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四国一周の日(41日目の2)

In : 41日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/28

八十二番札所根来寺を11時20分に出発した。五色台みかん園まで打戻り、三叉路を左折、鬼無へ下っていった。急な下り坂が続く。「屋根のあるところで眠れる幸せ。水があることの幸せ。坂道をゆっくり歩けなくて笑った。」とその日の日記に書いているように、国分寺から一本松の登りと以上に急な坂だった。

根来寺から鬼無への下りから

根来寺から鬼無への下りから見える讃岐平野

高度を下げて、そして墓地を通り高松西高校が見える頃になると、平坦な道路になり、そして民家も増えてくる。自動販売機があると安心もする。そんな安心感からか、お腹が急に痛み出した。トイレに行きたくなった。そういえば4日間便秘だった。「便秘は便利だ」と前に書いた。ねぐらをトイレとセットで探さなくて良い。毎朝快便な人は、水よりもトイレの心配をするのだろう。健康なのだけれど、不便でもあるのだろう。

そのせいだろうか、とにかくお腹が痛くなった。歩きながら地図を見た。そして鬼無駅をめざした。県道33号線鬼無交差点を左折した。少し行くと駅があった。線路を跨ぎ歩道橋がある。それを渡り駅舎の横にあるトイレに駆け込んだ。12時35分

金剛杖を入り口に置く。(というのも、弘法大師の分身である金剛杖は不浄の場へは持って入らないとという作法があるからだ)そしてトイレのドアを開け入る。ザックを肩から下ろし、ドアに付いている荷物かけに掛ける。菅笠を脱ぐ。白衣も脱ぐ。それからベルトを緩め、ファスナー…。その一連の動作がとても長く感じた。青ざめていた、と思う。

少しトイレを汚してしまった。それほど緊急だったということなのだけれど。荷物をそのままにして、水筒として使っているペットボトルに手洗い場から水を入れてきた。そして掃除をした。何度か水を汲んできては流した。水洗便所ではなかったのだ。

人が来ないことだけを祈りながら、出たり入ったりを繰り返した。そして掃除が済むと駅を後にした。12時55分だった。

それから郵便局の前を通り、川を渡り民家を開放している休憩所の前を通った。通っただけで寄りはしなかった。少し前を夫婦だろうふたり連れの遍路が歩いていた。その距離を保ちながら香東川に着いた。前の人たちはそのまま橋を渡り、高松高専南の交差点で高松自動車道を抜けるルートを取った。へんろ道保存協会の地図で「乙ルート」とされているコースだった。一宮寺まで11.9キロメートル。

ボクは橋を渡らないで、そのまま川に沿って開発されている河川敷公園に下りていった。そして川に沿って歩いた。香東大橋で県道12号に出て、一宮寺へ向かうルートだった。これが「甲ルート」11.5キロメートル。甲乙、その差400メートルなのだけれど、その差の通り、ボクのほうが先に着いた。納経を終えたあたりで、前を行っていた夫婦遍路がやって来た。

そしてその甲コース、香東大橋の手前の河川敷を歩いている時に、前日高照院から白峰時ルートを進んでいった遍路を見た。彼とは一宮寺で少し話した。結局、坂出簡保保養センターに宿泊したそうなのだけれど、途中暗くなってしまって、弱っているところに簡保の車が来て拾ってもらったということだった。雨の日の山道、それも夜、心細かっただろうと思った。

その日は高松市内のビジネスホテルを予約しているということだった。15時前だったので、ちょうど良い時間でもあった。

14時30分、八十三番札所一宮寺に着いた。ちょうど小学校の下校時間と重なって、途中小学生と杖がぶつかったりした。小学生が杖を蹴るように足が当たったので、睨みつけてそして心の中で「クソガキ」と言った。終盤に来ても、そういう精神状態なのだから、いったい何をしているんだ、と少し後悔した。

15時出発。そこからのルートをどうしようかと迷っていた。高松、岡山からマリンライナーでやって来たので、実質、四国を一周したことになった。あの岡山駅のことを思い出していた。

一宮寺山門の千社札

一宮寺山門の千社札



讃岐平野(41日目の1)

In : 41日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/28

雨だった。国分駅の自転車置場の朝。5時10分に目がさめた。それからいつものようにパッキングをした。屋根があるおかげで、寝袋もマットも濡れなくてすんだ。屋根のあることの幸せ。

6時00分出発。雨は小降りになっていた。そしてすぐに霧雨となって、止んだ。まだ暗かった。ボクはヘッドランプを点けて歩いた。国分寺山門前を通り、ラブホテルのところを曲がった。そして山に向かって歩いていると東の空が少しずつ明るくなっていった。遍路道の道標やマークを確認するために何度か立ち止まった。

県道180号線までの登りは雨上がりで歩きにくかった。そしてここも「遍路ころがし」と言われる難所だ。それでも途中の休憩所からは「野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており、野が広いせいか、海明かりのする空がひどく開豁に見え」と司馬遼太郎先生の書く讃岐の自然を高度を上げながら見ることが出来たのだから、それはそれで幸せなことなのだろう。

国分寺・白峯寺ルート一本松手前の休憩所にて

国分寺・白峯寺ルート一本松手前の休憩所にて

県道に出たら自衛隊駐屯地にそって自動車道を歩く。いきなり近代的な自衛隊車両に出くわすと、違う世界に紛れ込んだように驚いてしまった。そしてまた山道をあるく。自衛隊の厩舎横を通る。そして森の中に入ってゆく。一瞬のズレ。それは風景のタイムラグで、目の前を過去と現在が交差していた。

8時20分、2時間少しかけて八十一番札所白峯寺に到着。崇徳天皇陵のある山奥の札所は、初冬の装いだった。納経をすませると、少し休憩して、山門を出たところの自販機で暖かいミルクティーを飲んだ。かなり甘いものだけれど、その時はもう少し砂糖を足したかった。

9時00分に出発。ボクの前に女性ふたり連れの遍路が行った。休憩を少し取ったのは、彼女たちとの差を開けたかったということもあった。坂出簡易保険保養センターに宿泊しての出発のようだった。

そのふたりを分岐の手前で追い越した。根来寺を打ち終えて五色台みかん園のところでもう一度追い越すことになる。ボクは左、彼女たちは右折して国分寺を目指したのだけれど。

白峯寺からは、今来た道を打ち戻って、県道近くの分岐を左折する。そこからゆっくりとした登り坂が続いて、そしてまた県道に出る。そこからゆっくり下ってゆく。10時05分、みち草という食堂に寄った。空腹だった。うどんを頼んだ。そしてアーモンドチョコを買った。10時30分、みち草発。アーモンドチョコを食べながら自動車道を歩いた。

10時50分、八十二番札所根来寺着。初冬の白峯寺、そしてこの根来寺は晩秋の風景を残していた。紅葉が有名なのか観光客が大勢やって来ていた。そして確かに紅葉は今が盛りと燃えていた。

その山門をくぐると、三角寺、雲辺寺と会ったおじさん遍路氏がいた。そして外国人バックパッカーも隣にいた。おかしな組あわせといか、一緒にいたり別々だったり…。なんて考えながら、昨日のことなどを話し合った。ふたりはやはり坂出簡保保養センターに宿泊して、雨の様子を見ての出発だったそうだ。

「じゃあ、また」と彼らと別れて、ボクは本堂へと向かった。

白峯寺から根来寺への遍路道にて

白峯寺から根来寺への遍路道にて