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丁石(25日目の3)

In : 25日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/12

小才書くの休憩所を出発したボクは大浦を通り月山神社への大月へんろ道を歩いていた。古い丁石が並ぶ。今はなくなっているものもあるのだけれど、大浦から月山神社までのこの遍路道には11の丁石が残っている。

大月へんろ道、十八丁半の丁石

大月へんろ道、十八丁半の丁石


丁石とは目的地までの距離数の道標で、1丁は約109メートル、36丁で1里(4キロメートル)という日本固有の単位で示している。その度量衡としての丁は知らなくても、地名として「一丁目」、成績や等級・順位などの第四位を表す「甲・乙・丙・丁」、「丁半揃いました」なんて言葉としてよく使われているのだけれど、距離としてそしてそれが109メートルだということを知らない人も多い。

遍路をしていて道を訊ねると「あと20丁ほどですよ」と教えていただくことがある。ピンと来ない。「2キロ少しですよ」と聞くとピンと来る。感覚は言語に影響される。

その丁石をひとつひとつ見ながら、そしてカメラに収めながら山道を歩いていた。最後のものは「四丁」で、そこを少し行くと小川が流れている。梅雨時期には渡渉するという状況になるかもしれないが、晩秋の今は靴底を濡らすこともなく渡れた。

13時10分月山神社着。参拝。少し休憩。人も車も通らない。風の音だけがする。眠くなる。その眠気を振り払うように13時30分出発。

少し行った月が丘あたりからの下りは凄まじいものがあった。転がるように落ちてゆく。誰もいない、車も通らない、音は風と波と鳥の鳴声、そして金剛杖がアスファルトを打つ音。遅れてボクの足音。それが淋しい…。携帯は圏外。水平線が曲線を描いている。そしてそこを境に空が始まる。空即空、海即海。

14時30分赤泊。14時50分、赤泊集会所前にて休憩。15時出発。相変わらずの静寂。そして今度は登り坂だ。赤泊の入り江に下りてそして国道321号へ登り返す。いったいここが日本なのかも疑わしいという感覚は郵便配達のカブに打ち消される。確かに日本だ。

坂道を登る、国道が見えてくる。姫ノ井の三叉路で伊布利海岸ですれ違った青年が国道を歩いているのが見えた。月山神社から赤泊の浜に降りないで国道に出たのだろう。「道の駅大月のへんろ小屋までかなあ」なんて思っていた。ボクもそうするつもりだった。

大月へんろ道、十八丁の丁石

大月へんろ道、十八丁の丁石



へんろ道

In : 結願後, Posted by 田原笠山 on 2008/11/08

結願後一週間が過ぎた。まだ少し片付けが終わっていないのだけれど、巡礼の疲れは癒えた、と思う。冬が少し厳しさを増したように感じる。あの頃も寒かったのだけれど、こんなに寒かっただろうかと思ったりしている。部屋の中でコタツに入っていて「寒い」と感じるのだから。野に寝ていた頃、わずか一週間前のことなのに…。

今日は久しぶりに歩いてみた。20キロほど歩いた。

朝、何も持たずに歩き始めた。少し歩くと身体が振れる感じがした。どうもバランスが取れない。横に振れる、という感じだけではなくて、縦にもピョンピョンと、うまく歩けない感じがした。

ボクは部屋に戻って、巡礼の時のものより一回り小さいザックを取り出した。そしてちょうど封を切っていない米5キロがあったので、それを20リットルのザックに入れた。カメラも入れた。約6キロ、背負う、歩く、ウェストハーネスを締める。良い感じになった。ボクは歩き始めた。

ステッキも持とうかと思った。金剛杖の代わりに。でも、それはやめた。後で後悔したのだけれど、やっぱりステッキも持てば良かったと思った。身体が杖を持ったときのバランスになってしまっているように感じた。右に少し傾いているような。

一週間歩いていなかったからか、10キロぐらいには足が痛くなった。それでも6キロの重量しか担いでいないと思うと、気持ちは楽だった。あの頃は10キロ少しを、そして毎日歩いていたのだから。

癖は歩くということだけではなくて、例えば交差点や電柱を見ると「へんろ道マーク」を探していた。四国のへんろ道には丁石の他にへんろ道シールなどの道標が至るところにある。それを目印に歩いて行けば、もしかしたら地図はいらないのではないか、と思ったことがある。それほど道標がある。

その道標を確認しながら歩く癖がついているのだろう、帰ってきても、そして歩いているとそれを探す。特に交差点では。

探している自分がおかしくて、笑ってしまう。

20キロ、それほど長くない距離なのだけれど、なんだか疲れてしまった。この距離以上を毎日歩いていたのかと考えると、なんだかそれはとてつもないことのように思えてきた。そして明日は歩きたくないと思っていたり…。
へんろ道



遍路道のすがた(14日目の1)

In : 14日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/01

7時30分29番札所国分寺着。朝のお寺は静かだった。
納経をすませて山門へ向かおうとしていると、高知工科大学の生徒に呼び止められた。そしてGPSを渡される。次の善楽寺まで持って歩いてほしいとのことだった。了解して、そのGPSをザックに入れた。そして出発。8時を少し過ぎていた。

途中蒲原へんろ小屋で休憩。ピーナッツを食べる。お腹が空いていた。そう言えば昨日の朝におにぎりを食べてから、米を食べていなかった。「シャリバテ」という言葉があるけれど、そういう状態なのかと思った。しかし、国分寺から善楽寺までの遍路道にはコンビニも食堂もなかった。途中蒲原へんろ小屋の手前にスーパーがあったのだけれど、まだ開店前だった。遍路道から少し離れると、何軒かコンビニがあったのだけれど、その「少し」が徒歩だと20分とか30分になってくる。車だと数十キロを移動できる距離なのだけれど。

善楽寺に着いたのは10時少し前だった。蒲原から逢坂峠は長く感じた。

善楽寺は土佐神社の中にある。と言ったほうが良いような配置だったし、寺の山門を出ると神社の参道だし、遍路道もその参道を通り鳥居をくぐらなければならなかった。

日本の宗教は複雑だ。この善楽寺も土佐神社の別当寺として建立された。「別当寺とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のこと」(『ウィキペディア(Wikipedia)』)で、神仏習合が明治政府によって禁止された神仏分離令によって禁止されるまでは神と仏は調和融合していたのだから、この土佐神社と善楽寺のような位置関係も多く存在している。

神社の中を通るとしても、その神社に参拝しない遍路も多いのではないかと思う。ボクもそのひとりだったし、それは完全な仏教徒だからとか、あるいは遍路という立場だから、なんてことではないのだけれど。少しの違和感はあった。それは神社の中を通る時だけではなくて、例えば遍路姿でファミレスで食事をする時も感じたのだけれど、自分の立場、宗教的な立場という意識のものなのだろうと思ったのだけれど…。

善楽寺では高知工科大学の先生と生徒数人が待っていた。GPS渡す。そしてそのデータを元にアンケートに答えた。分かりにくかったポイントや、遍路道の状況、あるいは改善すべきこと、なんてことを答えた。

遍路道は、どうなんだろう、今はいろいろな標識があって、地図がなくても巡拝できるかもしれない。そうしている人にも現にいるのだけれど。そうした便利さは、逆に「進路を住民や道人に尋ね、その情けにすがりながら札所を巡るのが本来の姿」(へんろみち保存協会)を失うことにもなりはしないかと思った。そしてそのことを話した。

遍路ナビなんてものが出来て、最短距離で巡礼できるようになるのかもしれない。今もすでに、地図が精密詳細になって、携帯電話でのナビを利用している人もいるのだけれど。

今後、どう発展させるのだろうか。あるいは発展させないで、どこかの時点での風景を保存するのだろうか、と思っていた。空海の頃よりは随分と変わってしまったのだろうが、あるいはほとんど変わっていないところもあるのだろうが、歩きやすさばかりを求めると、遍路ということじたいを変えてしまうのではないかと思っている。

ボクは、この先、高知市内で道に迷い、そして情けにすがって、ユリさんの実家に辿りつくことになるのだけれど…。

二十九番札所国分寺にて

二十九番札所国分寺にて