ。それでも途中の休憩所からは「野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており、野が広いせいか、海明かりのする空がひどく開豁に見え」と司馬遼太郎先生の書く讃岐の自然を高度を上げながら見ることが出来たのだから、それはそれで幸せなことなのだろう。

国分寺・白峯寺ルート一本松手前の休憩所にて

国分寺・白峯寺ルート一本松手前の休憩所にて

県道に出たら自衛隊駐屯地にそって自動車道を歩く。いきなり近代的な自衛隊車両に出くわすと、違う世界に紛れ込んだように驚いてしまった。そしてまた山道をあるく。自衛隊の厩舎横を通る。そして森の中に入ってゆく。一瞬のズレ。それは風景のタイムラグで、目の前を過去と現在が交差していた。

8時20分、2時間少しかけて八十一番札所白峯寺に到着。崇徳天皇陵のある山奥の札所は、初冬の装いだった。納経をすませると、少し休憩して、山門を出たところの自販機で暖かいミルクティーを飲んだ。かなり甘いものだけれど、その時はもう少し砂糖を足したかった。

9時00分に出発。ボクの前に女性ふたり連れの遍路が行った。休憩を少し取ったのは、彼女たちとの差を開けたかったということもあった。坂出簡易保険保養センターに宿泊しての出発のようだった。

そのふたりを分岐の手前で追い越した。根来寺を打ち終えて五色台みかん園のところでもう一度追い越すことになる。ボクは左、彼女たちは右折して国分寺を目指したのだけれど。

白峯寺からは、今来た道を打ち戻って、県道近くの分岐を左折する。そこからゆっくりとした登り坂が続いて、そしてまた県道に出る。そこからゆっくり下ってゆく。10時05分、みち草という食堂に寄った。空腹だった。うどんを頼んだ。そしてアーモンドチョコを買った。10時30分、みち草発。アーモンドチョコを食べながら自動車道を歩いた。

10時50分、八十二番札所根来寺着。初冬の白峯寺、そしてこの根来寺は晩秋の風景を残していた。紅葉が有名なのか観光客が大勢やって来ていた。そして確かに紅葉は今が盛りと燃えていた。

その山門をくぐると、三角寺、雲辺寺と会ったおじさん遍路氏がいた。そして外国人バックパッカーも隣にいた。おかしな組あわせといか、一緒にいたり別々だったり…。なんて考えながら、昨日のことなどを話し合った。ふたりはやはり坂出簡保保養センターに宿泊して、雨の様子を見ての出発だったそうだ。

「じゃあ、また」と彼らと別れて、ボクは本堂へと向かった。

白峯寺から根来寺への遍路道にて

白峯寺から根来寺への遍路道にて



お遍路さんはいつも空腹なのだ(2日目の1)

In : 2日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/20

朝、犬の(犬を連れて人の?)散歩の人の声で目が覚める。
「しまった」もう明るい、6時30分、急いで撤収、寝袋を丸めてスタッフバックに押し込んで、パッドを丸めて、ザックに収納して、歯磨き洗顔…。その間30分、もう隠れ場所がないほど明るくなってしまっていた。

出発。と、犬を連れて散歩中の女性に声をかけていただく。「おはようございます」

「安楽寺さんですか?」
「はい」
「近道があるのでそっちを行かれたら早いですよ」

と、へんろみち保存協会発行の地図には掲載されていない道を教えてもらう。教えてもらったのだけれど、地図にない道を歩くという不安。そういった不安は、いつも、その後地図にない道を教えてもらう度に生じるようになる。信じられないというのではなくて、地図にないことによって位置が確認できないということの混乱、そういった感じの不安、不安定感のようなものから、歩く速度が早くなったりもした。

結局、上板町役場の交差点に出て次の信号交差点からへんろ道に入った。そのあたりに出る道を教えていただいたように思う。ハッキリしないから「思う」ということなのだ。

安楽寺、十楽寺と打つ。八番札所熊谷寺への途中で30分休憩する。肩が痛い、腰が痛い、足は豆はできていないのだけれど、痛い。頭痛もしていたので、鎮痛剤を服用。朝食もとっていないのでお腹も空いていた。10時40分出発。快晴、半そでに白衣、ザックを背負った背中は汗で濡れていた。

熊谷寺、法輪寺、切幡寺と打った。朝食もだけれど昼食もとれないでいた。タイミングというか、食堂も少ないし、コンビニもなかったので、そのままになってしまった。歩いていると、そういうことが多い。へんろ道から1キロも行けば大通りだったり、食堂やコンビニがあったりするのだけれど、その1キロを歩くということが難しい、遠い。

切幡寺の門前「ふじや」にて遅い朝食兼昼食。月見うどん500円をいただく。ポン菓子(スウィートライスとか言ってたかな)をお接待でいただく。

14時30分、藤井寺まで9キロメートル……。

明日は最初の難関、焼山寺までの山越え「遍路ころがし」が待っている。法輪寺でお坊さん(巡拝ツアーで引率していた)から「今日は藤井寺までがんばって行って、そのへんで野宿して、早朝から焼山寺を目指しなさい」と言われていた。とにかく早朝には藤井寺にいなければならなかった。

潜水橋
藤井寺までまだまだ6キロ。