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生々死々去々来々転々(44日の3)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/27

無上甚深微妙法
百千万却難遭遇
我今見聞得受待
願解如来真実義

開経偈だ。そしてその現代語訳は以下の通りなあのだけれど…。

最高にして深遠な(仏陀の説かれた)真理には、どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。願わくは仏陀の説かれた真理を体得したい。
開経偈-真言宗のお経(在家勤行式解説)-真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

結局、なにも体得できないままボクは高松自動車道鳴門パーキングエリアにいた。そこに立つと風景、風も光もそれまでのものとは全く違って見えた。文明の中にいるといことが実感できたし、それは確実にボクを涅槃ではなくて、混沌へと運び去る大河のように感じた。

さらば四国(高速バスから)

さらば四国(高速バスから)

また迷い込んでしまうという予感もあった。歩いても歩いても道ばかり。山頭火の言う「人生即遍路」がそこで分かったように思った。人生なお遍路、人生さらに遍路、なのだ。

バスを待つ間にパーキングエリアのトイレで髪を洗った。鏡に映った遍路姿のボクは、日に焼けて髪も菅笠の型がついてボサボサで、顔も洗ってなかったので目やにまで着いていた。その姿をしていなければ、ただの小汚いオヤジだった。

バス停でパンを食べた。9時前にバスが来た。それに乗り込んだ。買ったチケットの便とは違うものだったけれど、運転手が「もう乗る人がいないので良いですよ」と乗せてくれた。バスには5~6人乗っていた。ボクは前から2番目の椅子に座った。フロントガラス越しに風景が拡がった。

本線に合流するとすこしして眠くなってしまった。そして眠った。目が覚めた時には明石海峡大橋を渡っているところだった。神戸の街が見えた。

文明の匂いがした。
欲望の香りがした。

ボクは少しの間、その風景をまるで外国へ行ったときにランディングする飛行機の窓からの景色のように眺めていた。ずいぶんと見慣れぬ風景だった。同じ国だとは思えなかった。とつぜん自由の女神が見えるのではないかと思った。

感覚がぼやけていた。そして橋を渡りきったところで感じた。「戻ってきた」と。よく分からない44日間だった。全てが、例えば眠っているのかということさえも曖昧な感覚だった。そしてバスの中はなぜだか安心できる場所だった。ボクはまた眠くなった。そして寝た。戻ってきた場所、そこがボクの居場所のように感じた。

次に目が覚めた時にはもう大阪市内だった。

11時に難波駅に着いてボクは、南海電鉄高野線に乗って極楽寺駅、そこから高野山ケーブルカーに乗って高野山に行った。高野山内1日フリー乗車券を使って、ぐるりと回った。

それからまたケーブルカーに乗って極楽寺に下りて、そして電車を乗り継いでその日のうちにアパートに戻った。遍路姿のまま地元の駅からアパートまで歩いた。

四国遍路が終わったと感じた。アパートに着くと同じ位置に同じものがあった。なにもかもが同じだった。そしてボクも同じだった。戻ってきたと感じた。それだけのことだった。

(完)
「四国遍路」旅日記はここで終わります。
また、高野山のことや、ここに書けなかったことなどを少しずつ書いていこうと思います。「装備」のことについても考察していこうと思います。

ありがとうございました。合掌。

明石海峡大橋から明石の街並み

明石海峡大橋から明石の街並み



そして十番切幡寺、徳島へ(43日目の4)

In : 43日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/30

10時30分に出発した。
八十八番札所大窪寺を打ち終えた、というか四国遍路を結願したボクは、一番札所霊山寺にお礼参りに行き、それから高野山に参詣して巡礼を終えようと思っていた。そういう意味では、まだ終わってはいなかった。

国道377号線五名トンネルの手前を右折して大影小学校へ出るルートを歩いた。右折して少し行くと徳島県に入った。戻ってきた、という感じがそこでした。橋の欄干には「徳島へ40キロ」と書いていた。その数字が実感させてくれた。

徳島県市場町大影にて

徳島県市場町大影にて

12時15分、相栗バス停前休憩所にて休憩。昼食をとった。いつものようにソーセージとカロリーメイト、非常食を食べ尽くす1日となっていた。コンビニのない日はいつもそうだった。いったい何本ソーセージを食べたのだろうと考えていた。

12時35分出発。ゆっくりとした下り坂を南下していった。秋晴れの天気は心地よかった。心地よかったのだけれど、一時間もあるけばお腹が空いてきた。犬の墓北のバス停の先だったか手前だったかに、お菓子の自動販売機があったので、プリングルスのポテトチップスを買って食べた。

そして犬墓大師堂を過ぎて、もう徳島自動道が遠くに見えるあたりに「手打ち阿波うどん」の看板があった。やっと温かいものが食べられると思ったら、ちょうど休業日だった。店内をのぞいたら店の人が出てこられて「すみません」と申し訳なさそうに言った。そしてお接待にオロナミンCをくれた。なんともこちらのほうが申し訳なかった。そのオロナミンCを飲んだ。

徳島自動車道の高架をくぐり、しばらくして左折、県道を歩くと懐かしい感じがした。そして43日前に通った道に出た。しばらくすると切幡寺の山門前に着いた。懐かしかった。ふじや食堂の前まで行った。おばさんと目が合った。ポン菓子(スウィートライスと言ったいたけれど)をお接待に頂いたのだけれど、たぶん、何十人何百人のうちの1人だから、ボクのことは憶えてなさそうだったので、頭だけ下げてお土産物さんの前のベンチで少し休憩した。15時30分だった。

ねぐらのことを考え始めた。結願しても同じなのだ。食べたり寝たりすることから開放されるわけではないし、歩く以上に難しいのが眠ることなのだ。考えながら、出発した。「初日に泊まった上板総合公園に行こう」と思った。そうすることが一番良いように思えた。それに分かっていた。探す労力が要らなかった。

2日目に歩いた道を上板に向かった。記憶はかなり正確だった。懐かしかった。法輪寺からは札所経由ではなくて県道12号線を歩いた。国道318号線との交差点にあるサンクス土成店に寄った。16時12分だった。夜が近づいている気配がしていた。少し急いだ。急いだところでたかがしれている。ゆっくりゆっくりと影が伸びていった。県道235号線との交差点あたりで、西の空は朱色に染められていた。

阿波市吉野町五条あたりにて

阿波市吉野町五条あたりにて



大窪寺、結願(43日目の2)

In : 43日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/30

女体山を下ると自動車道に出る。階段を降りるのだけれど、そこを西へ矢筈山の方へ行き道に迷う人がいるということだった。その「お知らせ」の貼紙が山頂に貼られていた。迷った当の本人が貼紙を作りそこに掲示していた。ご本人が来られて貼ったのかどうかは分からなかったのだけれど、きっとそうしたのだろうと思った。

道迷いのお知らせ

道迷いのお知らせ

四国らしいというか、とてもありがたい「お接待」だった。普通はそこまでしないと思う。自分が道迷いしたからと言って、わざわざもう一度迷った地点にやって来て、次の人たちのために注意書きを残す。「茨木市 ○○」と書いていたので、四国の人ではないのだ。

迷いそうにない場所でも人は迷う。例えばその日の朝のボクがそうだった。簡単に反対方向に進んでしまう。睡眠不足や疲労が方向感覚を鈍らせる。道迷いだけではなくて、事故もそうやって起きる。結願ということで前しか見えなくなる場合もあるだろう。気持ちが焦ってしまうこともあるだろう。そう思った。

自動車道に出てそしてまた山道に入った。もう下りだ。少し行って番外霊場、八十八番奥之院胎蔵峰への道が分かれている。右折してその道へ入った。200メートルほどの距離にあった。9時00分到着。誰もいない、そして風の音と木々を揺らす音しか聞こえなかった。

最後のくだり、直下に大窪寺

最後のくだり、直下に大窪寺


この高度感。落ちる、あるいは産まれるという感じ。そういう順番を歩くことになる。女体山、胎蔵峰、大窪寺なのだから。死に、そして生まれ変わる。

9時20分出発。打ち戻って、今度は一気に300メートルを大窪寺まで下ることになる。階段が敷設されていた。直下に八十八番大窪寺が見えた。感動し興奮した。なにかを完遂したという感覚ではなくて、やっと辿り着いたという安堵感のようなものだった。

そこは確かに結願寺ではあったのだけれど、終点ではなかった。そういうこともあってか、寺の境内に降り立った時には何か出発する時のような気持ち、少し緊張して喉が渇いて、そして鼓動が早くなるような感じだった。

9時40分着。
広い境内だった。本堂に行き、そして離れた大師堂に行った。金剛杖が奉納され「宝杖堂」(ほうじょうどう)には数千本、いやもっとかもしれない金剛杖が並んでいた。ボクは奉納しなかった。まだ高野山があった。そこまでは同行二人だろうと考えていた。

「万感胸に迫るものがある」と言われるようなものはなかった。女体山山頂や、胎蔵峰からの下りのほうがその感覚があった。たどり着いたら、次のことを考え始めた。高野山、その前に一番札所霊山寺へのお礼参りがあった。

終わりではなかった。
「人生即遍路、そして、人生なお即遍路」と日記に書いた。多くの遍路も、そういった気持ちを持つのだろうと思った。そしてまた始めるのだろうと思った。それが遍路なのだろうと考えていた。

大窪寺宝杖堂にて

大窪寺宝杖堂にて