Tags: 歩き遍路

そして雨の中青年は通り過ぎたのだ(30日目の1)

In : 30日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/17

ひと月が過ぎた。ちょうど30日目。季節は秋から冬へを移ろうとしていた。晩秋というよりも、初冬という感じの朝夕だった。

5時30分起床。少しボーっとして、6時に寝袋から出る。準備、そうしていると、自転車の男も起きた。「おはようございます」と挨拶をして、準備を続ける。「早目に出発して方がいいですよ。少し遅れているようだし」なんていわれたので、「そうですね」と答えた。

6時30分出発。霧深し。
サンクス宇和れんげ店、昨夜利用したところでトイレを借りて、洗顔をする。へんろ小屋には水場がなかった。それから買い物。どこか座ってと思っていたら、霧も深くて、座るところもなかったので、そのまま歩きながら惣菜パン2個を食べる。

宇和町瀬戸あたりにて

宇和町瀬戸あたりにて

鳥坂隧道手前の坂道の途中で、二人連れの遍路さんと、もうひとり朝ボクを追い越していったおじさんが朝食の弁当を食べていた。3人ともボクが泊まったへんろ小屋の先、宇和パークホテルに宿泊していたそうだ。二人連れのおじさんたちは6時前に出発したとのこと。

少し話して、先に出発した。雨が少し降り始めた。鳥坂峠の遍路道を通らないで鳥坂隧道を抜けた。長いトンネル、反射タスキを掛けて歩いたのだけれど、歩道がなくて怖かった。

トンネルを抜けてしばらくすると、自転車の元遍路に追い抜かれた。そして少し行った道の駅でまた男に会った。男はラーメンを作っていた。そして再度別れを告げた。この先もう一度見かけるのだけれど、その時は反対車線を通り過ぎて行った。ボクはそのまま歩いて札掛大師堂の下にあるラーメン屋の駐車場で休憩した。雨は降り続いていた。9時30分。

ココアを飲んで、膝のテーピングをし直して9時45分出発。雨が少し強くなっていた。レインウェアのパンツを着るかどうか迷っていた。北只南交差点の手前で右折、橋を渡って国道441号線を行くのが遍路道だった。雨。ひとりの青年に追いつかれる。「この道で良いんですよね?」と訊ねてきた。「うん、良いはずだよ、地図は?」「持ってないんですよ、携帯があるんで」と青年は答えた。そして青年はレインジャケットを着ていなくて、ダウンジャケットを羽織っていた。濡れていた。

「大丈夫なの」とボクは言った。
「はい、大洲から電車で行きますから」と答えた。

なるほど、そういうスタイルなのか。それで歩き、それに野宿のようだけれど、軽装なのだ。そして青年は「お先に失礼します」と歩いて行った。伊予大洲駅まであと3キロという位置だった。

そして青年は大洲へと歩いて行った

そして青年は大洲へと歩いて行った



33日で一周した遍路の話(29日目の4)

In : 29日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/16

17時少し前に西予市役所そばの郵便局に着いた。間に合った。途中卯之町の町並みをゆっくり見ることもなく、走るように通り過ぎた。走り遍路…。それから国道56号線を北上、17時30分東洋軒駐車場にあるへんろ小屋宇和に着く。もうすでに暗くなっていた。夜が日毎に早くなる気がしていた。そして寒さも増している。

香炉灰に線香、これだけ見ても美しいと思う。

香炉灰に線香、これだけ見ても美しいと思う。明石寺にて。

荷物を置いてその先のサンクスに買い物。18時、ミニタワラランチとシーフードヌードルの夕食。日曜日のレストラン東洋軒は賑やかだった。へんろ小屋のすぐ横に、前に駐車して、家族が恋人たちが食事に向かい、そして戻ってくる。幸せがそこに溢れていた。そしてボクは静かにそんな声を聞いていた。それも修行だと思った。幸せとは、日曜日の夕方に具体化する。ひとり、サザエさんを見ていたあの頃を思い出す。サザエさん症候群と言われる、期間工たちの日曜日の夕方を思い出していた。

19時になって寝袋に収まる。と、自転車で旅をしている男がやってきた。「こんばんは、誰か来たら違うところに泊まりますから」とその男は言った。へんろ小屋に遍路ではない人が泊まることは、良いことではないのだろう。男はそのことを言っていた。

「僕も遍路だったのですよ」と男は話し始めた。「33日でまわりました」と、そしてその後に痛めた足や疲れた身体を癒して、自転車を買って、もう一周回っているとのことだった。「遍路のときは名所をみることもなく観光をすることもなく、ひたすら歩きましたから」と男は言った。

昼夜歩いたそうだ。そして納経もすることなく、とにかく寺のある場所を巡ったそうだ。それも遍路なのだろう。だから男は菅笠も金剛杖も、まして納経帳も納め札も持っていなかったそうだ。

「スタンプラリー」と表現した、そしてよく表現される巡礼への懐疑から、そういった遍路のスタイルをとる人も多い。あるいはプロ遍路の多くもそういったスタイルだ。巡礼というよりも停滞、あるいは逆に、飛ばして、とにかく四国にいることを目的とする。

男は自分のスタイルでの旅、33日間がどれほど大変だったかを説いた。そして自分がこの一年旅を続けているということを説明した。40を前にしたその男と、0時前まで話をした。というか、22時過ぎたら男の話を聞くだけで、ボクは眠くてしかたなかった。すこしうんざりしていた。男の話にも興味を持てなかった。

どういうスタイルでもいいのだけれど、その善悪を説いた時点で終わりなのだ。

0時少し過ぎに寝た。雨が降っていた。少し寒い夜だった。そして長い1日だった。

国道沿いのへんろ小屋では、夜眠れない

国道沿いのへんろ小屋では、夜眠れない

*宇和島市~西予市宇和町
*へんろ小屋宇和泊

(出費)
・サークルK和霊店
ミニタワラランチ 295円
スナックパンチョコ8P 128円
(小計 423円)

・サンクス宇和れんげ店
ミニタワラランチ 295円
シーフードヌードル 168円
(小計 463円)

・自動販売機
缶コーヒー×3 360円

(合計 1246円)



女遍路ひとり旅、怖くないですか?(29日目の3)

In : 29日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/16

仏木寺を12時40分に出発して、遍路道は建設中の松山自動車道の横を通りながら、歯長隧道手前から歯長峠の登りになる。県道からの入り口を少し登ったところに歯長へんろ小屋があった。30分ほどの歩行時間、13時10分着。

見ると、宿毛ですれ違った、そして龍光寺で見た「同じ靴を履いていた」女の子がいた。外のベンチに腰を下ろし日記をつけているところだった。「こんにちは」とボクがいうと、「あ、こんにちは」と答えてくれた。

「雨が止んでよかったね」
「そうですね、昨日も降られて」
「宇和島から?」
「はい」
「宿毛で会ったよね?えっと延光寺で、夕暮れに」と話を始めた。
彼女は前日、雨が降り出したのでバスを使って宇和島入りしたそうだった。それでボクを追い越したのだ。区切り打ちをしているということで、今回も1週間の休みを使って回っているとのことだった。

彼女が出発した。「じゃあ、また」「ええ、追い越しちゃってください」「無理かも」なんて話して、それからボクは昼食のスナックパンを食べた。13時40分発。

同じ靴履いていた女の子

その同じ靴履いていた女の子

30分ほどして彼女を追い越した。そのときに写真を1枚だけ撮らせてもらった。「同じ靴だね」といったら「あ、本当ですね」「雨でぬかるんでたらグリップしなくてね」なんて言いながら別れた。それ以降、会うことはなかった。ひとり山の中で怖くはないのかと思ったのだけれど…。

14時30分歯長地蔵小屋着。少し休憩して出発、導引大師でまた少し休憩。大師堂で宿泊できるとのことだったのだけれど、まだ早い。15時20分、道中安全見守大師休憩所にて休憩。民宿みやこさんからがお接待で置いているみかん2個を頂く。15時30分出発。16時10分少し迷いながら四十三番札所明石寺到着。夕方が近づいていた。お金を降ろせないままだった。

16時40分、出発しようとしたら二人連れの男性がやって来た。「早かったですね」と言った。「急いだよ」ということだった。女の子を見なかったかと訊ねたのだけれど、知らないということだった。ボクは「それじゃあ、またです」と言って急いだ。日曜日、郵便局のATMも早く閉まるはずだった。56号線沿い、JRうのまち駅近くに大きい郵便局があるはずだった。サークルK、サンクスも地図に載っていたけれど。それにキャッシュカードも持っていたのだけれど、なぜだか急いでいた。ねぐらが決まってないというのも気持ちを焦らせた。

明石寺まであと一里

明石寺まであと一里



善根ということ(23日目の3)

In : 23日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/10

津呂善根宿の納め札

津呂善根宿の納め札


17時過ぎに善根宿の主人Kさんがやって来た。なにやら風呂のところで、先ほどの男性と話していた。風呂が炊けてないということらしかった。入浴後に食事という段取りだったのだろう、ボクのところへやって来て「じゃ、風呂の前に、食事に行きますか」と、ご自宅へ案内してくれた。

野菜炒め、ブリの塩焼き、野菜サラダ、そしてご飯だった。Kさんがご自分で作られたということだった。食事中に、少しだけボクのこれまでの遍路の様子を聞かれたので、大まかな行程を話した。そして「どうして遍路に」と訊かれた。

「前から歩いてみたいと思っていたのです。四国や熊野は元気なうちにと思って、失業したこの機会に、と思いまして」ということを初めに話して、さらにもう少し詳しく答えた。仕事のことや、母親のことなども話した。

食事が終わってから、ボクはひとりで善根宿に戻った。そうしたら「風呂に入って下さい」と例の男性が声をかけて下さったので、返事をして浴場へ向かった。横を流れる川の水を汲み上げて、薪で沸かすというものだった。天然水風呂、なのだろう。

ボクが入っている間も、その男性は「湯加減はどうですか」と声をかけてくださった。風呂から上がり、部屋に戻る。ドラム缶ストーブで暖まった部屋にはその男性がいた。「どうもありがとうございました」と言った。

「今日はどこから」
「ドライブイン水車からです」と答えた。それから今日のことを話して「こちらの方なんですか?」と尋ねた。

「あ、私も遍路なんですよ」と答えてくれた。
少し驚いた。ボクの世話をしてくれていたので、てっきりここの人、と言っても、善根宿で生計は立てられないだろうから、近所の人が手伝いに来ているとか、主人の親戚の方とかだろうと考えていた。「そうでしたか。それは失礼しました」と言った。

「いえ、ここに少しお世話になっているもので」と、その遍路氏は言った。もう数周巡わっているそうで、今回は津呂の善根宿に数泊停滞しているということだった。部屋には寝ないでテントに寝起きしていて、こうして遍路の世話をしているとのことだった。その代わりと言ってはなんだけれど、風呂やトイレの設備を使わせてもらっているのだろうと、思った。

宿泊代500円と言っても、それを払ったから客として長居出来るものではないと思う。それに善根宿自体長期滞在する場所でもないのだろうし。500円で管理できるか、というとこれもまた難しい話で、やはり善意、それも見返りを求めない、善が根本にない限り営むことは難しいのだろうと思う。

ボクたちは、人との関わり合いの中で、その人のために行動する時には心のどこかで何かを求めている、場合が多い。それは家族だろうが恋人だろうが、同じことのように思う。無償の愛、それが出来るかというと、とても難しいことのように考えていた。

その遍路氏とそして少し後にやってきて近所の人と3人で21時までいろいろなことを話した。今までプロ遍路たちにはあまり良い印象を持っていなかったのだけれど、その人の物静かな話し方や、けっして自慢しない内容は、聞いていて心地いいものだったし、かなり具体的なアドバイス、たとえば「時間があったら鹿島に渡ってそこのキャンプ場に泊まると良い」なんてことを話してくれた。

そしてその近所の人も、きっと接待ということでテレビもラジオもない善根宿での寂しさを紛らすためにやって来ているのだろうと思った。21時になったら「お開き」になった。ボクも横になりたかった。

ふたりが帰ってしまうと、またいつもの夜がそこにあった。

善根宿のベッドにて

善根宿のベッドにて

*レストラン水車~津呂善根宿
*善根宿泊

(出費)
・スリーエフ下ノ加江店
おにぎり赤飯 125円
たわらむすび弁当 350円
クリームツイスト5個入り 231円
ドデカソーセージ 118円
(小計 824円)

・善根宿
宿泊代 500円
食事代 500円
(小計 1000円)

・自動販売機
缶ココア 120円
缶コーヒー×2 240円

合計 2184円



車に乗った歩き遍路(14日目の3)

In : 14日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/01

13時少し前に三十一番札所竹林寺に着いた。
高須側からの遍路道は植物園のほうを登ってゆく。暖かい日だったので、坂道で汗をかいた。五台山公園には家族連れが多く来ていた。週末はどうも歩きにくい。人も車も多くなる。

13時40分発。五台山小学校側に下りる。14時。竹林寺~禅師峰寺~高知駅~雪渓寺というルートにしようかと迷っていた。それどころか「ユリさんには悪いけれど、またあらためて…」なんて考え始めていた。「どうしようか」と迷い始めた。ホッチキスに電話する。そして、またルートのことでもめた…。

10分ほど川沿いで考える。そして高知市内へ向かった。途中サンクス五台山店で道を尋ねる。高知駅までの大まかなマッピングが頭の中に出来た。だいたいの位置関係も理解出来た。歩いた。そして何度か道を尋ねた。

はりまや橋、そこでまた道を尋ねた。親切に教えて頂いたのだけれど、細かい場所を聞いても分からなかった。そして覚えられるものでもない。「○○町○○番地○○」、とにかく町までの道が分かればよかったし、それからは着いたところで聞くほうが正確だと思った。

そして○○町の近くまで来た。16時30分。あと1時間もすれば夜が忍び寄る。ボクは少し焦っていた。近くの商店に入って尋ねた。「○○番地にはどうやっていけばいいでしょうか」と言うと、親切にもゼンリンの住宅地図を持ってきて下さって、そして探してくれた。

地図上にはユリさんの家があった。まだ少し距離があった。「ありがとうございます」とボクが言い終わらない内に「あ、送っていきますよ」と…。ボクより 10歳ほど若いその店の経営者氏は、そういうともう駐車場のほうへ歩いていた。そして店の前に軽トラを横付けした。ボクは「お願いします。ありがとございます」と言って、荷台にザックを置いた。

「別コース、これは遍路とは違うのだから車に乗っても良いよ」と自分で自分に納得させた。車に乗ったことについて、今も特にどうだということも思っていない。

ボクは、かなり弱っていた。その時は、家を探すこと、道を尋ねることだけしか考えていなかった。例えば哀しみさえも、忘れていたのかもしれない。探すということ、だけが全てだった。

竹林寺にて

竹林寺にて