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瀬戸は日暮れて鎌大師(33日目の3)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

12時20分に五十二番札所太山寺に着いた。石手寺からの長い10キロだった。秋晴れの1日、空気が乾燥しているからだろうか、風景も透き通っていたし、静かにそこに置かれていた。遍路に会わない日だった。石手寺からこの太山寺まで5つのコースがあるからだろうか。それとも多くは道後温泉に入ってからゆっくりと出発するのだろうか。

すこしゆっくりして13時10分出発。山門から本堂までが長い坂道だったので、そこで少し疲れた。またこの日も空腹。ちょうどの時にコンビにも食堂もない。もう一度打ち戻って円明寺へと進んだ。

13時35分五十三番札所円明寺到着。ここでも少し長くいた。14時10分発。JR予讃線を渡りうなぎやに出るルートを歩く。地図にローソン、サークルKが記されていたからだ。そこまで1キロほど、何か食べようと思っていた。

円明寺朱塗りの大師像

円明寺朱塗りの大師像

石手寺のことを引きずっていた。ホッチキスに電話する。歩きながら長電話になった。そういう遍路の姿もおかしいのかもしれないと考えていた。「携帯遍路」なんて自嘲気味に笑った。いくつかのコンビニを通り過ごした。空腹だったのだけれど、それに電話をしていたということもあるのだけれど、また予讃線を渡った。しばらくすると海が見えてきた。県道347号線だった。海が見えると気持ちは落ち着いた。そうすると空腹も和らいだように感じた。そして海岸線の道を歩き続けた。

旧北条市粟井に来ると商店や郵便局、賑やかな街並みになった。16時00分、もう限界、というか、ここで何か食べておかないとねぐら探しが待っていたし、北条の市街地を過ぎると国道196号線は山に入って行く、それが遍路道だった。そうなると、何もないということも考えられたので食糧の調達もしたかった。

ローソン北条中須賀店に寄った。牛丼とレーズンバターロール6個入りを買う。駐車場の隅で牛丼を食べた。その日の昼食だった。食べ終わると出発した。夜がそこまで来ていた。北条駅を過ぎてスーパーマルナカを曲がるあたりになると暗くなり始めた。反対車線を一台の自転車が走りすぎた。あの男だった。西予市のへんろ小屋宇和で同宿した元遍路だった。道の駅に行くのだろうと思った。ボクが見えなかったのか、それとも嫌われたのか、急いでいたのか、なんて考えた。

17時00分。少し慌てた。岬に行くと道の駅風早の里風和里がある。その手前にコスタ北条という温泉マークが記されている。196号線海沿いの道路だった。そちらは遠回りになる。

鎌大師が2キロほど先にあった。そこを目指して歩いた。へんろ小屋のマークが地図に載っていた。ザックからヘッドライトを出した。そして歩いた。

瀬戸内に浮かぶ島々と向こうに見えるのは広島

瀬戸内に浮かぶ島々と向こうに見えるのは広島



一番ダメな時の自分が本当の自分なんだろうね(22日目の2)

In : 22日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/09

海のバザールを出発してから、小雨の降る中を歩いていた。
10時30分、県道42号線と339号線の交差点で休憩。缶コーヒーを飲む。ここ数日、あまり飲み食いしていなかったので、なんだかこの日は食べることが多くなっていた。

12時20分、四万十大橋の近く、スリーエフ中村竹島店に着く。食糧の買い出し。そして店の前のベンチでスニッカーズを食べて少し休憩。日記を書く。

雨止まず。

歩いても歩いても道ばかり
捨て去っても捨て去っても
ひろうものあり
迷っても迷っても日は暮れて
苦しんでも苦しんでも日は明ける

竹島の直線道 涙が流れる
膝は痛む、天気は悪い 気持ちは沈む

と日記に書いてある。雨は哀しい。

13時00分、スリーエフを出発。四万十大橋の手前で中村さん(中村市だからではないのだけれど)という自転車のオジサンから声をかけていただく。そして橋を一緒に渡る。橋の中程でその中村さんは「休憩するから」と言って、ベンチに座って、ポケットからカップ焼酎を取り出して飲み始めた。ボクは「先に行ってますね」と歩き続けた。

少しして中村さんが自転車に乗って追いついてきた。そして自転車を降りて、ボクと並んで歩く。そのまま橋を渡りきった。オジサンはそれから自転車に乗って先へ進んで行った。

四万十大橋が出来るは向こうの橋を渡った話とか、渡し船があったという話とかを聞かせてもらった。焼酎を飲むことと、自転車に乗ること、それが中村さんの哀しみなのかもしれないと思ったりした。街で焼酎を買って、それを家に帰り着くまでの飲み干す。家では嫁が「またお義父さん、お酒飲んで」なんて言うのかもしれないと、思ったりした。

雨、休憩する場所もないまま、伊豆田トンネルへ。長い。1610メートル。抜けるのに28分かかった。時計で計った。時速4キロも満たない速度だということに驚いた。随分とゆっくりになってると思った。それも膝が痛いからだろうと思った。

16時少し前、レストラン水車に到着。雨は降り止まず。ベンチに座って食事。そして日記に書く。


もう抜きつ抜かれつした人たちとは再会することもないのだろうと思う。3日近く停滞したし、時速4キロ以下の速度では追い抜けないだろうし。

「膝さえよければ」と何度か考えた…。でも、人生なんてそんなもので、例えば「数学が出来れば」とか「もう少し頭が良ければ」「もう少し容姿が良ければ」ということばかりで、それが煩悩なんてことなんだろうけれど、悪い部分、要するに「良ければ」という部分を含めて自分なのだから、そこと同化、そこを認識しないと、というか、それが「自分とは何か」ということの発見なのだろうから、その弱い(と思われる)部分も自分なのだということなのだから、それが発見、認識出来ることが大事なのだろう。

この痛みも自分なのだ。
だから、ゆっくりした歩行速度が本来の自分の速度なのだ。

と日記に書いた。

もう、その駐車場にある東屋に泊まることにした。冷えてきていた。

雨、菅笠と金剛杖

雨、菅笠と金剛杖



夜須の芋天(13日目の2)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

「ありがとうございます。お気を付けて」とレジの後に言ってくれるコンビニの店員さんは、2割いただろうか。遍路姿のボクに「またお越し下さいませ」と言っても、しかたないだろうに、といつも思った。四国にしかないのかな、スリーエフというコンビニ、宿毛ではお接待もしてくれた。そのスリーエフやサークルKでは、店の前にベンチがあって「お遍路さんへ、どうぞ休憩して下さい」なんて書かれていたりする。四国にはセブンイレブンがない。

毎日、違うコンビニを利用していると、その店の5Sを見てしまうようになる。そういう意味では、遍路はコンビニ評論家になれるのかもしれない、なんてことはないか。

道の駅やすのモダン焼
道の駅やすのモダン焼500円

夜須の道の駅に着いたのは11時50分だった。食事時だったので、取りあえず売店を見て回った。芋天、サツマイモの産地なのか、ファーストフードのように、揚げたてを売っていた。100円。ひとつ買った。そして食べた。お好み焼き屋さんがあって、モダン焼を注文した。15分~20分ほどかかるけれど、良いかと聞かれたので、「待ちます」と答えた。

店の外のテーブルで待っていた。少し離れた所に座っていたふたり連れの女性の方と目が何度か合った。しばらくするとその女性が近づいてきて「これをお食べ下さい」と袋に包んだ「芋天」を下さった。「ここのは美味しいんですよ。歩いて回られているんですか」と聞いてきた。「はい、歩いてます」と答えた。

「がんばって下さいね」と、そのまままた席に戻って行った。ボクは立ち上がって、お礼を言った。そして手を合わせた。「ありがとうございます」と言った。

すぐに注文したモダン焼がきた。ボリュームのあるものだった。それがなにか贅沢なもののように感じた。きっと、向こうに座っている女性は、ボクが何も食べないで居るのだろうと芋天を持ってきたのかもしれないなあ、なんて考えると、少しそのモダン焼を食べていることに罪悪感のようなものを感じた。

500円だったのだけれど、それはなにか遍路が食べるものではない、ようにも感じた。少し後悔した。「やっぱりオニギリを静かに食べた方が良いかなあ」なんて考えた。白衣に金剛杖、菅笠姿で、焼き肉とかステーキとかは、どうも憚られるように思っていた。

そのモダン焼を急いで食べて、もう一度お礼を言って道の駅やすを出発した。芋天とモダン焼で満腹だった。ザックの中にも芋天が入っていた。

今にも雨が降りそうな空だっった。遍路小屋香我美には若い遍路が眠っていた。大きく重そうなザックが、もうそこに泊まるんだ、というように彼と一緒にベンチに横たわっていた。それはもう彼の意思表示のようにも思えた。

雨が降り始めていた。それでもまだレインウェアを着るほどでもなかったので、そのまま歩き続けた。

左足中指付け根に豆。どこかを庇えば、どこかが痛む。
痛みは常に10であって、9にも8にもならなかったし、0になどにはなりそうになかった。人の苦しみも、きっとそんなもので、0にはならないし、常に10 あって、どこかが楽だとか、幸せだと感じたとしても、どこかで苦しみや痛みが加算される、そういうものなのかもしれないと。そう思った。

香南市赤岡あたり
香南市赤岡あたり、祭りの準備なのかなあ…



海の風景(8日目の1)

In : 8日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/26

夜中に雨が降っていた。目ざめた時には止んでいたのだけれど、降るだろう気配も予感もしていた。6時過ぎに起き出して、いつものようにシュラフをスタッフバックに押し込む、ということから1日が始まった。おじさんも起きていたし、同じようにパッキングをしていた。

朝食として食べるものがなかった。勝浦のサンクスからコンビニがなかったし、平等寺からそこまで食堂を含めて店らしい店がなかったので、食べることも買うことも出来なかった。Kさんからいただいたみかんが効いていた。「あのみかんを食べたから空腹感も抑えられているんだろうなあ」と思った。非常用にピーナッツババターが1袋、車道を歩いて行くという安心感もあった。地図上にそれらしき店は載っていなかったとしても。

その日はボクのほうが先に出発した。「先に行ってますね」とおじさんに言った。「ああ、オレもすぐに出るよ」「はい」と、短く挨拶をして歩き始めた。

ヘンロ小屋を出て、山側のルートを通るか由岐を目指すか考えながら歩いていた。雨が降る予感がしていた。そのことと食料がないということがボクを海へ向かわせた。由岐町の役場やJRの駅、何軒かの民宿、そして海を懐かしく感じていた。

山と海、山の中にいるなにか閉塞感みたいなものよりは、海岸線で海の側にいるほうが開放感があるし、安心も出来るように思った。木々のざわめきよりも波音のほうが心地よかった。山の夜よりは海の夜のほうが眠れた。海辺の街に生まれたからかもしれない。

しばらくして雨が降り始めた。自動販売機のあるところでザックカバーを付けて、レインジャケットを着た。缶コーヒーを飲んだ。バターピーナッツを食べた。それが朝食だった。そして歩いた。雨が激しくなったので、峠の新しい休憩所まで行ったところで休憩をした。雨は止みそうになかったのだけれど。そして雨の中を出発した。

海は見えていた。そのことが少し気持ちを明るくした。鉛色の雲はそのまま水平線で海の中へと潜り込んでいたのだけれど、遠く拡がりのある風景は、自分の位置や方向を確かなものにしていた。海という目印が常に左手に存在していた。そして右手には「南無大師遍照金剛」金剛杖があった。真ん中で生きている、あるいは、生かされているような感じ、がしていた。

田井ノ浜海水浴場にて
帽子(カバー)を付けているのでその部分は日焼けしていない。というかまだ7日目なのに随分と変化はあるものだ、と思っている。ボクは、ほとんど、変化しなかったとしても。体重は減っていたのだろうけれど…。(田井ノ浜にて)



コンビニ巡礼(7日目の1)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

5時30分起床。同じ頃におじさんも起き出した。ママチャリ遍路の女性ふたりもテントの中から声が聞こえていた。洗顔をする。缶コーヒーを飲む。朝食は昨日お昼にローソンで買っていたおにぎり2個。賞味期限はとっくに過ぎていた。

無口に、そして少しの気恥ずかしさを伴って、朝の時間は流れてゆく。ゆっくりとすべり落ちてゆくように景色は変化する。

おじさんは6時すぎに出発した。「またどこかで・・・」と挨拶をした。

6時30分、その勝浦のヘンロ小屋を出発。ふたりは食事の準備をしていた。「もう、きっと会うことないね」とボクは言った。
「鶴林寺で会えるかもしれないですよ」
「そうだね・・・。じゃあ、またね」
「はい、お気をつけて」
「あなたたちもね」
と、ボクはサンクスへ向かった。(このあと鶴林寺手前の山道で、彼女たちが自動車道の坂を下って大龍寺に向かうのが見えた。「会う」ことはなかった)

札所巡り、そしてコンビニ巡り。毎日のように1度はコンビニを利用した。一日に数度ということもあった。買い物だけではなくてトイレも使わせていただいた。トイレを使うということは、何かを買うということだったのだけれど・・・。

コンビニがなかったら、歩き遍路はさらに困難になると思う。へんろ道沿いには商店が少ないし食堂も少ない。もしかするとコンビニが出店する前までは営業していた店舗もあったのだろう。お寺でトイレや水の確保はできても食料の確保はできない。参道に商店が並ぶところでは、食堂があるのだけれど。

またゴミの処理にも困ると思う。買い物、トイレだけではなくて、ゴミを捨てるためにコンビニに寄る。山道が多いへんろ道ではゴミ箱がほとんどない。コンビニがないとゴミを一日中ぶら下げて歩くことになる。民宿に泊まる人たちはそこで捨ててもらえるだろうけれど、野宿する人たちはゴミと寝ることになる。

普通の商店には店頭にゴミ箱がないし、お願いすると言うわけにもいかないし、やはりコンビニのあの店員との距離感みたいなものが楽なように思う。ゴミもトイレも水も、そして道案内も・・・。

へんろ道のところどころに、

遍路の旅で人生を見つめ直したい。そんな人々が全国から集まる四国八十八か所の札所巡りに、異変が起きている。ごみを路上にポイ捨てする遍路がいるかと思えば、山間部では不法投棄された粗大ごみが遍路を出迎える。「癒しの道」とも言われる遍路道だが、地元では「このままでは『嘆きの道』に変わってしまう」と心配する声も上がり始めた。

というゴミ問題を扱った新聞記事が貼られていた。

「ゴミは持ち帰る」という看板を見ても、歩き遍路、それも野宿旅だと「どこに持ち帰るんだよ~」と考え込んでしまう。結局、コンビニのゴミ箱を利用するしかなくなる。

食べる、そして排泄する、ということを繰り返して、そして歩いているのだけれど、ボクはコンビニの看板を見つけると、なんだかホッとしたし、路傍の丁石や仏、あるいは札所に辿り着いたほどの喜びを感じた。そういう意味では歩き遍路はコンビニを巡るのかもしれないと思っている。

ボクはサンクス勝浦町店に入った。「いらっしゃいませ」と言う声に心が慰められる。全てあることで不安が解消される。設定された心地よい室温が痛みを解放する、ように思えていた。「コンビニで涅槃を思うへんろ道」なんて日記に書いていた。

コンビニを打ち終わって、いや買い物を終えて、ボクは鶴林寺へ歩き始めた。

鶴林寺への丁石
「右 観正寺、中 鶴林寺、左 里道」そして「後 サンクス」なんてのはないか。