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大窪寺、結願(43日目の2)

In : 43日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/30

女体山を下ると自動車道に出る。階段を降りるのだけれど、そこを西へ矢筈山の方へ行き道に迷う人がいるということだった。その「お知らせ」の貼紙が山頂に貼られていた。迷った当の本人が貼紙を作りそこに掲示していた。ご本人が来られて貼ったのかどうかは分からなかったのだけれど、きっとそうしたのだろうと思った。

道迷いのお知らせ

道迷いのお知らせ

四国らしいというか、とてもありがたい「お接待」だった。普通はそこまでしないと思う。自分が道迷いしたからと言って、わざわざもう一度迷った地点にやって来て、次の人たちのために注意書きを残す。「茨木市 ○○」と書いていたので、四国の人ではないのだ。

迷いそうにない場所でも人は迷う。例えばその日の朝のボクがそうだった。簡単に反対方向に進んでしまう。睡眠不足や疲労が方向感覚を鈍らせる。道迷いだけではなくて、事故もそうやって起きる。結願ということで前しか見えなくなる場合もあるだろう。気持ちが焦ってしまうこともあるだろう。そう思った。

自動車道に出てそしてまた山道に入った。もう下りだ。少し行って番外霊場、八十八番奥之院胎蔵峰への道が分かれている。右折してその道へ入った。200メートルほどの距離にあった。9時00分到着。誰もいない、そして風の音と木々を揺らす音しか聞こえなかった。

最後のくだり、直下に大窪寺

最後のくだり、直下に大窪寺


この高度感。落ちる、あるいは産まれるという感じ。そういう順番を歩くことになる。女体山、胎蔵峰、大窪寺なのだから。死に、そして生まれ変わる。

9時20分出発。打ち戻って、今度は一気に300メートルを大窪寺まで下ることになる。階段が敷設されていた。直下に八十八番大窪寺が見えた。感動し興奮した。なにかを完遂したという感覚ではなくて、やっと辿り着いたという安堵感のようなものだった。

そこは確かに結願寺ではあったのだけれど、終点ではなかった。そういうこともあってか、寺の境内に降り立った時には何か出発する時のような気持ち、少し緊張して喉が渇いて、そして鼓動が早くなるような感じだった。

9時40分着。
広い境内だった。本堂に行き、そして離れた大師堂に行った。金剛杖が奉納され「宝杖堂」(ほうじょうどう)には数千本、いやもっとかもしれない金剛杖が並んでいた。ボクは奉納しなかった。まだ高野山があった。そこまでは同行二人だろうと考えていた。

「万感胸に迫るものがある」と言われるようなものはなかった。女体山山頂や、胎蔵峰からの下りのほうがその感覚があった。たどり着いたら、次のことを考え始めた。高野山、その前に一番札所霊山寺へのお礼参りがあった。

終わりではなかった。
「人生即遍路、そして、人生なお即遍路」と日記に書いた。多くの遍路も、そういった気持ちを持つのだろうと思った。そしてまた始めるのだろうと思った。それが遍路なのだろうと考えていた。

大窪寺宝杖堂にて

大窪寺宝杖堂にて



女体山、母なる山で(43日目の1)

In : 43日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/30

道の駅ながお、売店裏の軒下、最後の日のねぐらで5時少し過ぎに目がさめた。朝の気配はしていなかった。山間は海辺よりも朝が遅いようにも感じていた。日の出や日照時間というよりも、なにかゆっくりとした始まりをいつも感じていた。

トイレに行き、洗顔をした。そして自動販売機でココアを買った。昨夜遅くに着いた遍路であろう人のテントもまだ夜の中にあった。ココアを飲むと、パッキングを始めた。43回目のパッキングだった。ザックのハーネスもくたびれていた。道具だけではなくて、ボクもくたびれていた。こけた頬は精悍というよりも、くたびれた顔だった。白衣は純白ではなくて、背中や肩のあたりは汗で汚れていたし、ザックの色も移っていた。金剛杖は12センチ減っていた。何もかもが43日という時間の中で変化をしていた。

6時00分出発した。まだあたりは暗かった。ヘッドライトを持っての出発だった。少し興奮していた。県道3号線を左折して遍路道に入った。少し行った三叉路を、どうしてなのか分からないのだけれど、左折してしまった。その方向が正しいように感じたからだ。途中、民家がある辺り行き止まりになり、間違いに気が付いた。まだあたりは暗かった。三叉路まで戻った。

道標が見えなかったことが迷う原因になった。今度は道標を確認して右へ折れた。少しずつ空が明るくなっていた。来栖神社のところを通るルート。川沿いを高度を上げていった。遍路転がし、おそら斜度で言うとここが一番キツイのではないかと感じた。それでも結願ということがそれを麻痺させる。

笑顔スマイル

笑顔スマイル


「笑顔スマイル」という遍路札が木に掛けられていた。笑えなかった。

太郎兵衛館の分岐から少し車道を歩き、それから女体山に向けてさらに厳しい登りになった。標高は500メートルを越えていた。風も強くなっていた。気温が上がらない。それどころか休憩していると寒くなった。脱いだり着たりを繰り返していた。やっぱりこの登りが一番キツイと考えていた。平成へんろ石72番から同じく67番、そして山頂まで一気に300メートルを登ってゆく。頂上直下では攀じるという場所もあり、遍路というよりも登山になった。

2時間30分で女体山山頂に着く。女体宮があり、そして休憩所がある。その休憩所でチョコチップパンの朝食を摂った。眼下には讃岐平野が広がっていた。通ってきた場所が一望できた。昨日、一昨日の出来事だった。それでも遠い昔のことのように感じていた。

たぶん、ここでほとんどの遍路は泣くのだろうと思った。それほど厳しい登り、そして、それほど遥かな道程だった。吹きさらす風が想い出を蘇らせてくれた。餓え乾き、そして眠れぬ夜を過ごし、疲労もピークに達していた。疲れが感情を激しく揺らした。そこがピークだった。あと少し下って行けば八十八番札所、結願寺だった。そしてボクも泣いていた。

女体山、母なる山で生まれ変わる。擬死再生。ボクは胎蔵峰を目指して歩き始めた。もうそこだった。

讃岐平野

讃岐平野