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無財七施とかアガペーとか(36日目の3)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

六十四番札所前神寺に着いたのが16時30分、それから少し慌てて広い境内を本堂、大師堂と納経していった。夜がそこまで訪れていたのだけれど、日中の賑わいの余熱が境内をゆっくりと温めているようにも感じた。

親子連れの遍路から声をかけていただいた。
「あの、歩いて回られているのですか」
「はい」とボクはいきなりの質問に驚いて答えた。
すると「これ、お接待です」と納め札を、それも錦の札をボクのほうへ差し出した。納め札は遍路の回数で違う。

金、白、錦の納め札

金、白、錦の納め札

1回から4回が白、5回から7回が青、8回から24回が赤、25回から49回が銀、50回から99回が金、そして100回以上が錦の納め札になる。納め札は金でも100枚500円ほどの値段なので、それ自体には価値があるというものではない。そしてその回数も自己申請なので、あるいは手段は問題としないので、どうも分かりにくい部分もあるのだけれど、とにかくありがたいものとして扱われる。特に金や錦の納め札は霊験があると言われる。

その回数、巡礼をしている人は、やはりどこか違うのだろうと思う。自己申請とはいえ、虚偽の申請はしないだろう、と思う。四国の食堂にはよくその納め札のコレクションを額装して壁にかけていることがある。縁起物でもある。

その錦の納め札をボクにくれるというのだ。
「実は、わたしたち一枚づつ頂いて、あなたを見かけたので、一枚お接待と思いまして」とボクに渡してくれたのだ。ボクはそれを受け取り「ありがとうございます」と言った。あっという間の出来事だった。そしてその親子は、そのまま去って行った。ボクは彼女たちの後姿に頭を下げて、そして納経所へ向かった。

無財七施、二枚もいらない、というか、二枚頂いたのだから一枚は他の人に、ということなのだろうと思った。善という能動的な行為ではなくて、布施やお接待という自然な行い。結果を求めない行為のようにも感じていた。それを行うことが生なのだろうから。

人の行為は常に結果がつきまとう。例えば「人のため」「自分のため」「ふたりのため」「人類のため」。「為」の「行」が行為なのだけれど、意識化ではないのだけれど、直感的に「返る」という意識が常に隣に存在している。善を積むということはそのまま現世、あるいは来世の自分に返る、ということが潜在的に思想としてあるのだからどうしようもないのだろう。

ところが布施という行為は、ギリギリのところでそういう宗教的潜在意識とは別のものであろうとしているように感じていた。それはごく普通のこと、たとえば挨拶をするようなもの、のように感じていた。

行為をマーケッティングで捉える人が多いということだ。幸福もそうだ。あるいは結婚や子育ても無償というものと少しかけ離れてしまっているように感じるときがある。

ということを考えながら、ボクは前神寺を後にした。17時ちょうどだった。

極楽へと渡る

極楽へと渡る



石鎚遥拝(36日目の2)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

11時に六十番札所横峰寺を出発したボクは、12時20分に分岐点に着く、そこでスナックパンの昼食。湯浪ルートには「てんとうむし」という喫茶店があるのだけれど、この下りのルートは山の中、約2時間何もない。何もないというか登山道なのだけれど。食べ終わると出発して、13時20分に香園寺奥之院白滝不動にやっと着いた。「やっと」という気持ちだった。特に横峰寺からの5.3キロメートル地点「ジグザグコース」と言われるところは、すべり台のような急な下りだった。

転がり落ちるような、そんな高度感

転がり落ちるような、そんな高度感

白滝奥之院で少し休憩をした後14時00分六十一番札所香園寺に着く。大きいお寺だ。本堂、大師堂とも2階建の体育館の中にあって、2階に入り口がある。その2階のこれまた体育館のような場所に入ると、女性の姿が多い。「子安大師」と言われるこの寺は安産、子育てに霊験があると言われている。そのせいもあるのだろう。そしてその霊験あらたかさと、親の気持ちが施設の大きさなのだろうと思った。遍路ではない人のほうが圧倒的に多かった。

14時30分に出発した。1キロ少しで六十二番札所宝珠寺だ。14時45分到着。伊予小松駅のすぐそばにある。その日の朝買い物をした国道11号沿いのファミリーマート大頭店から小松駅まではわずか4キロの距離だった。そういった距離感が麻痺してしまう。果てしなく遠い場所にいる錯覚はその事実で瓦解してしまう。タイムラグのような感覚、夢のような感覚。それも遍路ということなのかもしれない。擬死再生、戻るという感覚。

宝珠寺を15時05分に出発した。次の六十三番札所吉祥寺も国道11号線沿いにある。1キロ少し、15時20分に到着。伊予氷見駅の近く、数年前に石鎚に登った時の記憶が蘇る。

石鎚山や石鎚神社の末社は全国いたる所にあって、石鎚信仰の大きさをうかがうことができる。そのことについてはここには書かないが、ボクの実家もその石鎚信仰を行っていた。近くの山に石鎚神社を勧請していて、小さな祠がその山頂に建立されていた。そして石鎚山の山開きの日に同じように白装束を着て、法螺貝を吹いて山開きを行っていた。その山にはちゃんと同じように鎖場まであった。

そして実家はその地方の石鎚参拝の先達でもあったのだ。そういう道具、錫杖や法螺貝、権現像などがあった。おんな縁で母親が一度その石鎚に行きたいと言い出したのが始まりだった。

宗教的な生き方、というか、命は常に宗教に寄り添っていた。霊験というものとは別に、それが生きる目的だったのかもしれない。四国に行くために1年間頑張って仕事をする、貯金もする、というような。宗教と人の関わり合いというのはそういうことなのだろうと思う。聖地への旅、メッカやローマ、エルサレム、カイラス、ガンジス、伊勢や四国。人は祈る、そしてそのために生きる。誰彼のためではなくて、それが人生なのだから。

15時45分に吉祥寺を出発した。旧道を通って六十四番札所前神寺に着いたのは、夜もそこまで来ている16時30分だった。その夜の訪れが境内を寂とさせていた。

前の神、後ろの石鎚

前の神、後ろの石鎚