Tags: 石手寺

遍路とは(33日目の2)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

その老人はボクの前に立ちふさがるようにして言った「どこに行くんだ、こっちはまだ回ってないだろ」と。石手寺、お山四国八十八箇所はその名の通り、その山だけで四国遍路八十八か所巡礼が出来るように札所ごとの仏様を奉っている。老人が言った「まだ回ってない」というのは、ボクが素通りをしていることに対しての忠告のようだった。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

ボクは驚いて「太山寺の遍路道はここではないのでしょうか」と訊いた。すると「ここは違う」と言った。そんな遍路道はないと言った。ボクは地図を見せて「この道ではないのでしょうか」と聞いた。すると老人は怒ったように「わしは80回ほど遍路をしている、そのわしが違うと言ってるんだ」と言った。ボクは「そうですか、すみません」と引き返そうとした。そうしたら「待て、お礼はちゃんとするもんだよ。ありがとうございましたとな」と気をつけの姿勢をとって「こうするんだよ」とばかりに頭を下げた。

ボクはその通りに「ありがとうございました」と言って、面倒なのでそのまま来た道を引き返した。そして山門を通って県道に出た。「なんなんだろうなあ、あのジジイ」と、なんだか少し怒りがこみ上げてきた。「あの道のはずなんだけれど」と考えていると、自分が毎日のように回っている「八十八か所」を素通りする同じ遍路に対して、その巡礼の本質への問いかけだったのだろうと、考えた。

大きい小さい、長い短いなんて秤で計れるものが遍路ではなくて、祈る気持ちが遍路なのだろうと。それを計ることも出来なければ、評価することも出来ない。出来るとしたら本人だけなのだから。

その老人にとってお山八十八箇所は聖地なのだろう。それを同じ遍路が素通りすることに対して疑問や怒りを感じたとしても、なんら不思議ではないように思った。その日はもう何人もあるいは何十人も老人を追い越して素通りして山を抜けていったのかもしれないと思った。そうしたら、なんだか悪いことをしたように感じた。少しだけ時間をかけて、あの老人の聖地を巡礼すべきだったと思った。それが仏に対しての礼儀だったかもしれないと考えた。

虚しい気持ちでいっぱいになった。道後温泉だった。温泉に入ることや、なにか食べることも打ち消してしまった。どこかに歩いていることや野宿いていることへの驕りがあったのだろう、そう思った。どこかに遍路という「ハレの日」を感じていたのかもしれない、そう思った。写真を撮られて、お接待を受け、手を合わされ、許される、それら全てが傲慢な、そして驕溢した態度となっていたのではないか、と考えた。

そして歩いた。歩きながら1日目からのボクの行動を振り返っていた。2時間ほど歩いたところで蓮華寺、そして196号線に出た。松山市内から山田池、吉藤池経由でやって来ていた。うまく処理できないまま歩き続けた。それが遍路だとも思った。いつか、あのお山八十八箇所を巡らなければなんて思った。帰るということなのだろうと思った。

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火



繁多寺、石手寺(33日目の1)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

日尾公園の夜は静かだった。寒さも前日の久万の雪の夜に比べればなんともなかったし、使い捨てカイロが効いていた。それでも何度か目がさめて、そして眠って、それを繰り返す夜には違いなかった。

日尾公園から

日尾公園から

テント内の結露がひどかった。正確にはテントではなくてシェルターなのだ。その15デニールという極薄の生地に防水コーティングをしていて、気密性は良いのだけれど透湿性を犠牲にしているために、天井と入り口にベンチレーターが装備されそこから外気が入ってくるとしても結露はする。800グラムという軽さと引き換えた不自由さなのだけれど。

6時10分に起きて、テント内の結露を拭くことからその朝は始まった。完全には乾かない。それに地面に設営したので中だけではなくて、グラウンドシートのほうも濡れていた。強引にスタッフバックに詰め込んだ。パッキングを済ませてから洗顔した。それから出発。7時10分だった。少し遅い出発になった。

そのまま近くのファミリーマート南久米店でサンドイッチとほっとゆずを買い、駐車場で食べた。松山市内ということもあって、非常食や予備の食べ物は持たなかった。朝の通勤通学ラッシュの道を歩く。

7時40分、五十番札所繁多寺到着。納経が終わり境内のベンチに座り少し休憩。8時20分出発。9時00分五十一番札所石手寺着。とても大きなお寺で迷子になる。迷子というか、大師堂と本堂が分からなくて、結局4か所で納経する。日曜日でもないのにすごい人出だった。石手寺ではなくて人出寺だなあ、なんて思った。

その人の多さと広さに驚きながらも納経所で墨書、朱印をいただいた。「仏教、涅槃への道」という冊子もいただいた。その日は(いつもかもしれないけれど)餅のお接待をしていて、あん餅をひとついただく。

小学生の女の子から声をかけられた。
「あのお遍路さん」
「なに?」と言った。
「写真を写していいですか」と訊いてきた。その後ろで母親も頭を下げていた。ボクは「ああ、良いよ」と少しポーズを取ってその少女のファインダーを見た。混雑していた境内なのだけれど、遍路の姿は2、3人だけだった。それを考えると、異様な姿なのかもしれないと思った。それに松山市内は都会なのだ。

9時40分出発。石手寺の「お山四国八十八箇所」を抜けて松山市内道後温泉に出るルートを取った。階段を登るとその「お山四国」はあった。ボクはそのまま素通りしていた。すると「どこに行くんだ」と声がした。老人がこちらに向かって急ぎ足でやって来た。

繁多寺の弘法大師像

繁多寺の弘法大師像