Tags: プロ遍路

酔生夢死 イビキの夜(16日目の2)

In : 16日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/03

塚地峠を越えて宇佐町に出た。
県道が見えたところで、峠の遍路小屋で話した女性が宇佐大橋方向へ歩いてた。彼女がどれぐらい休憩していたのか分からないけれど、ほぼ同じ時間に着いたことになる。

県道に出た。
ローソンが進行方向とは逆、高知市寄りにあった。三十六番札所青龍寺までは4キロ少しという位置だった。ボクはローソンに向かった。トイレに行きたかったし、踵の豆の治療用の絆創膏が欲しかった。峠越えで、それも雨上がりのコンディションの悪い状況での歩行で、痛みが激しくなっていた。

12時30分、ローソン土佐宇佐町店着。食料とワンタッチパッドを買う。トイレを借りて、宇佐大橋を目指した。横浪スカイライン、公園には綺麗なトイレと休憩所が数カ所あった。青龍寺に近い休憩所で少し休憩。

青龍寺の波切不動明王

青龍寺の波切不動明王


14時、青龍寺着。波切不動明王が本尊、初めて知った。波を切る、ということで海難除け、航海安全の御利益があるそうだ。

納経所でこの先の道のことを聞く。県道47号線、国民宿舎土佐、みっちゃん民宿や旭旅館に予約しているのか、と聞かれたので、「いいえ」と答える。

「この道は自動販売機もないですから、戻って23号を通ったほうが良いでしょう」ということで、少し考えたのだけれど、23号と合流する場所まで15キロ、4時間…。打ち戻ることにした。そして来た道を宇佐大橋に戻った。

15キロ、4時間ということもだけれど、踵と膝が痛かった。まだ14時30分だった。ここで無理するか、どこかで早めにねぐらを探すか、迷っていた。宇佐大橋を渡って、そして左折、少し行ったところ汐浜荘の先に、バス停だったものを遍路用に改装した小屋があった。三方壁あり。

のぞくと、初老の遍路が寝ていた。確かに雨の1日ではあったけれど、早すぎる。入っていった。「こんにちは」と言った。初老の遍路は、上半身を少し起こして「こんにちは」答えてくれた。15時30分。

「おじゃまします」と言った。
「ああ、わしはもう飲んでてな。寝ていたよ」とその遍路は言った。続けて「焼酎が安かったもんで、ついつい飲み過ぎたわ」と、そこには一升だか2リットルだかのペットボトルの焼酎があって、すでに半分ほどなくなっていた。そして何かつまみのような総菜があった。

「今日はどちらからですか」と、ボクも聞かなきゃいいのにそんな質問をした。
「ここ」
「雨でしたからね」
「おかげで飲み過ぎたよ。この先まで行ったのだけれど、忘れ物があってな。今日はここに泊まるのか」
「はい、泊まろうと思っています。よろしくお願いします」と言った。

ボクは、荷物を下ろして、そして近くの自販機に行った。数分でも荷物をそこに置いて行く不安はあった。その初老遍路だから、というわけではないのだけれど。

缶コーヒーを買って来て、早い夕食を食べた。朝、ファミリーマートで買ったおにぎり2個とおむすび唐揚げセットを食べた。16時00分。

イビキが聞こえていた。酒臭い遍路小屋だった。それでも、朝までその遍路はそこに横たわっていた。イビキが聞こえなければ、ボクはかなり不安になったかもしれない。その音が彼の鼓動のようでもあった。残った焼酎はいつ飲むのだろうか、ということも気になった。明日もここにいて、朝から飲むのだろうか、と思った。そして「おかげで飲み過ぎたよ」と同じことを言うのだろうか、と思った。

18時、まだ18時になったばかりだったのだけれど、ボクも眠った。

矢印を隠す蛾、どっち?

矢印を隠す蛾、どっち?

*清滝寺~宇佐町汐浜荘先
*宇佐遍路小屋泊

(出費)
・ファミリーマート土佐高岡店
シーチキンマヨネーズ2個 210円
手巻きおにぎり紀州梅 110円
手巻きおにぎりゴマ昆布 105円
おむすび唐揚げセット 260円
セコイヤチョコ2個 80円
薄皮つぶあん(5) 142円
バターピーナッツ 108円
アクエリアス 128円
(小計 1143円)

・ローソン土佐宇佐町店
イナババターピーナッツ 120円
まるごとソーセージ 121円
ヤマザキ スナックスティック(9) 179円
ワンタッチパッドS12枚 349円
(小計 769円)

・自販機
スポーツドリンク2本 300円
缶コーヒー 120円

合計 2332円



急がば高知県営フェリー?(15日目の1)

In : 15日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/02

4時起床。起床というか、駅前の朝は早い…。電停のベンチで熟睡などできるはずもなく、疲れていなければ、一睡もできなかったかもしれない。ホームレスのおじさんが、ひとり、駅前のシャッターの前に転がっていた。

JR高知駅南口の多目的トイレで洗髪、洗顔。少しスッキリする。4時30分、そのまま出発。昨日来た道を戻る。サンクス高知五台山店で買い物。おにぎりとカップヌードルの朝食を駐車場の片隅でとる。暖かい食べ物が身体も気持ちも暖かくする。優しさという概念は、きっと火を発明しなければ、生まれなかったのだろうと思う。感情も文明と共に発達してきた。例えば「愛」ということも、高度に複雑化されてしまった。

夜はまだ明けていなかった。五台山の麓を通りすぎ、禅師峰寺に向かう。散歩している人たちとすれ違う、挨拶をする。夜の緊張から解き放される。

禅師峰寺に向かう無人市にて

禅師峰寺に向かう無人市にて


7時50分、三十二番札所禅師峰寺に到着。海が見える。久しぶりの海。浦戸大橋も見える。8時30分に出発する。少し気持ちが焦っていた。というか、高知から離れたかったのかもしれない。日曜日の札所は少しだけ賑やかだった。

禅師峰寺を下りた交差点を、一昨日西岡善根宿で同宿だったプロ遍路氏が横切っていた。雪渓寺方面からだから、逆打ち、また善根宿に向かっているのだろうか。ということは、この辺りをグルグル回っているということなのだろうか。県道14号線沿いにある遍路小屋に泊まっていたのだろうか…色々考える。色々な疑問が浮かんだけれど、きっとそれが彼のスタイルなのだから、誰も否定は出来ないのだろう…。

9時30分過ぎにローソン高知仁井田店着。トイレを借りる。スニッカーズとソーセージを買う。駐車場でスニッカーズを食べる。浦戸大橋を渡るか、種崎から船に乗るか迷っていた。大橋を渡るときっと景色は良いのだろうなあ、なんて考えていたし、気持ちも傾いていた。そして歩いていた。

すると後から声がした。「お遍路さん、お遍路さん」
「はい、なんでしょうか」
「大橋を渡るのですか。それよりも船のほうが良いですよ。元々橋などないのですから。船にしたほうが良いですよ」と言われた。そして種崎の渡船場までの道を教えてくれた。

どうしてだろう、あのように強く勧めるのだろうかと、考えた。お接待、なのか、お節介なのか…。あるいは、県営のフェリーを存続させるために、乗員数を増やすこと必要があるのだろうか、なんてことを考えた。確かに橋は出来たとしても、地域住民にとっては、無料のフェリーは必要なのかもしれない。それに携わっている人もいるのだろうし…。

そしてボクは種崎、高知県営フェリー渡船場に向かった。10時15分に着く。次の便は11時10分だった。出発したばかりだった。5分早ければ、なんて思った。

今思うと、この1時間がなければ、この先苦しまずに済んだのかもしれない、いや、どうして、この日はあんなに急いだのだろうか、と思っている。

禅師峰寺にて

禅師峰寺にて



眠れぬ善根宿の夜(13日目の4)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

同じ部屋に見ず知らずの人と眠るということが出来ない人もいるのだろうと思う。ボクもどちらかというと苦手なほうだけれど、歩き疲れて辿り着く善根宿や遍路小屋では、早々と眠ってしまうので、あるいは眠れることで、相部屋の人との会話も避けられるので、それほど苦にはならなかった。相手が話しかけてくる場合もあったのだけれど。

西岡善根宿、19時にはボクはもう睡魔に襲われていた。ウトウトしながら、同宿のプロ遍路氏と少しだけ話した。プロ遍路氏は、なかなか寝付かれないようだった。部屋の電灯は0時過ぎまで点っていたし、早朝4時頃には点いていた。

それだけならばいいのだけれど、ラジオの深夜番組を聴き始めた。そしてそれは電灯が点く4時までも、そしてその後も聞こえていた。マナーについて話していた人とは思えない行動だったのだけれど、ボクは先輩遍路氏に対しての敬意を表して沈黙していた。ラジオに耳を傾ければいいだけのことだった、そう思った。

そして眠る。またラジオの音や、プロ遍路氏の物音で目が覚める、眠る、という繰り返しだった。

4時に電灯を点けて髭を剃っていた、そしてなにか読んでいるようだった。5時過ぎたらゴソゴソとザックの中から何かを取り出す音が聞こえる。それからパッキングを始めた。これが何度も何度もやり直すというもので、ほとんど病的だった。なかなか良い感じに荷物の位置が決まらなかったのだろう。ボクはもうその時点でハッキリと目がさめていたし、いつ起き出すかという状態だった。6時過ぎに起き出した。

「おはようございます」とボクは言った。
「おはよう」と聞こえた。

ボクはしばらく氏の様子を壁にもたれかかって見ていた。何度かやり直した。50リットルほどのザックに銀マット、テント、予備のバックを外にくくりつけていた。恐らく15キロは超えているのだろう、その重量がパッキングを難しくしているようだった。

ボクも寝袋を片付けた。そしてパッキングする。10分ほどで終わってしまった。それから顔を洗い、出発の準備をした。線香を上げて、神棚の賽銭箱に宿泊代300円を入れた。

プロ遍路氏は、宿泊ノートに何か書いていた。なぜ4時に起きて何度も何度もパッキングしたのか分からなかった。ボクを起こすための嫌がらせか、とも思ったりした。

結局、ボクのほうが先に出発する。「お世話になりました。お先に失礼します」なんて言って、29番札所国分寺に向かった。氏は「ああ」なんて感じの返事をしてくれた。

またプロ遍路という人たちへの嫌悪感みたいなものが生まれた。

雨は上がっていた。いよいよ高知市内だった。ユリさんのところへ行く日だった。そう考えると、また哀しみが蘇ってきた。夕方には逢えるはずだった。

西岡善根宿近くの地蔵二人

西岡善根宿近くの地蔵二人

*安芸市球場前手前の海岸~南国市西山
*西岡善根宿泊

(出費)
・ローソン安芸津久茂店
小岩井コーヒーホット 141円
おにぎりカツオ 105円
おにぎり日高昆布 110円
おにぎり辛子高菜 110円
(小計 466円)

・サンクス芸西店
救急バン 210円
スニッカーズ 120円
(小計 330円)

・道の駅 やす
芋天 100円
モダン焼 500円
(小計600円)

・自販機
スポーツドリンク2本 300円

合計 1696円



西岡善根宿(13日目の3)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

歩いていた。
14時、坂本龍馬記念館近くの休憩所着。少し休憩。14時40分、大日寺に着く。雨が少し強くなったのでザックカバーを着ける。レインジャケットを羽織って、納経。その後、雨宿り。少し小降りになったところで出発。15時30分だった。

雨雲が気持ちまでも暗くしていた。雨が降ると眠る場所を探すのも難しくなる。雨の中で幕営したとしても、濡れた荷物や服、身体を乾かすことも出来ないで、ただ寝袋に収まって寒さに震える夜を思うと、どこでも良いから屋根のある場所で眠りたいと誰しも思うだろう。寒さよりも雨のほうが厄介だと思う。しみ込んでしまう雨は、まるで過去の想い出のように、振り払うこともできないで、一晩中テントの中でヌルヌルとまとわりつく。

コスモス畑 土佐山田市松本あたりで

コスモス畑 土佐山田市松本あたりで


16時40分、松本大師堂にて休憩。西岡善根宿の案内が置いてあった。「一泊300円。3人~4人まで泊まれます。必ず事前に連絡して下さい」と電話番号が載っていた。ボクは、その松本大師堂に泊まろうかと思っていたのだけれど、その「宿」に「300円」を見てしまっては、1時間ほどなら歩いてでも、なんて考えてしまった。そして電話をした。

大師堂から遠くはなかった。17時10分西岡善根宿着。墓地の前。先客あり。「こんにちは」とボクはその先客に挨拶をした。初老の遍路は「ああ、こんにちは」と言った。「泊まるの?」と聞いてきたので、「はい、泊めていただきます」と言った。

宿と言っても、墓地の管理小屋みたいになっていて、畳2枚分の座敷、それが2人分のベッドになっている。縦に並べられた畳を板で区切っているだけの空間。そしてソファがあって、そこもベッドとして利用されるようだった。

ボクは、荷物の整理をして、寝袋を出した。下半身だけをその中に入れた。
「何日目?」
「13日目です」とボクは答えた。
「早いね」
「そうですか。だいたいここまでだと何日ぐらいですかねえ」
「そんなもんだろ」
「長いのですか」
「まあ、長いね」
「今日はどこからですか」
「ここから」と、そのプロ遍路は答えた。そして裏の水道で米を研ぎ、それをコンロにかけた。「え?」とボク。「朝ここを出発して、ここに戻ってきた」。なるほどそういうことなのか、と思った。

ボクも夕食を食べた。昼間にいただいた芋天、ピーナッツ、カロリーメイトがその日のメニューだった。大日寺からここまでの遍路道にはコンビニがなかったから、非常食を食べることになった。

しばらくしてその遍路宿のオーナーさんが来られた。「今日もお世話になります」とプロ遍路は言った。「こんにちは、お世話になります」とボクもそのあとに言った。オーナーとプロ遍路が少し話していた。内容は「最近の遍路のマナー」。ゴミの問題とか、挨拶の問題とかを、話していた。

ボクは、聞くだけで、そしてたまに頷くだけで、「どこから」と聞かれるまで、黙っていた。それから少しボクの旅の様子なんかを話した。

「お金は今払っときましょうか」とプロ遍路が言った。
「あすこの賽銭箱に入れて置いてくれたらいいよ」
「今朝入れたのはありましたか」
「あったよ、じゃあ、帰るからね」とオーナーは出て行った。

ご飯の炊けた匂いがした。どんなものを食べているのか気にはなったけれど、聞かなかった。ボクは身体を横たえて、日記をつけていた。もう眠くなっていたし、どうも苦手なタイプだった。なにか嫌な感じもしていた。

西岡善根宿

西岡善根宿



プロ遍路との出会い(4日目の1)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

「神山、鬼門や~」とその遍路は言った。
そしてボクが自販機の缶コーヒーを買おうとしたら「こんなところに金落とすことはない」と…。神山町には鬼籠野(おろの)というところがあるのだけれど、そういう意味では本当に鬼門かもしれない…。

道の駅神山の朝は近接した民家から流れてくる演歌で明けた。6時起床。素早く片付ける。そしてパッキングし終わってから洗顔、歯磨き。終わったところで自販機前のベンチでコーヒーでも飲もうとしたときに、いかにも遍路のことは知りつくしてますよ、という感じの、そしてそのことが全身に、例えば使い古された菅笠や白衣、ザックやそこにパッキングされたテントに見てとれるプロ遍路氏から声をかけられた。

「どこに泊まった?」
「そのへんに」(実は道の駅の東屋は「野宿禁止」という看板が立っていた)
「東屋はダメだし、焼山寺の下のところは水道を使えないし、ここも食べるところはないし、キャンプ場に行けってか、神山鬼門やで~」
「そうですか。どこで眠られたのですか?」
「そこの橋の下。まったく、鬼門や~」
そして「こんなところに金を落とすことはない」ということになったのだ。

それでもボクは自販機に120円を入れて、ジョージアオリジナルを買った。
「今日はどこまで行く?」
「えっと、まだ決めてないので…」
「頑張れば○○タクシーに行けるか」
「え?…(面倒くさかったので)そうですね」
と曖昧にボクは答えた。そのプロ遍路はその後すぐに東、鬼籠野方面へ歩いて行った。後で分かったのだけれど「○○タクシー」とプロが言ったのは徳島市内の栄タクシーのことで、そこにある善根宿が歩き遍路の定番になっているようなのだ。ボクはまだそういった宿のことを知らなかったし、善根宿や宿泊が可能な大師堂などが書いている「善根宿リスト」を持っていなかったので分からなかった。

人は何を求めて歩いているのだろうか。「鬼門」と言って、ボクにとっては「それぐらい」のことで怒りを表すプロ遍路氏を不思議に思った。あるいはその「野宿禁止」になったことに対して、その理由に対しての怒りだったのだろうか、とボクは、これを書いている今、考えている。

というのも、いろいろな場所が野宿禁止になっていた。その理由が遍路のマナーの悪さが原因だった。中には「大便をそのへんにするので」と張り紙までされているバス停もあった。民家の近くだといろいろとトラブルもあるのだろうし、神山のようにキャンプ場が近い道の駅だと「キャンプ場に行って寝て下さい」と住民の多くが思ってもしかたないと思う。キャンプと野宿は違うとしても、その違いは遍路の都合なのだからそんなことよりも、目と鼻の先で毎日のように誰かが寝ているということへの嫌悪感のほうが地元住民にとっては重要なのだろうということは理解できる。

プロ遍路氏はそのような「最近の遍路」のマナーの悪さに対して怒っていたのかもしれない。そしてその被害者は通過者であるボクのような遍路ではなくて、滞在型の遍路なのだろうと思う。一夜の宿ではなくて、彼にとっては50日後にまた戻ってくる場所なのだから。

その後、ボクはプロと呼ばれる人たち何人かに出会うのだけれど、例えば門前で托鉢をしている人、ガイドをしている人、酒を飲んで寝ている人、絵を書いている人、大量の荷物を自転車に積んでいる人…。彼らはいったい何を求めているのだろうか、と考えていた。あるいは四国と言う場所が住みやすいからという理由からなのかもしれないと考えていた。

菅笠、金剛杖、そして白衣を着れば、お遍路さんと言われ、お接待を受け、野宿をすることが認められる。真夜中に歩いていようが、軒下に身体を横たえていようが、公衆トイレで身体を拭いていようが、許される。

そういう意味では四国は住みやすいかもしれない。ボクが今住んでいる町の公園でテントを張ったとしたら、きっと警察に通報する人もいるだろう。そしてそういう野宿者が毎日のように現れたとしたら、「野宿禁止、キャンプ禁止」ということになるのだろう。

都会ではいろいろな事件が起きる。そしてその度に人々は包容力を失くしてゆく。

四国は優しい。その優しさの中での旅が野宿が、ボクは生温いものに思えていた。そしてそういう迷いや疑問を提示してくれたプロ遍路氏の出現こそ「鬼門だなあ」と思っていた。

ボクは鬼籠野へ歩き始めた。

阿呆坂あたりのコスモス
阿保坂あたり、まだ秋という毎日でした。