Category : 11日目

そして転げ落ちて朝が始まった(11日目の1)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

ベンチから転げ落ちて目がさめた。そのバス停のベンチの幅は身体の幅とほとんど同じだった。身体半分動いたら60センチ下の地面にそのまま落ちるというベッドだった。寝袋の中に入っている肢体は何の防御もできなかった。手は反応したのだけれど寝袋の中から身体を支えることは出来なかった。

5時前に落ちた。そのまま寝袋から抜け出して、ヘッドライトを点けた。その明かりで抜け殻を丸めてスタッフバックに詰め込んだ。まだ外は暗かった。ペットボトルの水を飲んだ。荷物を全てザックに入れて、それから出発した。5時30分だった。

暖かいコーヒーが飲みたかったのだけれど、11月も近い室戸、三津の海岸線の自販機はまだ冬支度をしていなかった。仕方なく冷たい缶コーヒーを買う。

6時30分、室戸海洋センターに着く。昨日買っていた十勝バターブレッドと缶コーヒーの朝食。太陽は水平線の少し下にいるらしく、その上にある空の暗さを徐々に押しやっていた。朝食後に洗顔をした。そして朝陽を待った。ちょうど鱗雲が空を覆っていて、その魚鱗を朱色に染め始めていた。空は生きていた。そして激しく動いていた。

劇的な室戸との再会だと思った。明星が口の中に入ったという弘法大師空海の、その瞬間もきっとこのような朝だったのだろうと、ボクは思った。

転げ落ちたことに感謝した。転げ落とされたのかもしれないと、ボクは思った。

室戸の朝
室戸の朝



室戸(11日目の2)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

かれが室戸の先端にせまり、ついに最御崎の岩盤に立ったときには、もはや天空にいる思いがしたであろう。(…)この巌頭に立てば風は岩肌をえぐるようにして吹き、それからのがれるためには後方の亜熱帯性の樹林の中に入りこみ、樹々にすがり、岩陰に身を隠さねばならない。やがて空海は風雨から身をまもるための洞窟を発見するにいたった。(…)空海がこの洞窟をみつけたとき、「何者かが、自分を手厚くもてないしている」という実感があったのではないか。

(「空海の風景」司馬遼太郎著 中央公論新社より引用)

その室戸にはもうすぐだった。穏やかな天気だった。その洞窟、御厨人窟で修行した当時の弘法大師空海の青年像が見えた。高さ10メートル以上はあるだろう白いその像は「鉄さび色の大岩盤」を背景に浮き上がっていた。

ボクは、久しぶりの室戸を懐かしく感じていた。記憶は正確にボクの脳の中に収まっていたし、その場所は容易に特定することが出来た。そして重ね合わせた。御厨人窟の中で納経をした。早朝の聖地にボクひとりだった。洞窟の中にはボクの声が響いた。

感動、何に対してなのか、ということは、その瞬間には分からなかったのだけれど、涙が流れた。睡眠不足や疲労は感情を涙にかえることで、慰められるのかもしれない。四国を歩いている間、常に感情はギリギリのところまで張り詰めていたし、それは肉体とて同じことで、平衡感覚を保つために、緊張を強いられているようにも思った。そしてその糸は切れないまでも、かなり高い音程で脊髄から脳に刺激を与えているように感じていた。

ボクは御厨人窟を出て、そして海岸線にある遊歩道を進んだ。その頃、弘法大師空海の頃と今とは、ほとんど変化がないのだろうと思った。四国にはそういう場所が多いと思う。変化がない場所が普通に存在する。そのことがボクたちを感動させるのだろう。

最御崎寺への山道を登った。登り初めてすぐに「ホテルなはり」の割引券が置いてあった。「お遍路さん、500円割引き。素泊まり3500円」1枚いただいた。最後が、というか、四国に来て最初に泊まったのが10月22日の徳島だったので、ずいぶん長い間布団に寝てないように感じていた。それよりも充電したかった。洗濯もしたかった。寝袋やテントを干したかった。体勢を整えたかった。疲れていた。

その割引券を大事にザックにしまった。「ホテルなはり」が身体を軽くした。「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」と般若心経のこの部分を唱えながら登った。「行こう、行こう、さあ行こう。みんなで行こう。幸せの世界へ、さあ行きましょう!」(「般若心経といろは歌」山田法胤著 PHP出版)という意味だ。お経は音楽に近い。詩というリズムを持っている。「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか」と書くと、分かると思うのだけれど。

24番札所最御崎寺に着いた。8時だった。

室戸の朝とボク



痛みは快感になりますか?(11日目の3)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

遍路をして何か変わったのだろうか、なんて考えていた。というよりも遍路中も「何になるんだろう」と思っていた。どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのかと。雨の日には特に思った。ねぐらの決まらない夕方も思った。坂道でも思った。そして叫んだりもした。金剛杖に当たったりもした。

「プロ遍路はきっとMだね」なんて考えたりもした。野宿したり、酒を飲まなかったりすること、それが何になるのか、聞かれても、答えることが出来ない。達成感のようなものはあったにしても、変化なんてものはなく、まして御利益なんてものは、今のところ一切ないように感じる。想い出だけはたっぷりとあったとしても。

室戸までの3日間は確かに長かった。それでも海がある風景は、それが司馬遼太郎の言う「地の涯であろうというそらおそろしさを感じさせる」場所であったとしても、開放感はあったし、そのことで気持ちも明るくはなった。森や山の中の、あの薄暗い風景のほうが、恐ろしさを感じた。なによりも海岸線にはねぐらがあった。

24番札所最御崎寺を8時30分に出発して、室戸の街へ降りて行った。急峻な山坂は橋によってスロープになっている。それでも落ちて行くという感じがするほどの勾配だった。その日は風が強くて、いや、室戸はいつも強風が吹いているのかもしれないけれど、肌寒い朝だった。

1枚目のSDカードが坂道の途中で終わる。その時点で撮影した写真は770枚になっていた。

25番札所津照寺の手前のYショップに寄った。食糧もなかったし、お腹も空いていた。Yショップ前のベンチで、まるごとソーセージとツナマヨ、梅のおにぎり2個を食べた。10時になっていた。乾電池を買って携帯の充電器に入れた。少し充電できたところで、メールチェックをした。そのメールだけが、ボクの会話のようにも感じていた。遍路としてのボクではないボクとしてのだけれど。

津照寺に11時前に着いた。いつものように納経をして納経所に行く。順番を待っていると関西弁のお姉さんに割り込まれた。ボクは何も言わなかった。割り込む以上にそこで呪いの言葉を口に出す方が忌まわしいことのように思った。心の中では「何考えてんだよ」と言っていたのだけれど。

そうしたらお寺の人が「順番は守ってください」とボクの代わりに言ってくれた。お姉さんは、何か言いたげに見えたし、そのことが態度に出ていたのだけれど、それに従った。そこで反論することでの不利益を、一瞬のうちに計算したのだろうと思う。そう言った計算をしてしまうのも、人間の弱さなのだろう。

彼女が車遍路でよかったと思った。歩き遍路だったら、この後もどこかで会うだろうし、その時に何を言えばいいのか、どういう顔をすればいいのか、となると気持ちが重くなるだろうから…。嫌な気持ちはどちらにもあったのだろうし…。

津照寺の階段を降りてボクは26番札所金剛頂寺に向かった。お寺は人が多かった。そのことはボクの気持ちも明るくさせてはいた。2日間、薬王寺から最御崎寺までは、数えるほどしか人と会わなかったし、言葉も交わさなかった。おまけに携帯も充電切れで、言葉も数えるほどしか話していなかった。御真言とお経だけは唱えていたのだけれど。

最御崎寺 仁王門 仁王尊
最御崎寺 仁王門 仁王尊



歩き遍路は幸せですか?(11日目の4)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

歩き遍路の人たち、通し打ちで40日から50日かけて歩き続ける人たちは、幸せなのだろうか、と思う。その長い時間、歩いて四国を巡礼する時間があるということ、そしてその体力があるということ、そのことだけを考えると、幸福なのかもしれないけれど…。

50日間もの長期休暇を取れる人というのは限られるだろう。出会った人たちの多くは定年後の人か失業中の人だった。ボクも失業中だったので時間はあった。

定年後の人たちは、例えば「遍路をしたい」と発心しても、60歳を過ぎて1200キロもの長距離を歩き続けるという体力がある人は限られてしまうだろうと思う。

失業中の人たちは、金銭的に少し余裕がないと50日プラス前後の日数、2ヶ月という時間を旅に費やせないだろうと思う。それが旅館やホテルに宿泊する遍路だとしたら、数十万という(約50万円ほど必要らしいのですが)金額を使える余裕がある人は、また限られるだろうし。

どちらも無職の人たち。プロ遍路の方たちも無職だから、歩き遍路は無職の人がほとんど、ということになる。そしていろいろな理由から歩き始める。例えば何かを求めて、例えば傷を癒すために、例えば供養のために…。そこには幸せとは少し違った、満たされない心があるのかもしれない。

26番札所金剛頂寺に着いたのは12時を少し回った頃だった。「つかれた」と日記に書いているほど疲れていたのだろう。納経をしてお寺のベンチで休憩をした。少し長い時間を過ごした。おにぎりをひとつ食べた。

13時00分出発。「13時になったら動くぞ」と気合いを入れての出発だった。下半身の筋肉全て疲れているように感じていた。朝、動き始めて8時間が過ぎていた。山道を下って国道55号線に出た。吉良川の休憩所にて休憩した。14時を少しまわった頃だった。

室戸の登り口でいただいたホテルなはりの500円割引券は大事にザックの中にあった。それを取り出して、見た。もうホテルに泊まるということだけが頭の中にあった。というか早く横になりたいと思っていた。公衆電話を探してホテルに予約の電話をした。「吉良川からですと、約3時間みていただければ」と言われた。14時30分だった。「17時30分、18時前かあ、暗くなってるなあ」と思った。

ホテルなはりに向かって歩き始めた。500円割引券、ボクはそれに動かされていた。

金剛頂寺から
金剛頂寺への遍路道から室戸



そして半島の朝陽は夕陽になった(11日目の5)

In : 11日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/29

14時30分に吉良川の休憩所を出発して、奈半利町を目指した。ホテルなはり、がその時のボクの目的地だった。そしてそこには安眠とか安心とか慰安なんてことが約束されていた。楽園がそこにあった。

羽根を過ぎて羽根岬手前から大夕陽…。
あの室戸で見た太陽は、ぐるりと半島を回って、こちら側に隠れようとしている。

トヨタ期間従業員に行こう | 雨、路上にて

哀しみの半島を行く
越えると
朝左手に見えていた朝陽が
夕にも同じ方向に夕陽となって見える

幻覚のような時間
歩くことに倦み疲れ切っているからだろうか
左足の痛みのせいだろうか……、と思う。

繰り返されることで
例えば、呼吸や寝て起きて、食べて排出して、右左右左歩いて

人は存在を信じる。
存在を考える、認識する。

あるいはそれが生きるということ

とすると、半島の陽というのは
そのことをくつがえす
というか、繰り返されることによって実存するものを破壊する、ようでもある。

空不異色、色不異空という思想は、こういった無時間体験、ある種の幻覚あるいは錯覚の中で確認できる、のかもしれない。

なんて考えているところなのだ。
まだまだ歩いています。元気です。

他のブログにエントリーしたこの記事は、羽根岬の夕陽を見ながら感じたことだった。この日は朝陽も夕陽も圧倒的でさえあった。体中の痛みは、アドレナリンやドーパミンを脳に分泌させていて、幻覚の中にあったのだろうと思っている。そして風景は「仏性という形而上的世界に昇華させられ」るのだろうと考えていた。

しばらく、沈んでゆく太陽を見つめていた。夜はそこまで来ていた。

羽根岬からの夕陽
羽根岬の夕陽