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南光坊の想い出

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/04

「へんろ」8月号の「あの寺この寺札所めぐり」は第55番南光坊です。
南光坊と言えばあの山門の四天王像を想い出す人も多いかもしれないですね。また四国霊場で唯一「坊」と呼ばれている札所ということで記憶している人もいるだろうと思います。

大三島に鎮座する大山祇神社の四国本土にあった8つの僧坊のひとつが南光坊ということです。その全ての坊が長宗我部の戦火で消失したのですが、南光坊だけが「禄高が一番低かったことが幸いして」そのご再建されたそうです。その後、藤堂高虎の祈願所として薬師堂が再建され、「近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺としてあった。文久年間(1861年~1864年)には金毘羅堂が造られ」たということです。(南光坊参照)

その南光坊は34日目に参詣しました。
浅海駅からの出発でした。それから国道196号線、海岸線を通り、菊間市内番外霊場遍照院を過ぎるあたりから雨が降り始めた午前中でした。その後すぐ雨は止んだのですが、風の強い、低気圧が近づいているのか、雲が低い1日でした。

34日目を読み返すと、雨に祟られた1日の様子と、それに振り回されたボクのことが昨日のことのように想い出されます。

その日は、午前中に「今治市内へ泊まる」と決めていました。携帯の充電もしたかったのです。そして計画としてはチェックインと同時、あるいはそれ以前に、早めに宿に入ってゆっくりしたい、と思っていました。そういう思いがボクを支配していました。もう他の選択肢はなくなって、とにかく早く今治市、ということに呪縛されているようでした。

54番札所延命寺に12時ちょうどに到着しました。ホテルは14時からチェックインOKということで予約しました。ちょうど良い時間、そのことが更にボクの行動を縛ることになりました。12時30分、延命寺を出る時に雨が降り始めました。それも少し強く降っていました。ボクはレインジャケットを着こんで歩き始めました。「14時にホテル」そのことがボクにとっては重大事になっていました。

途中の高速道の架橋の下で雨宿りをしました。雨宿りをしたというよりも、歩けないほどの雨だったのです。少し弱まってから歩き始めましたが、雨は降り止みませんでした。金剛杖を道路に叩きつけました。そして呪いの言葉。

杖が割れたのがこの日です。

そして南光坊に着く少し前に雨は降り止みました。30分、たったそれだけの時間を待てなかった自分を、今度は呪い始めました。

計画は時として危険なものにもなるのでしょうね。あるいは欲望は。

そうして着いた南光坊では、たいへん思い出深いことがあったのです。納経所で納経帳に名前を書いて頂きました。そして30分以上、お話をしていただきました。

そんな想い出深い34日目と南光坊の想い出です。こうして数ヶ月過ぎ去った今でも、かなり正確に思い出すことが出来るというのも不思議です。歩いたから、ということもあるでしょうけれど、肉体と精神の想い出が、記憶が、時間が、凝縮されていたのだろうと思います。あの高速道架橋下から大谷墓園、そして今治北高あたりの道と雨を今でも時々想い出すことがあります。「もう止めた、今治駅から帰る」なんて雨の中を叫んでいたボクを想い出して、少し恥ずかしくなることがあります。

そして南光坊の納経所で涙が流れたことも、少し恥ずかしく想い出したりしています。

五十五番札所南光坊

五十五番札所南光坊