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歩き遍路は幸せですか?(11日目の4)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

歩き遍路の人たち、通し打ちで40日から50日かけて歩き続ける人たちは、幸せなのだろうか、と思う。その長い時間、歩いて四国を巡礼する時間があるということ、そしてその体力があるということ、そのことだけを考えると、幸福なのかもしれないけれど…。

50日間もの長期休暇を取れる人というのは限られるだろう。出会った人たちの多くは定年後の人か失業中の人だった。ボクも失業中だったので時間はあった。

定年後の人たちは、例えば「遍路をしたい」と発心しても、60歳を過ぎて1200キロもの長距離を歩き続けるという体力がある人は限られてしまうだろうと思う。

失業中の人たちは、金銭的に少し余裕がないと50日プラス前後の日数、2ヶ月という時間を旅に費やせないだろうと思う。それが旅館やホテルに宿泊する遍路だとしたら、数十万という(約50万円ほど必要らしいのですが)金額を使える余裕がある人は、また限られるだろうし。

どちらも無職の人たち。プロ遍路の方たちも無職だから、歩き遍路は無職の人がほとんど、ということになる。そしていろいろな理由から歩き始める。例えば何かを求めて、例えば傷を癒すために、例えば供養のために…。そこには幸せとは少し違った、満たされない心があるのかもしれない。

26番札所金剛頂寺に着いたのは12時を少し回った頃だった。「つかれた」と日記に書いているほど疲れていたのだろう。納経をしてお寺のベンチで休憩をした。少し長い時間を過ごした。おにぎりをひとつ食べた。

13時00分出発。「13時になったら動くぞ」と気合いを入れての出発だった。下半身の筋肉全て疲れているように感じていた。朝、動き始めて8時間が過ぎていた。山道を下って国道55号線に出た。吉良川の休憩所にて休憩した。14時を少しまわった頃だった。

室戸の登り口でいただいたホテルなはりの500円割引券は大事にザックの中にあった。それを取り出して、見た。もうホテルに泊まるということだけが頭の中にあった。というか早く横になりたいと思っていた。公衆電話を探してホテルに予約の電話をした。「吉良川からですと、約3時間みていただければ」と言われた。14時30分だった。「17時30分、18時前かあ、暗くなってるなあ」と思った。

ホテルなはりに向かって歩き始めた。500円割引券、ボクはそれに動かされていた。

金剛頂寺から
金剛頂寺への遍路道から室戸



痛みは快感になりますか?(11日目の3)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

遍路をして何か変わったのだろうか、なんて考えていた。というよりも遍路中も「何になるんだろう」と思っていた。どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのかと。雨の日には特に思った。ねぐらの決まらない夕方も思った。坂道でも思った。そして叫んだりもした。金剛杖に当たったりもした。

「プロ遍路はきっとMだね」なんて考えたりもした。野宿したり、酒を飲まなかったりすること、それが何になるのか、聞かれても、答えることが出来ない。達成感のようなものはあったにしても、変化なんてものはなく、まして御利益なんてものは、今のところ一切ないように感じる。想い出だけはたっぷりとあったとしても。

室戸までの3日間は確かに長かった。それでも海がある風景は、それが司馬遼太郎の言う「地の涯であろうというそらおそろしさを感じさせる」場所であったとしても、開放感はあったし、そのことで気持ちも明るくはなった。森や山の中の、あの薄暗い風景のほうが、恐ろしさを感じた。なによりも海岸線にはねぐらがあった。

24番札所最御崎寺を8時30分に出発して、室戸の街へ降りて行った。急峻な山坂は橋によってスロープになっている。それでも落ちて行くという感じがするほどの勾配だった。その日は風が強くて、いや、室戸はいつも強風が吹いているのかもしれないけれど、肌寒い朝だった。

1枚目のSDカードが坂道の途中で終わる。その時点で撮影した写真は770枚になっていた。

25番札所津照寺の手前のYショップに寄った。食糧もなかったし、お腹も空いていた。Yショップ前のベンチで、まるごとソーセージとツナマヨ、梅のおにぎり2個を食べた。10時になっていた。乾電池を買って携帯の充電器に入れた。少し充電できたところで、メールチェックをした。そのメールだけが、ボクの会話のようにも感じていた。遍路としてのボクではないボクとしてのだけれど。

津照寺に11時前に着いた。いつものように納経をして納経所に行く。順番を待っていると関西弁のお姉さんに割り込まれた。ボクは何も言わなかった。割り込む以上にそこで呪いの言葉を口に出す方が忌まわしいことのように思った。心の中では「何考えてんだよ」と言っていたのだけれど。

そうしたらお寺の人が「順番は守ってください」とボクの代わりに言ってくれた。お姉さんは、何か言いたげに見えたし、そのことが態度に出ていたのだけれど、それに従った。そこで反論することでの不利益を、一瞬のうちに計算したのだろうと思う。そう言った計算をしてしまうのも、人間の弱さなのだろう。

彼女が車遍路でよかったと思った。歩き遍路だったら、この後もどこかで会うだろうし、その時に何を言えばいいのか、どういう顔をすればいいのか、となると気持ちが重くなるだろうから…。嫌な気持ちはどちらにもあったのだろうし…。

津照寺の階段を降りてボクは26番札所金剛頂寺に向かった。お寺は人が多かった。そのことはボクの気持ちも明るくさせてはいた。2日間、薬王寺から最御崎寺までは、数えるほどしか人と会わなかったし、言葉も交わさなかった。おまけに携帯も充電切れで、言葉も数えるほどしか話していなかった。御真言とお経だけは唱えていたのだけれど。

最御崎寺 仁王門 仁王尊
最御崎寺 仁王門 仁王尊



歩き遍路の恥ずかしい話(9日目の3)

In : 9日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/27

ローソン海陽町杉谷店の駐車場でサンドイッチの朝食を食べて、ボクは歩き始めた。しばらくしてヘンロ小屋第一号香峰があった。今まで見たヘンロ小屋とは違っていて、流しまであってそこで生活できそうな家だった。テーブルの上には「どうぞお飲みください」という手紙とオロナミンCが置いてあった。少し考えたのだけれど、いただくことにした。

「お接待」は断ってはいけないと言われている。それはお接待を行うことによって功徳になるということと、お接待を受けた人がその人の代わりにお参りをしてくれる、ということらしいのだ。要するに「情けは人のためならず」のような精神なのだろうと思った。

断るということがあると、お接待する方もなにかしらのプレッシャーを感じるだろうし…。断れれるということは、多少なりともダメージを受ける。例えば「好きです」と言うときのような、「金貸して」と言うときのような…。そんな感じの。

ヘンロ小屋には20分ほどいただろうか。ボクは歩き始めた。

JR海部駅から先は、阿佐海岸鉄道阿佐東線という第三セクター鉄道が、高知県東洋町の甲浦駅までの8.5㎞をつないでいる。山側を時折一両編成の電車が走っていた。空と海、山という景色を少し近代的なものにしていた。

宍喰の手前の海岸で休憩した。おにぎりを2個食べた。食べ終わった頃に正午を告げるサイレンが鳴った。足の豆の治療をしたし、海をただ眺めていた。眺めることにあきたので立ち上がった。「よいしょ」と声を出した。そして歩き始めた。

道の駅宍喰の前はそのまま素通りした。すぐ横にあるホテルが少し威圧的に感じられていたからかもしれない。その先にあるヘンロ小屋で、ボクはまた休憩した。墓場の横にあるヘンロ小屋だった。そういう場所が似合っているようにも思えていた。死に装束をまとった遍路にとって、そこは不自然な場所ではなかった。そして四国に来る前のボクと言えば、もう半分死にかけていたのだから。

ボクはそのヘンロ小屋に荷物を下ろした。13時過ぎだった。もう少し遅かったら、その日のねぐらになったと思う。おにぎり1個とソーセージを食べた。少し眠くなっていた。ボクは国道を見ていた。呆然としていた。

するとKさんがやって来た。国道とヘンロ小屋は少し離れていたので、Kさんは小屋までは来なかった。ボクに聞こえるように「先に行ってるよ」と叫けぶように言って、先に進んで行った。きっと道の駅で休憩している間にボクが追い越したのだろうと思った。

しばらくすると、懐かしいシルエットが見えた。勝浦で会ったおじさんだった。ボクは手を振った。おじさんはボクのことが分からないのか、少しヘンロ小屋に近づいてからやっと手を振りかえしてくれら。そして小屋にやって来た。

懐かしかった。2日間が懐かしく感じた。その間のことを話し合った。おじさんは、昨日のお昼頃に薬王寺に着いて、どこかのドライブインで昼食バイキングを食べて、そのまま歩いて鯖瀬の鯖大師の通夜堂に泊まったとのことだった。そして今日は宍喰にお昼前に着いてホテルの温泉に2時間ほどいて、今出てきたところだ、とボクに話してくれた。

「休憩室で寝てたよ。そこの温泉は良いよ。久しぶりだったしね」
「そうですか。ボクは昨日、田井ノ浜で水シャワー浴びたんですよ」
「寒かっただろ」
「そうですね。室戸までどうなるか分からなかったもんで…」
「今日はどうするんだ」
「まだ決めてないのですけれど、温泉入って来ようかなあ、って今、それは決めました」
「それが良いよ、それが良いよ」
と繰り返したのをハッキリと憶えている。

おじさんは立ち上がって「じゃあ、先に行ってるね」と小屋を後にした。ボクもすぐに立ち上がって「はいお気を付けて、またです」と言った。そして「ホテルリビエラししくい」に向かった。

入湯料は600円だった。気持ちの良い風呂だった。
ホテルリビエラししくい

平日の午後2時にしてはお客さんが多かった。その人たちの視線が少し気になった。一見さんだから珍しいのかな。なんてことも考えた。更衣室で白衣を着替えていて遍路だと分かっているから、それも珍しいのかなあ。それにちょっと茶髪だし…。普通はもっと真面目っぽいのかねえ…。

とボクは洗い場に行った。鏡に映ったボクを見て、ボクは「うっ」と声を出した。徳島で毛を剃っていたのを忘れていた。ボクの陰部はパイパン(というのだろうか、パイチン?)だった。少しだけ、ほんの少しだけ生えていたのだけれど、それが逆に「剃った」ということを証明していた。

ボクは恥ずかしかった。だけれど「遍路だしね」なんて考えた。きっと剃毛ってのは頭髪だけではないはずだし…。でも「あいつ女癖が悪くて、それが原因で遍路になったのかもよ」なんて思われてないかと、あるいは「ケジラミだよ」なんてことも…。術後なんてことは思われないだろうし、生えているのだから体質でもないだろうし…。

それからボクはゆっくりも出来ないで、早々と出てしまった。風呂場ではあまり堂々とするものではないね、と思った…。僧侶は剃毛するのだろうか。う~ん。

ヘンロ小屋宍喰、道の駅宍喰温泉
ヘンロ小屋、墓、道の駅



コンビニ巡礼(7日目の1)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

5時30分起床。同じ頃におじさんも起き出した。ママチャリ遍路の女性ふたりもテントの中から声が聞こえていた。洗顔をする。缶コーヒーを飲む。朝食は昨日お昼にローソンで買っていたおにぎり2個。賞味期限はとっくに過ぎていた。

無口に、そして少しの気恥ずかしさを伴って、朝の時間は流れてゆく。ゆっくりとすべり落ちてゆくように景色は変化する。

おじさんは6時すぎに出発した。「またどこかで・・・」と挨拶をした。

6時30分、その勝浦のヘンロ小屋を出発。ふたりは食事の準備をしていた。「もう、きっと会うことないね」とボクは言った。
「鶴林寺で会えるかもしれないですよ」
「そうだね・・・。じゃあ、またね」
「はい、お気をつけて」
「あなたたちもね」
と、ボクはサンクスへ向かった。(このあと鶴林寺手前の山道で、彼女たちが自動車道の坂を下って大龍寺に向かうのが見えた。「会う」ことはなかった)

札所巡り、そしてコンビニ巡り。毎日のように1度はコンビニを利用した。一日に数度ということもあった。買い物だけではなくてトイレも使わせていただいた。トイレを使うということは、何かを買うということだったのだけれど・・・。

コンビニがなかったら、歩き遍路はさらに困難になると思う。へんろ道沿いには商店が少ないし食堂も少ない。もしかするとコンビニが出店する前までは営業していた店舗もあったのだろう。お寺でトイレや水の確保はできても食料の確保はできない。参道に商店が並ぶところでは、食堂があるのだけれど。

またゴミの処理にも困ると思う。買い物、トイレだけではなくて、ゴミを捨てるためにコンビニに寄る。山道が多いへんろ道ではゴミ箱がほとんどない。コンビニがないとゴミを一日中ぶら下げて歩くことになる。民宿に泊まる人たちはそこで捨ててもらえるだろうけれど、野宿する人たちはゴミと寝ることになる。

普通の商店には店頭にゴミ箱がないし、お願いすると言うわけにもいかないし、やはりコンビニのあの店員との距離感みたいなものが楽なように思う。ゴミもトイレも水も、そして道案内も・・・。

へんろ道のところどころに、

遍路の旅で人生を見つめ直したい。そんな人々が全国から集まる四国八十八か所の札所巡りに、異変が起きている。ごみを路上にポイ捨てする遍路がいるかと思えば、山間部では不法投棄された粗大ごみが遍路を出迎える。「癒しの道」とも言われる遍路道だが、地元では「このままでは『嘆きの道』に変わってしまう」と心配する声も上がり始めた。

というゴミ問題を扱った新聞記事が貼られていた。

「ゴミは持ち帰る」という看板を見ても、歩き遍路、それも野宿旅だと「どこに持ち帰るんだよ~」と考え込んでしまう。結局、コンビニのゴミ箱を利用するしかなくなる。

食べる、そして排泄する、ということを繰り返して、そして歩いているのだけれど、ボクはコンビニの看板を見つけると、なんだかホッとしたし、路傍の丁石や仏、あるいは札所に辿り着いたほどの喜びを感じた。そういう意味では歩き遍路はコンビニを巡るのかもしれないと思っている。

ボクはサンクス勝浦町店に入った。「いらっしゃいませ」と言う声に心が慰められる。全てあることで不安が解消される。設定された心地よい室温が痛みを解放する、ように思えていた。「コンビニで涅槃を思うへんろ道」なんて日記に書いていた。

コンビニを打ち終わって、いや買い物を終えて、ボクは鶴林寺へ歩き始めた。

鶴林寺への丁石
「右 観正寺、中 鶴林寺、左 里道」そして「後 サンクス」なんてのはないか。



お遍路さんはいつも空腹なのだ(2日目の1)

In : 2日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/20

朝、犬の(犬を連れて人の?)散歩の人の声で目が覚める。
「しまった」もう明るい、6時30分、急いで撤収、寝袋を丸めてスタッフバックに押し込んで、パッドを丸めて、ザックに収納して、歯磨き洗顔…。その間30分、もう隠れ場所がないほど明るくなってしまっていた。

出発。と、犬を連れて散歩中の女性に声をかけていただく。「おはようございます」

「安楽寺さんですか?」
「はい」
「近道があるのでそっちを行かれたら早いですよ」

と、へんろみち保存協会発行の地図には掲載されていない道を教えてもらう。教えてもらったのだけれど、地図にない道を歩くという不安。そういった不安は、いつも、その後地図にない道を教えてもらう度に生じるようになる。信じられないというのではなくて、地図にないことによって位置が確認できないということの混乱、そういった感じの不安、不安定感のようなものから、歩く速度が早くなったりもした。

結局、上板町役場の交差点に出て次の信号交差点からへんろ道に入った。そのあたりに出る道を教えていただいたように思う。ハッキリしないから「思う」ということなのだ。

安楽寺、十楽寺と打つ。八番札所熊谷寺への途中で30分休憩する。肩が痛い、腰が痛い、足は豆はできていないのだけれど、痛い。頭痛もしていたので、鎮痛剤を服用。朝食もとっていないのでお腹も空いていた。10時40分出発。快晴、半そでに白衣、ザックを背負った背中は汗で濡れていた。

熊谷寺、法輪寺、切幡寺と打った。朝食もだけれど昼食もとれないでいた。タイミングというか、食堂も少ないし、コンビニもなかったので、そのままになってしまった。歩いていると、そういうことが多い。へんろ道から1キロも行けば大通りだったり、食堂やコンビニがあったりするのだけれど、その1キロを歩くということが難しい、遠い。

切幡寺の門前「ふじや」にて遅い朝食兼昼食。月見うどん500円をいただく。ポン菓子(スウィートライスとか言ってたかな)をお接待でいただく。

14時30分、藤井寺まで9キロメートル……。

明日は最初の難関、焼山寺までの山越え「遍路ころがし」が待っている。法輪寺でお坊さん(巡拝ツアーで引率していた)から「今日は藤井寺までがんばって行って、そのへんで野宿して、早朝から焼山寺を目指しなさい」と言われていた。とにかく早朝には藤井寺にいなければならなかった。

潜水橋
藤井寺までまだまだ6キロ。