Tags: 焼山寺

時雨て霞む徳島の街(4日目の2)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

住むだけ、あるいは遍路として四国に滞在するだけならば、四国は優しく包容力のある場所だと思う。一笠一杖の旅姿さえしていれば、お遍路さんとして公認される。そして無料の宿泊施設や野宿場所やお接待という待遇を受けることができる。旅ということに何かを求めるとしたら、四国は生温い気もする、そのことを前のエントリーに書いた。

歩くことが遍路である、としたら、歩くことはつらい。毎日30キロも40キロも歩くということは悲しいほどつらかった。そして野宿ということがさらにその距離を長くした。たとえ四国が優しく包容力のある場所だとしても、いとも簡単にねぐらが見つかる、ということはなかったし、都市化した街ではさらにそのことを難しくした。そして何よりボクはまだ「善根宿」や「通夜堂」と言った無料の、あるいは低額の宿泊施設の存在を知らなかった。

鬼籠野へ歩いていた。空は雨を予感させていた。山あいの道は寂しかった。車とすれ違うことがとても不自然に思われる程の佇まいだった。辺境、言い方は悪いかもしれないが、ボクにはそう感じた。30分で徳島市内へ行けるほどの距離だとしても、ボクにとっては半日がかりの辺境であることには変わりはなかった。

ボクは鬼籠野を過ぎてオーロ喜来で道に迷った。ちょうど工事中だったことがボクの感を鈍らしたと思う。地図を確認しなかった。コンパスを出さなかった。へんろマークはあった。広野ではなくて一の坂越えの道、県道207号を歩いていた。

そしてそこから県立神山森林公園を通るはずだったのだけれど、大桜トンネルの手前の交差点でも直進してしまっていた。トンネル直前でその間違いに気付いたのだけれど、ボクにはその1キロに満たない距離を戻ることがムダのように思えた。そのままトンネルを抜けた。3つの選択が鬼籠野ではあった。そして選ぶ余裕もなく、そちらへ誘われたように進んだ。地図には「甲、乙、丙」という案内があって、その道は「丙」だった。その意味は分からないのだけれど、きっと「3番目の選択」という意味なのかもしれない、と考えていた。少しだけ後悔もした。いつものように。

その辺境の道は長く感じた。結局、南丁赤坂のへんろ道への左折場所も見過ごしてしまって、一宮の駐在署のある信号交差点まであるいてそこから左折して(ようするに打ち戻ることになったのだ)大日寺に着いた。雨が降り始めていた。「山中で降られなくて吉」と日記にメモしている。道の駅を7時に出て12時20 分に着いたのだから約5時間、ほとんど休まずに歩いたことになる。

大日寺を打って、常楽寺へ向かう途中一の宮橋の手前で雨脚が強くなる。ザックカバーを着けた。「キツイ」という文字が日記の中に目立つ。大桜トンネル越え、いや、昨日の焼山寺への山越えと下り、そして今日の山越えが、足にきていたのだろう。確かにきつかった。

常楽寺で雨の止むのを待った。14時20分発。雨は降っていたけれど、空の色は回復に向かうように思えた。歩いた。国分寺、観音寺で16時、井戸寺まで2 キロ。足は悲鳴をあげていた。ボクも時折声をあげた。「南無大師金剛遍照…」そして「このやろ~」と。もうどこでも良いから泊りたい、と思っていた。

井戸寺を打ち終えたのが16時50分だった。逆打ちでまわれれている人に「徳島市内なら送って行きますよ」と声をかけて頂いた。「ありがとうございます。歩いていますので…」と断った。本当は乗せてもらいたかった。「良いじゃないか、それぐらい」と思った。きっとそのおじさんも、思ったのだろう。こだわる理由はなんなのだろうと、そして何になるのか、と考えていた。

雨は止んでいたけれど、湿気を吸った雲が高度を下げていたし、もうそのまま落ちてくるのではないのかと不安に感じた。まだ降るのだろうと思った。

ボクは、ホテルに泊まることにした。「今日は風呂に入る。充電もする。そして寝る」と決めていた。徳島市内のビルの明りが、その欲望の光が、ボクを誘っていたし、雨の不安の中でのねぐら探しがきつかった。どこでも良かったのだけれど、温もりや安心というもの、文明に慰撫されたかったのだ。ボクはホテルを目指した。そう決めると、心も体も少し軽くなったように感じた。

朝食に前日買った赤飯オニギリとポリッピー、昼食にふんわりロールパンと柿の種を食べただけの胃は限界を訴えていた。

うしろすがたのしぐれてゆくか

山頭火48歳の時の句を口に出していた。なんのために人は歩き続けるのか、ボクは歩き続けるのか、と思っていた。いったい、この苦しみはなんに繋がるのかと考えていた。「神山、鬼門やで~」ではなくて、毎日が鬼門のようにも感じた。

十五番札所国分寺にて

十五番札所国分寺にて



そして神の山は焼けた(3日目の2)

In : 3日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/21

焼山寺を打ち終えて、結局食料もないということで鏡大師経由を諦めて神山経由を選んだ。当初は鏡大師経由という計画だったのだ。藤井寺から焼山寺、そして鏡大師、広野、国道192号までの道には食料を確保できそうな店が、地図上には存在しなかった。そのことがボクを神山経由にさせた。それに16時から玉ヶ峠越えには自信がなかった。自信、というよりも、怖かったのだけれど…。

神山の町並みを見たときに、ボクは一日中山の中だったこともあったのだろう、ホッとした。安心した。もう大丈夫、と思った。焼山寺山は霊験あらたか、何か不思議な力が宿っているように感じていた。途中に見たイノシシの皮を吊るしていた畑の光景(きっとイノシシ避けなのだろう)とか、深山幽谷、誰にも逢うことのなかった山間の集落、そして疲労が少し感覚を麻痺させていたのかもしれない。

ボクは少し怖かった。サンクスで都会を感じたとしても、その感覚は拭えなかった。なにかがいるような、あるいは、ボクになにかが憑いたような、何かを感じていた。その感覚は徳島市内に入るまで消えなかったのだけれど…。

サンクスで食料を調達した。そして夕食もその都会、あるいは文明を感じさせる場所で済ませた。なによりも山を焼くような夕陽がクライマックスを迎えていたのだ。少しボクの感覚は麻痺というよりも、平衡感覚をなくしていて、そしてそれが恐怖という感覚に繋がっていたのかもしれない。

焼山。山は焼けていた。きっと弘法大師も同じ光景を見たのだろう。その地形が出来た時から、山が焼け、そして町が赤く染まる。人々はその光景に神を、あるいは仏を見たのだろう。神山。
焼山寺の夕焼け
夕食の野菜サンドとまるごとソーセージを食べたボクは、道の駅を目指した。クライマックスを終えた西の空には夜が段取りよく忍び込んでいた。暗い道を歩いた。とてつもなく長く感じた。1時間にも満たない時間、夜を歩くのはそれだけで感覚を麻痺させた。長く感じた。

ボクは道の駅に着いた。東屋に腰を下ろした。もう動けなかった。それは毎日のことだった。力を残さないでねぐらへと辿り着く毎日。その日もおおよそ10時間は歩いていた。

*藤井寺~焼山寺
*道の駅温泉の里神山

*(出費)
・サンクス神山町店
野菜サンド 280円
まるごとソーセージ 121円
赤飯おにぎり 130円
ふんわりロールマーガリン 105円
ポリッピー 103円
柿の種 105円
アサヒサンジャポスポーツドリンク 98円
ガム 120円
・自動販売機
スポーツドリンク3本 450円
缶コーヒー 120円

合計 1632円



転がされずに焼山寺(3日目の1)

In : 3日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/21

まだ3日目。その3日間が特に長く感じた。慣れていないということもあったのかもしれない。余裕もなかったのかもしれない。ただ歩くことだけがボクの全てになっていたし、相変わらず慌しい風景との関係をなんとかシャッターを押すということで保っていた。そのことがなければ、ボクは漫然として点と点を繋ぐという巡礼になっていた、と思う。

まだ3日目。3日前までのハイカロリーの食事が胃や腸、そして血液、筋肉、細胞組織の中に、その栄養素をたっぷりと残していた。ボクはその貯金で動いているようでもあった。

そういう意味では「へんろ転がし」と言われる焼山寺への山越えは、ボクにとってはそれほど「転が」されるほどのものでもなかった。山登りをしたことのない人にとっては、あの3つの山越え、それも急登の高低差はキツイと思うけれど、それでも頂上があり下りがあり、先が見えるということは、精神的には「楽」なのかもしれない。それよりはその後に待ち受けていた札所と札所の長い距離や、膝を痛めた後の足摺までの行程のほうが「転がし」だったし「地獄」だった。

その日の行程は

06:10 へんろ小屋発
07:00 藤井寺着 朝食(おにぎに)
07:30 藤井寺発
10:30 柳水庵着 昼食(柿の種、スニッカーズ)
11:10 柳水庵発
12:00 一本杉庵着
12:15 一本杉庵発
14:10 焼山寺着
14:40 焼山寺発
15:10 杖杉庵着

そしてサンクス神山町店に17:00前に着いた。

転がされなかったのだけれど、やはりあの急登は疲れた。藤井寺から長戸庵、柳水庵への登り、そして最後あたり、は、転がされそうになったのだけれど、やはりまだ3日目、体力は残っていた。残っていたのだけれど、そこで使い果たしたのかもしれない。サンクス神山町店から道の駅までの道程で足は「足はこれまでで一番、たぶん一生で一番痛かった」と日記に書いているほど、痛かった。

サンクス神山町店でボクは夕陽を見ていた。ねぐら探しがまだ残っていたのだけれど。

柳水庵から浄蓮庵への途中で

柳水庵から浄蓮庵への途中で