Tags: 遍路

さぬき市寒川

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/16

遍路にとっては歩きにくい雨も多い夏だったかもしれませんね。雨が降ると行くに行けなくなるだろうし、寝る場所も限定されるので、思うように歩けない人も多かったのだろうと思っています。そんなストレスもまた精神修行なのかもしれませんが。

高校野球の頃で、やはり四国の高校が出ていると気になるものです。昨日の寒川高校、残念でしたね。四国は、徳島の池田高校や高知の明徳義塾、松山商業、尽誠学園、鳴門工業なんて強豪有名校が多いようにも思います。

遍路として歩いて、地元の人とそんな高校野球の話をしたこともありました。そして高校のある場所を通ると「ああ、あの」なんてことで、少し親近感が沸いたりもしました。

寒川高校は第八十七番札所長尾寺の近くにあります。長尾寺から2キロ、もう少し近いのでしょうか、それぐらいの距離です。2キロは歩き遍路にとっては「少し」の距離ではなく、遍路道から離れた名所旧跡、温泉食堂などなど、「ああこのへんなんだ」なんて感じでしか接することは出来ませんでしたし、側を通ったとしても寄らなかったりしたこともありました。道後温泉なんてのもそうで、写真も写さなかったのは、今思うととても残念なことのように感じています。

「また今度」なんてことを考えていました。

42日目、八十八番大窪寺を目の前にして、急いでしまう人も多いのだろうと思います。ボクも前日泊まったの高松市内から八十四番屋島寺、八栗寺、志度寺と、風景を楽しむというよりも、前へ前へと札所だけを見て歩いていました。

それでも志度郵便局でお金を下ろし、県道3号線を長尾寺に歩いたこと。途中麺喰志度店で親子丼セットを食べたことや、「オレンジタウン?」なんて思ったこと、長尾寺の納経所で並んだこと、甘納豆おはぎを食べたこと、なんかは記憶の一部というか、皮膚の一部というか、断層の中に残った化石のような感じで、細胞の中に残っているように思います。ゆっくりと形を変えているのですけれど…。

こうしてもう遍路とは程遠い生活をしていたとしても、いろいろなことがスイッチとなって蘇る、それほど強烈なものだったのだろうと思っています。遍路をしている最中よりも、きっとその後に強く遍路の日々を感じられるかもしれないですね。ま、人生即遍路、なのですけれど。

長尾寺の甘納豆入おはぎ

長尾寺の甘納豆入おはぎ



日食

In : 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/22

日食を見ることが出来ました。食が始まってから30分ほどの時間だけで、あとは雲が覆ってしまって、そして小雨まで降る天気でしたが、それはそれで運がよかったのだろうと思っています。

四国はどうだったのでしょうか。遍路中だったりすると、もっと感動したのかもしれないと思っています。風が吹いても、雨や雪が降っても、感動した日々だったように憶えています。日食を見ると人生観が変わると言いますけれど、遍路も人生観が変わったという人が多いように思います。

日々、刻々、自分が呼吸をして鼓動を聞いて歩いていることが超自然現象のようにも感じたことがありました。その中で、やはり生かされている自分を感じると、なにか少し変わるのかもしれませんね。

期待をしてしまうと少し違ったりするかもしれませんが、きっと毎日が不思議な時間だったり、感動する時間だったりはすると思います。朝日が昇るのを見て涙が流れたり、お腹が空いて怒り狂ったり、膝の痛みに絶望したり、眠れぬ夜に不安になったり、感情が大きなふり幅で揺れる毎日だったように思います。

日食を見ながら、そんなことも思い出しました。感動することはとても大切なことだろうし、生きるということはその繰り返しなのかもしれないと、思ったりしています。

日食

日食

Tags : ,


そのうち“萌え大師”も登場するかも

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/15

四国の話ではないのだけれど、お寺にこんな看板があったほうが入りやすいのかなあ。四国の札所にあったとしたら、歩きつかれた若い遍路たちは癒やされるかもしれないなあ。「南無大師遍照金剛」を絵文字とかキャラ文字で書いた白衣とかも発売されたり…。

お寺にも“萌え看板” 了法寺「若い男性参拝者増えた」 – ITmedia News
萌えキャラを活用した地域活性化が盛り上がる中、東京都八王子市にある日蓮宗のお寺「松栄山 了法寺」(しょうえいざん りょうほうじ)が、萌えキャラをあしらった“萌え看板”で男性参拝者を引き付けている。

了法寺、“萌え看板”のニュース画像

了法寺、“萌え看板”のニュース画像

NHK朝ドラ「ウェルかめ」が始まる秋の遍路シーズンは、例年になく賑やかになるかもしれないですね。昨年の「街道てくてく旅」の四元さんも、ある意味萌えキャラだったような…。

遍路の姿も随分と変わっているのだろうと思います。靴やザックも随分とカラフルになっているのかもしれませんし、四元さんのようにファッショナブルな人も増えているのだろうし。

札所に何日かいるといろいろ見えてくるかもしれないですね。余裕があれば滞在するのも良いかもしれないと思いました。



遍路とは(44日の2)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/27

早朝6時に一番札所霊山寺に着いたボクは、近くにあるローソンに向かった。高速バスで鳴門PAにある鳴門西バス的から難波まで行き、それから南海電鉄高野線で極楽寺駅まで、そこから高野山までケーブルカーで行く予定にした。それは早朝歩きながら考えた。

霊山寺の夜明けとローソンの看板

霊山寺の夜明けとローソンの看板

予め決めてはいなかった。なにもかも。行き当たりばったり、というよりは、臨機応変、体調や天候に合わせての遍路だった。予定を決めるとそれに縛られる。しかたないことはしかたないのだろうし、と考えていた。それを考えることが出来る時間があるということが前提ではあるのだけれど。多くの遍路は時間に拘束される。そして区切り打ちをしなければならない人も多い。

何度か書いたのだけれど、遍路のスタイルにはいろいろあって、どれが一番とかどれが霊験あらたかなのかということは誰も分からないし、決められないと思う。どれも大変なことなのだ。野宿しない人たちはそれだけ宿泊代がかかる。打ち終わるまでに40万とか50万円という出費になる。

区切り打ちのひともそうだ。その金額プラス何度も四国への交通費が増える。そしてお金を貯めて休日を使い遍路をする、という生活全てが遍路になる。人生即遍路なのだ。

ツアーにしても同じだ。時間がない人、あるいは健康ということもあるだろう。人生いろいろなのだから。

遍路をしようと思うことが大切なのだろうと思う。なにもいらないし、どんな作法でもいい、その気持ちを持つことですでに8割がたは結願しているのだろうと思う。したくても出来ない人のほうが多いのだから。多くの四国八十八か所が全国にあるということはそういうことなのだろうと思う。そこで結願することも、本四国で結願することも、同じなのだと思う。

遍路とは。いろいろなワーディングでそれが語られると思う。そして遍路とは、ということを言葉にするのも簡単なのかもしれない。でも、実際、ボクは分からないでしるし、なにかがボクの中に生まれた、あるいは、消滅したなんて実感もない。

そうして、遍路する前と同じ生活をしている。精神的にも物質的にも変化していないのだ。「擬死再生」という言葉を使ったとしても、それがマジックのようにボクに起きたかというと、その気配すらない。

膝の痛みも、足に出来た豆も、もうすっかり消えてしまった。思いでも徐々に変化する。

そしてボクはなお今もすがる。線香を焚いては「南無大師遍照金剛」と唱える。般若心経を唱える日もある。そして近くのお寺に行くこともある。

擬死再生というよりも、また元に戻ったという感じなのだ。

ボクはロッピーで南海なんばまでのチケットを買った。9時17分発のバスだった。それから霊山寺に向かった。山門で一礼をして、いつものように納経をした。まるで今から打ち始めるような気持ちになった。

納経所に行きお土産を買った。納経所の方と少し話をして、結願記念のお数珠を頂いた。高野山の地図やガイドブックも頂いた。まだ7時を少し回ったところだった。ボクはそのまま高速バスの乗り場へ向かった。

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け



遍路とは(33日目の2)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

その老人はボクの前に立ちふさがるようにして言った「どこに行くんだ、こっちはまだ回ってないだろ」と。石手寺、お山四国八十八箇所はその名の通り、その山だけで四国遍路八十八か所巡礼が出来るように札所ごとの仏様を奉っている。老人が言った「まだ回ってない」というのは、ボクが素通りをしていることに対しての忠告のようだった。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

ボクは驚いて「太山寺の遍路道はここではないのでしょうか」と訊いた。すると「ここは違う」と言った。そんな遍路道はないと言った。ボクは地図を見せて「この道ではないのでしょうか」と聞いた。すると老人は怒ったように「わしは80回ほど遍路をしている、そのわしが違うと言ってるんだ」と言った。ボクは「そうですか、すみません」と引き返そうとした。そうしたら「待て、お礼はちゃんとするもんだよ。ありがとうございましたとな」と気をつけの姿勢をとって「こうするんだよ」とばかりに頭を下げた。

ボクはその通りに「ありがとうございました」と言って、面倒なのでそのまま来た道を引き返した。そして山門を通って県道に出た。「なんなんだろうなあ、あのジジイ」と、なんだか少し怒りがこみ上げてきた。「あの道のはずなんだけれど」と考えていると、自分が毎日のように回っている「八十八か所」を素通りする同じ遍路に対して、その巡礼の本質への問いかけだったのだろうと、考えた。

大きい小さい、長い短いなんて秤で計れるものが遍路ではなくて、祈る気持ちが遍路なのだろうと。それを計ることも出来なければ、評価することも出来ない。出来るとしたら本人だけなのだから。

その老人にとってお山八十八箇所は聖地なのだろう。それを同じ遍路が素通りすることに対して疑問や怒りを感じたとしても、なんら不思議ではないように思った。その日はもう何人もあるいは何十人も老人を追い越して素通りして山を抜けていったのかもしれないと思った。そうしたら、なんだか悪いことをしたように感じた。少しだけ時間をかけて、あの老人の聖地を巡礼すべきだったと思った。それが仏に対しての礼儀だったかもしれないと考えた。

虚しい気持ちでいっぱいになった。道後温泉だった。温泉に入ることや、なにか食べることも打ち消してしまった。どこかに歩いていることや野宿いていることへの驕りがあったのだろう、そう思った。どこかに遍路という「ハレの日」を感じていたのかもしれない、そう思った。写真を撮られて、お接待を受け、手を合わされ、許される、それら全てが傲慢な、そして驕溢した態度となっていたのではないか、と考えた。

そして歩いた。歩きながら1日目からのボクの行動を振り返っていた。2時間ほど歩いたところで蓮華寺、そして196号線に出た。松山市内から山田池、吉藤池経由でやって来ていた。うまく処理できないまま歩き続けた。それが遍路だとも思った。いつか、あのお山八十八箇所を巡らなければなんて思った。帰るということなのだろうと思った。

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火