Tags: ヘンロ小屋

お遍路さん情報誌「へんろ」

In : 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/04

「へんろ」は伊予鉄不動産が発行している月刊のへんろ情報誌です。
お遍路さん情報誌「へんろ」

伊予鉄不動産 「へんろ」編集部/お遍路さん情報紙「へんろ」

全国で唯一、月刊のお遍路さん情報紙です。(四国霊場会公認)
全札所を結び、お四国遍路に関する様々な情報を発信しております。

年間購読は送料込みで1440円です。こうして四国を離れ暮らしていると、四国のことが懐かしく思い出されます。

1月号の表紙は「高知・そえみみずへんろ道 ヘンロ小屋31号落成」という記事でした。ボクが歩いていたときは、ちょうど高速道路の工事のために通行止めで、結局大坂遍路道を登りました。こちらのほうが少しだけ距離が短く、へんろみち保存協会の方たちが復元・整備されているようで、歩きやすいのかもしれないですね。

「酔芙蓉」と名付けられたそのヘンロ小屋が作られた経緯が中外日報社さんのウェブサイトに載っていましたので、そちらを引用します。「へんろ」にも書かれています。

“酔芙蓉さん”を偲ぶヘンロ小屋(社説):中外日報社

これまでの小屋は、歌教授の設計図をもとに、有志の持ち寄った寄付金や、企業のメセナ活動により建設されてきたが、「そえみみず」は故・石橋敬子さんの兄弟姉妹による”一寄進”で建てられた。

大阪府東大阪市に住んでいた石橋さんが熱中症のため、そえみみず遍路道で倒れたのは、平成十五年七月の暑い日だった。

ボクは、今も考えるときがあるんです。どうして歩いたのかなあ、なんて。そして何かを得たかというと、それも分からないし…。苦しかったり辛かったりしたこと、空腹だったり寒さに震えたりしたこと、は、身体が憶えているのですけれど。

そんな苦しかったり辛かったりした時、道路の向こうにヘンロ小屋が見えるとうれしくなったものです。砂漠のオアシスのようなものかもしれません。夜、野宿する場所がなくて、ヘンロ小屋に辿り着いたときの安堵感。その空間にいることで慰撫される疲れた心と身体の感覚も、憶えています。

ヘンロ小屋の記憶のほうがその街や札所よりも濃いという人もいるかもしれませんね。ボクも、夜を過ごしたヘンロ小屋のことはよく憶えています。やはり街並みよりもヘンロ小屋のことのほうが印象深かったところもあります。

そういう意味でも札所を繋ぐ道を、これまた繋ぐのがヘンロ小屋なのだろうと思いました。そしてその小屋を無料で使えるということに、感謝しなければならないのだろうと思いました。

前回「結願後の四国とのつながり」では、四国の特産品をスーパーで見かけるとついつい買ってしまい、そして懐かしく思う、ということを書いたのですが、毎月届く「へんろ」を見ることも、ボクにとっては、つながりで、あの日々のことを思い出すスイッチとなっています。

そしてアルバムを拡げては色あせていない思い出を手繰り寄せているのですけれど。

雨と暑さで大変な時期だと思います。遍路中の皆さんにおかれましては、どうぞ無理をなされずに、ゆっくりゆっくり、ヘンロ小屋で休憩しながらおまわり下さい。

十楽寺にて、仏と献花



歩き遍路の恥ずかしい話(9日目の3)

In : 9日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/27

ローソン海陽町杉谷店の駐車場でサンドイッチの朝食を食べて、ボクは歩き始めた。しばらくしてヘンロ小屋第一号香峰があった。今まで見たヘンロ小屋とは違っていて、流しまであってそこで生活できそうな家だった。テーブルの上には「どうぞお飲みください」という手紙とオロナミンCが置いてあった。少し考えたのだけれど、いただくことにした。

「お接待」は断ってはいけないと言われている。それはお接待を行うことによって功徳になるということと、お接待を受けた人がその人の代わりにお参りをしてくれる、ということらしいのだ。要するに「情けは人のためならず」のような精神なのだろうと思った。

断るということがあると、お接待する方もなにかしらのプレッシャーを感じるだろうし…。断れれるということは、多少なりともダメージを受ける。例えば「好きです」と言うときのような、「金貸して」と言うときのような…。そんな感じの。

ヘンロ小屋には20分ほどいただろうか。ボクは歩き始めた。

JR海部駅から先は、阿佐海岸鉄道阿佐東線という第三セクター鉄道が、高知県東洋町の甲浦駅までの8.5㎞をつないでいる。山側を時折一両編成の電車が走っていた。空と海、山という景色を少し近代的なものにしていた。

宍喰の手前の海岸で休憩した。おにぎりを2個食べた。食べ終わった頃に正午を告げるサイレンが鳴った。足の豆の治療をしたし、海をただ眺めていた。眺めることにあきたので立ち上がった。「よいしょ」と声を出した。そして歩き始めた。

道の駅宍喰の前はそのまま素通りした。すぐ横にあるホテルが少し威圧的に感じられていたからかもしれない。その先にあるヘンロ小屋で、ボクはまた休憩した。墓場の横にあるヘンロ小屋だった。そういう場所が似合っているようにも思えていた。死に装束をまとった遍路にとって、そこは不自然な場所ではなかった。そして四国に来る前のボクと言えば、もう半分死にかけていたのだから。

ボクはそのヘンロ小屋に荷物を下ろした。13時過ぎだった。もう少し遅かったら、その日のねぐらになったと思う。おにぎり1個とソーセージを食べた。少し眠くなっていた。ボクは国道を見ていた。呆然としていた。

するとKさんがやって来た。国道とヘンロ小屋は少し離れていたので、Kさんは小屋までは来なかった。ボクに聞こえるように「先に行ってるよ」と叫けぶように言って、先に進んで行った。きっと道の駅で休憩している間にボクが追い越したのだろうと思った。

しばらくすると、懐かしいシルエットが見えた。勝浦で会ったおじさんだった。ボクは手を振った。おじさんはボクのことが分からないのか、少しヘンロ小屋に近づいてからやっと手を振りかえしてくれら。そして小屋にやって来た。

懐かしかった。2日間が懐かしく感じた。その間のことを話し合った。おじさんは、昨日のお昼頃に薬王寺に着いて、どこかのドライブインで昼食バイキングを食べて、そのまま歩いて鯖瀬の鯖大師の通夜堂に泊まったとのことだった。そして今日は宍喰にお昼前に着いてホテルの温泉に2時間ほどいて、今出てきたところだ、とボクに話してくれた。

「休憩室で寝てたよ。そこの温泉は良いよ。久しぶりだったしね」
「そうですか。ボクは昨日、田井ノ浜で水シャワー浴びたんですよ」
「寒かっただろ」
「そうですね。室戸までどうなるか分からなかったもんで…」
「今日はどうするんだ」
「まだ決めてないのですけれど、温泉入って来ようかなあ、って今、それは決めました」
「それが良いよ、それが良いよ」
と繰り返したのをハッキリと憶えている。

おじさんは立ち上がって「じゃあ、先に行ってるね」と小屋を後にした。ボクもすぐに立ち上がって「はいお気を付けて、またです」と言った。そして「ホテルリビエラししくい」に向かった。

入湯料は600円だった。気持ちの良い風呂だった。
ホテルリビエラししくい

平日の午後2時にしてはお客さんが多かった。その人たちの視線が少し気になった。一見さんだから珍しいのかな。なんてことも考えた。更衣室で白衣を着替えていて遍路だと分かっているから、それも珍しいのかなあ。それにちょっと茶髪だし…。普通はもっと真面目っぽいのかねえ…。

とボクは洗い場に行った。鏡に映ったボクを見て、ボクは「うっ」と声を出した。徳島で毛を剃っていたのを忘れていた。ボクの陰部はパイパン(というのだろうか、パイチン?)だった。少しだけ、ほんの少しだけ生えていたのだけれど、それが逆に「剃った」ということを証明していた。

ボクは恥ずかしかった。だけれど「遍路だしね」なんて考えた。きっと剃毛ってのは頭髪だけではないはずだし…。でも「あいつ女癖が悪くて、それが原因で遍路になったのかもよ」なんて思われてないかと、あるいは「ケジラミだよ」なんてことも…。術後なんてことは思われないだろうし、生えているのだから体質でもないだろうし…。

それからボクはゆっくりも出来ないで、早々と出てしまった。風呂場ではあまり堂々とするものではないね、と思った…。僧侶は剃毛するのだろうか。う~ん。

ヘンロ小屋宍喰、道の駅宍喰温泉
ヘンロ小屋、墓、道の駅



海の風景(8日目の1)

In : 8日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/26

夜中に雨が降っていた。目ざめた時には止んでいたのだけれど、降るだろう気配も予感もしていた。6時過ぎに起き出して、いつものようにシュラフをスタッフバックに押し込む、ということから1日が始まった。おじさんも起きていたし、同じようにパッキングをしていた。

朝食として食べるものがなかった。勝浦のサンクスからコンビニがなかったし、平等寺からそこまで食堂を含めて店らしい店がなかったので、食べることも買うことも出来なかった。Kさんからいただいたみかんが効いていた。「あのみかんを食べたから空腹感も抑えられているんだろうなあ」と思った。非常用にピーナッツババターが1袋、車道を歩いて行くという安心感もあった。地図上にそれらしき店は載っていなかったとしても。

その日はボクのほうが先に出発した。「先に行ってますね」とおじさんに言った。「ああ、オレもすぐに出るよ」「はい」と、短く挨拶をして歩き始めた。

ヘンロ小屋を出て、山側のルートを通るか由岐を目指すか考えながら歩いていた。雨が降る予感がしていた。そのことと食料がないということがボクを海へ向かわせた。由岐町の役場やJRの駅、何軒かの民宿、そして海を懐かしく感じていた。

山と海、山の中にいるなにか閉塞感みたいなものよりは、海岸線で海の側にいるほうが開放感があるし、安心も出来るように思った。木々のざわめきよりも波音のほうが心地よかった。山の夜よりは海の夜のほうが眠れた。海辺の街に生まれたからかもしれない。

しばらくして雨が降り始めた。自動販売機のあるところでザックカバーを付けて、レインジャケットを着た。缶コーヒーを飲んだ。バターピーナッツを食べた。それが朝食だった。そして歩いた。雨が激しくなったので、峠の新しい休憩所まで行ったところで休憩をした。雨は止みそうになかったのだけれど。そして雨の中を出発した。

海は見えていた。そのことが少し気持ちを明るくした。鉛色の雲はそのまま水平線で海の中へと潜り込んでいたのだけれど、遠く拡がりのある風景は、自分の位置や方向を確かなものにしていた。海という目印が常に左手に存在していた。そして右手には「南無大師遍照金剛」金剛杖があった。真ん中で生きている、あるいは、生かされているような感じ、がしていた。

田井ノ浜海水浴場にて
帽子(カバー)を付けているのでその部分は日焼けしていない。というかまだ7日目なのに随分と変化はあるものだ、と思っている。ボクは、ほとんど、変化しなかったとしても。体重は減っていたのだろうけれど…。(田井ノ浜にて)



同行二人(6日目の1)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

「同行二人」とは、お大師さまと常にふたり連れということ。

お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。そして、遍路で使われる杖には弘法大師が宿ると言われています。
お遍路のススメ / お遍路さんの基礎知識

だから休憩する時はまず金剛杖を先に休ませる、常に上座に置く、宿では先に汚れを落とす、と大事に扱わなければならない。

ずいぶんと、お大師さまに助けられた。その金剛杖に山の登りでは身体を押し上げて、下りでは身体を受け止めていただいた。道にあっては前へ進めて、身体を起こしてくださったし、野に寝る時にはお守りにもなった。そしてボクの怒りの矛先にも、哀しみを慰安してくれる相手にもなった。

普通は10センチほど短くなるというのだけれど、ボクの場合は随分とすがったので、もう少し短くなってしまった。打ちつけたこともあった。叩き折りそうにもなった。「助けろ」と怒鳴ったこともあった…。いつも「二人」だった。

5時30分起床。ゆっくり準備をして6時30分には恩山寺バス停を後にした。そして参道を山門に向かった。晴れていたし、朝日が綺麗だった。

恩山寺を打ち終えて立江寺に向かった。立江寺までは4キロメートル、一時間ほどの道のりだった。熟睡していない身体は常に緊張状態にあった。6日目あたりになると、旅立つ前の肉体の貯えも消費してしまったように感じていたし、そこから体重も減っていったように思う。

常に金剛杖をついて歩いた。遍路の中には大事に扱うということから、そしてあまり頼らない縋らない、ということから、突かないで持って歩く人もいたのだけれど、ボクはほとんど突いて歩いた。そのほうがリズムカルに歩けた。コツコツ、という杖の音が心地よかっりもした。

立江寺を打ち終えて県道28号、22号を西、勝浦町方面へと向かった。次は二十番札所鶴林寺、二十一番札所太龍寺、ふだらく峠越えの「へんろ転がし」が待っていた。鶴林寺まで行くか、その手前の勝浦町までにするか迷っていた。勝浦町を過ぎて鶴林寺、太龍寺、国道195号線まで十数キロの間には、商店やコンビニがなかった。ほとんどが山道だった。水を確保出来る場所があるかどうかも不安になった。

標高30メートル勝浦から一気に500メートルを登って鶴林寺、それからまた標高50メートルの大井集落まで急坂を下り、そこから520メートルの太龍寺への急登、また国道まで高度差500メートルを下る。もうこうなると登山だ。巡礼というよりも。

太龍寺にはロープウェイがあった。「西日本最長の特大スケール・川越え、山越えの大パノラミックロープウェイ」…。そんな場所に楽に行けるはずがない、そう思った。最長にて特大なのだから…。

途中、こうぼうず曽我部冷泉で頭を洗った。この小さな無料の冷泉場は硫黄の匂いをたっぷりさせていて、なんとも効きそうに思った。ついでに洗顔もした。

11時、ローソン勝浦町沼江店で食料の調達。2食分を買う。その後、県道16号線を少し歩いて、11時30分に食堂「たなか屋」に入る。イカフライ定食(600円)を注文した。久しぶりの温かいご飯に味噌汁だった。ほうじ茶が美味しかった。

13時少し前にJAとくしま直売所の駐車場にあるヘンロ小屋勝浦第12号に到着。休憩、というか、行くか留まるか思案する。山は見えていた。遠く、そして高く感じた。30分ほど過ぎた。ボクはもう動かないことを決めた。明日早朝から山を2つ越えよう、と決めた。それに、そのヘンロ小屋が居心地が良かったし、夜もゆっくり眠れそうに思った。バス停とは違って、そこに眠ることが許されているのだから…。

恩山寺にて

恩山寺にて