Tags: 同行二人

延光寺(26日目の4)

In : 26日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/13

延光寺へ向かっていた。松田川沿いの道を歩き新宿毛大橋を渡る。四十番札所観自在寺へは打ち戻って「新」ではない宿毛大橋を渡り宿毛市内を56号線経由か松尾峠経由で向かうことになる。夕方に宿毛市内、どこに泊まろうかと考えていた。膝はバンテリンが効いているのかサポーターが良かったのか、あるいは陽気で暖められたからか、痛みがやわらいでいる気がした。

レストラン鶴亀の手前で二人組のお遍路が来るのが見えた。すぐに分かった。室戸へ向かう10月28日に東洋大師明徳寺で会った初老の男性二人だった。あれから2週間が過ぎていた。ボクは3日停滞した。彼らもまた何かハプニングがあったのだろうか、と思った。

「こんにちは、おひさしぶりです」と声が届く距離になったらたまらず言った。「ああ、えっと、室戸の」「ええ、お久しぶりです。あれから無事にまわられていますか」と言った。

「まあ、ゆっくりだけれど、なんとかねえ」
「そうですか。ボクは膝を痛めて大方で停滞していたんですよ。もうずいぶん先に行かれていると思っていましたから、こうしてお会いできて、驚いています」
「わたしたちもね、雨の日はあまり動かなかったり。それにちょっと疲れてね」と応えてくれた。話をするのはいつも決まっていた。二人の役割は決まっているのだろうと思った。都会、何十年も東京の夜の世界を渡ってきた人たち、というのがボクの印象だった。例えば歌舞伎町のことなら隅から隅まで知っているというような、そんな印象を受けた。友人、というよりも、恋人同士、そんなことを考えていた。

「今日は宿毛泊まりですか」
「ええ、そう。宿にチェックインして、荷物置いてお参りしたから、手ぶらでね。あなたは」
「ボクは、まだ決めてなくて。たぶん宿毛市内になると思いますけど」
なんて話をして「また」と言って別れた。そしてボクは延光寺を目指した。おじさんたちは宿毛市内へ向かった。

同行三人、人はひとりでは生きられない。

同行三人、人はひとりでは生きられない。


そしてしばらくすると、魔法の杖を持つ青年に再会した。「早いね」と言って彼を見ると荷物を持っていなかったので「荷物は?」と訊くと「宿毛駅のコインロッカーに入れてきました。どうせ戻ると思ったので、ちょっと寄り道して」と言った。

「ああ、なるほどね。そこまで考えなかったよ。オレは100均に寄ったけれど」
「そうですか。今からだともう1時間ほどですよ。泊まりは宿毛市内ですか?」
「どうなるかなあ、君は?」
「ボクは、松尾峠を目指して松尾大師の大師堂にと思っているんです。夜景が綺麗だと聞いたもんで」
「なるほど、オレはそこまでは無理かなあ。戻って17時に宿毛市内だもんね」
「そうですね。この時間、ボクでギリギリって感じですもんね」
「そうだね。ま、またそのへんに寝るよ」
「そうですか。それじゃあ、お気をつけて」
と別れた。それ以来会うことはなかった。

それから三十九番延光寺には15時に着いた。15時40分発。山門近くにある民宿に泊まろうかと思った。しかしそのまま宿毛市内を目指した。

延光寺の座禅仏はなにかを語りかけようとしている

延光寺の座禅仏はなにかを語りかけようとしている



同行二人(6日目の1)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

「同行二人」とは、お大師さまと常にふたり連れということ。

お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。そして、遍路で使われる杖には弘法大師が宿ると言われています。
お遍路のススメ / お遍路さんの基礎知識

だから休憩する時はまず金剛杖を先に休ませる、常に上座に置く、宿では先に汚れを落とす、と大事に扱わなければならない。

ずいぶんと、お大師さまに助けられた。その金剛杖に山の登りでは身体を押し上げて、下りでは身体を受け止めていただいた。道にあっては前へ進めて、身体を起こしてくださったし、野に寝る時にはお守りにもなった。そしてボクの怒りの矛先にも、哀しみを慰安してくれる相手にもなった。

普通は10センチほど短くなるというのだけれど、ボクの場合は随分とすがったので、もう少し短くなってしまった。打ちつけたこともあった。叩き折りそうにもなった。「助けろ」と怒鳴ったこともあった…。いつも「二人」だった。

5時30分起床。ゆっくり準備をして6時30分には恩山寺バス停を後にした。そして参道を山門に向かった。晴れていたし、朝日が綺麗だった。

恩山寺を打ち終えて立江寺に向かった。立江寺までは4キロメートル、一時間ほどの道のりだった。熟睡していない身体は常に緊張状態にあった。6日目あたりになると、旅立つ前の肉体の貯えも消費してしまったように感じていたし、そこから体重も減っていったように思う。

常に金剛杖をついて歩いた。遍路の中には大事に扱うということから、そしてあまり頼らない縋らない、ということから、突かないで持って歩く人もいたのだけれど、ボクはほとんど突いて歩いた。そのほうがリズムカルに歩けた。コツコツ、という杖の音が心地よかっりもした。

立江寺を打ち終えて県道28号、22号を西、勝浦町方面へと向かった。次は二十番札所鶴林寺、二十一番札所太龍寺、ふだらく峠越えの「へんろ転がし」が待っていた。鶴林寺まで行くか、その手前の勝浦町までにするか迷っていた。勝浦町を過ぎて鶴林寺、太龍寺、国道195号線まで十数キロの間には、商店やコンビニがなかった。ほとんどが山道だった。水を確保出来る場所があるかどうかも不安になった。

標高30メートル勝浦から一気に500メートルを登って鶴林寺、それからまた標高50メートルの大井集落まで急坂を下り、そこから520メートルの太龍寺への急登、また国道まで高度差500メートルを下る。もうこうなると登山だ。巡礼というよりも。

太龍寺にはロープウェイがあった。「西日本最長の特大スケール・川越え、山越えの大パノラミックロープウェイ」…。そんな場所に楽に行けるはずがない、そう思った。最長にて特大なのだから…。

途中、こうぼうず曽我部冷泉で頭を洗った。この小さな無料の冷泉場は硫黄の匂いをたっぷりさせていて、なんとも効きそうに思った。ついでに洗顔もした。

11時、ローソン勝浦町沼江店で食料の調達。2食分を買う。その後、県道16号線を少し歩いて、11時30分に食堂「たなか屋」に入る。イカフライ定食(600円)を注文した。久しぶりの温かいご飯に味噌汁だった。ほうじ茶が美味しかった。

13時少し前にJAとくしま直売所の駐車場にあるヘンロ小屋勝浦第12号に到着。休憩、というか、行くか留まるか思案する。山は見えていた。遠く、そして高く感じた。30分ほど過ぎた。ボクはもう動かないことを決めた。明日早朝から山を2つ越えよう、と決めた。それに、そのヘンロ小屋が居心地が良かったし、夜もゆっくり眠れそうに思った。バス停とは違って、そこに眠ることが許されているのだから…。

恩山寺にて

恩山寺にて