Archive for 8月, 2009

遍路とネット、あるいは情報

In : 四国遍路について, Posted by 田原笠山 on 2009/08/02

ネットによる、書籍、新聞いわゆる紙媒体離れや、広告が新聞やテレビからネットに移行しているなんてことを言われていますが、確かにこの数年激しく流動したように思います。それでも消滅するかというと、それはまた別問題で、紙や電波を必要としている人たちもいるのだし、このような時期だからまた紙やテレビやラジオなんて方法での伝達、コミュニケーションが求められているようにも思います。

ネットがここまで普及したのは、そのコストパフォーマンスにあると思います。中には最もお金のかからない娯楽だという人もいますす、ハードを買ってしまえば、そしてネット環境さえあればほとんどのものが無料で提供されていますから。ボクがこうして使っているブラウザやブログソフト(WorldPlessですが)なんてのも無料ですし、画像処理、OpenOfficeを使っていますから、ワードやエクセル、パワポも無料のソフトで作成したり閲覧したり。

ネット業界は特にお金にクリーンなイメージがありますよね。例えばニュースサイトで課金しているということもないし、情報サイトで金取るぞ、なんてのも少ないですしね。著作権があいまいだということもあるとしても、それはどんな世界でも完全になくなることはないでしょうし、利用者にはそれほど損害はなくて、有利に働く場合が多いので、お得なことのほうが多いのでしょう。

ボクたちは20年前よりは便利な世界の住人になりました。

そして情報もちょっとググれば、あっという間に獲得できます。それどころか、さらに便利になってしまって「まとめサイト」(2chのまとめサイトなど)や「海外の翻訳サイト」(ライフハッカーなど)なんてサイトも登場して、その情報を吟味して抽出してくれるようになりました。

情報が氾濫するということと平行してそのようなまとめサイトが登場するというのは、ごく自然な流れだったように思います。

またRSSなんて発信方法は、その情報の獲得の速度を増してくれました。例えばキーワードを入れれば、欲しい情報の最新のものが獲られる。ボクも、それを使って四国遍路に関係する情報を日々刻々見ています。
遍路関連新着情報 | 四国遍路・野宿編

ほかに、サイトを特定して更新情報を得られるようにもできます。
四国遍路のリンク – 更新ブログ
これは掬水へんろ館さんのですけれど、この更新ブログをご覧のかたも多いと思います。

毎日毎日四国遍路についての新しいブログが作られて、新しい情報が更新される。それが法的に問題があったり、道義上問題があったり、あるいは利用しているところの規約に違反している場合を除いては(違反しているのが分からない場合も多いでしょうが)、その情報の価値や信憑性なんてものは、受信者に委ねるしかないだろうと思います。

物語論と同じで、書いた人の手を離れたと同時に、読み手側に全ての判断は委ねられるのだろうと思っています。作者の意図と読者の意図が合致することなんてのは稀だ、ということです。

あるいは写真や絵画にしても、いちいち作者が文字をもって、これはこうなんですよ、なんて説明はしていなくて、その作品を判断するのは閲覧者でしかないのだから。

このブログを文学や芸術とすり替えるつもりではなくて、やっぱり「受け手の判断」でしかないのだろうと思っているのです。それではあまりにも無責任だとも思います。そうなると比較するものが必要になるでしょう。それが判断の幅を拡げるということですから。

そう思ったから、ボクは自分の情報(経験したもの)に他人の情報(経験しただろうもの)を重ねることによって、より安全な選択を出来るようにと考えて、今回の「ボクが泊まった野宿場所・・・」を書いたのです。

ま、それでも、そのことも、ネットの原則とすれば、余計なお世話なのだろうと思います。というか取捨選択という原則ならば、その判断を鈍らせることにもなりかねませんからね。

うまくボクの中でも消化されていないのですが、とりあえず「一覧表」は削除します。記事としてかいたものは「まとめ」として残す方向にして、あ、ここ良いなあ、なんてのを発見したら、追加してゆこうと思います。それはメモ程度のものですから。もしそれでも批判されるのなら、場所を移転します。それだけの話ですから。趣旨が違うなんてことを言われるのなら、それで解決できますからね。

ま、開き直れば「オレのサーバースペースに何載せても良いだろ、何か法律的にも同義的にも問題あるの?」と思っているんですけれどね。

ついでに「そんな事いうんなら、ネット上の全ての情報について吟味して文句言えや、ゴラ~」とも・・・。ま、いいけど。

ということです。

四国霊場八十八か所歩き遍路さんの無料宿泊一覧表

四国霊場八十八か所歩き遍路さんの無料宿泊一覧表

遍路宿情報ネットワーク宿一覧

遍路宿情報ネットワーク宿一覧



南光坊の想い出

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/04

「へんろ」8月号の「あの寺この寺札所めぐり」は第55番南光坊です。
南光坊と言えばあの山門の四天王像を想い出す人も多いかもしれないですね。また四国霊場で唯一「坊」と呼ばれている札所ということで記憶している人もいるだろうと思います。

大三島に鎮座する大山祇神社の四国本土にあった8つの僧坊のひとつが南光坊ということです。その全ての坊が長宗我部の戦火で消失したのですが、南光坊だけが「禄高が一番低かったことが幸いして」そのご再建されたそうです。その後、藤堂高虎の祈願所として薬師堂が再建され、「近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺としてあった。文久年間(1861年~1864年)には金毘羅堂が造られ」たということです。(南光坊参照)

その南光坊は34日目に参詣しました。
浅海駅からの出発でした。それから国道196号線、海岸線を通り、菊間市内番外霊場遍照院を過ぎるあたりから雨が降り始めた午前中でした。その後すぐ雨は止んだのですが、風の強い、低気圧が近づいているのか、雲が低い1日でした。

34日目を読み返すと、雨に祟られた1日の様子と、それに振り回されたボクのことが昨日のことのように想い出されます。

その日は、午前中に「今治市内へ泊まる」と決めていました。携帯の充電もしたかったのです。そして計画としてはチェックインと同時、あるいはそれ以前に、早めに宿に入ってゆっくりしたい、と思っていました。そういう思いがボクを支配していました。もう他の選択肢はなくなって、とにかく早く今治市、ということに呪縛されているようでした。

54番札所延命寺に12時ちょうどに到着しました。ホテルは14時からチェックインOKということで予約しました。ちょうど良い時間、そのことが更にボクの行動を縛ることになりました。12時30分、延命寺を出る時に雨が降り始めました。それも少し強く降っていました。ボクはレインジャケットを着こんで歩き始めました。「14時にホテル」そのことがボクにとっては重大事になっていました。

途中の高速道の架橋の下で雨宿りをしました。雨宿りをしたというよりも、歩けないほどの雨だったのです。少し弱まってから歩き始めましたが、雨は降り止みませんでした。金剛杖を道路に叩きつけました。そして呪いの言葉。

杖が割れたのがこの日です。

そして南光坊に着く少し前に雨は降り止みました。30分、たったそれだけの時間を待てなかった自分を、今度は呪い始めました。

計画は時として危険なものにもなるのでしょうね。あるいは欲望は。

そうして着いた南光坊では、たいへん思い出深いことがあったのです。納経所で納経帳に名前を書いて頂きました。そして30分以上、お話をしていただきました。

そんな想い出深い34日目と南光坊の想い出です。こうして数ヶ月過ぎ去った今でも、かなり正確に思い出すことが出来るというのも不思議です。歩いたから、ということもあるでしょうけれど、肉体と精神の想い出が、記憶が、時間が、凝縮されていたのだろうと思います。あの高速道架橋下から大谷墓園、そして今治北高あたりの道と雨を今でも時々想い出すことがあります。「もう止めた、今治駅から帰る」なんて雨の中を叫んでいたボクを想い出して、少し恥ずかしくなることがあります。

そして南光坊の納経所で涙が流れたことも、少し恥ずかしく想い出したりしています。

五十五番札所南光坊

五十五番札所南光坊



さぬき市寒川

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/16

遍路にとっては歩きにくい雨も多い夏だったかもしれませんね。雨が降ると行くに行けなくなるだろうし、寝る場所も限定されるので、思うように歩けない人も多かったのだろうと思っています。そんなストレスもまた精神修行なのかもしれませんが。

高校野球の頃で、やはり四国の高校が出ていると気になるものです。昨日の寒川高校、残念でしたね。四国は、徳島の池田高校や高知の明徳義塾、松山商業、尽誠学園、鳴門工業なんて強豪有名校が多いようにも思います。

遍路として歩いて、地元の人とそんな高校野球の話をしたこともありました。そして高校のある場所を通ると「ああ、あの」なんてことで、少し親近感が沸いたりもしました。

寒川高校は第八十七番札所長尾寺の近くにあります。長尾寺から2キロ、もう少し近いのでしょうか、それぐらいの距離です。2キロは歩き遍路にとっては「少し」の距離ではなく、遍路道から離れた名所旧跡、温泉食堂などなど、「ああこのへんなんだ」なんて感じでしか接することは出来ませんでしたし、側を通ったとしても寄らなかったりしたこともありました。道後温泉なんてのもそうで、写真も写さなかったのは、今思うととても残念なことのように感じています。

「また今度」なんてことを考えていました。

42日目、八十八番大窪寺を目の前にして、急いでしまう人も多いのだろうと思います。ボクも前日泊まったの高松市内から八十四番屋島寺、八栗寺、志度寺と、風景を楽しむというよりも、前へ前へと札所だけを見て歩いていました。

それでも志度郵便局でお金を下ろし、県道3号線を長尾寺に歩いたこと。途中麺喰志度店で親子丼セットを食べたことや、「オレンジタウン?」なんて思ったこと、長尾寺の納経所で並んだこと、甘納豆おはぎを食べたこと、なんかは記憶の一部というか、皮膚の一部というか、断層の中に残った化石のような感じで、細胞の中に残っているように思います。ゆっくりと形を変えているのですけれど…。

こうしてもう遍路とは程遠い生活をしていたとしても、いろいろなことがスイッチとなって蘇る、それほど強烈なものだったのだろうと思っています。遍路をしている最中よりも、きっとその後に強く遍路の日々を感じられるかもしれないですね。ま、人生即遍路、なのですけれど。

長尾寺の甘納豆入おはぎ

長尾寺の甘納豆入おはぎ