Category : 44日目

そして一番霊山寺へ(44日の1)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/25

上板スポーツ公園3塁側ベンチの夜は、12月、初冬の冷え込みだった。mont-bellのULアルパインダウンハハガー#3でも寒いくらいだった。使い捨てカイロを足元に入れた。シュラフカバーは結露するので出来るだけ使わないようにしていた。使わなくても済む気温だったということもあるのだけれど。

霊山寺山門の提灯

霊山寺山門の提灯

深夜に、たぶん0時を回ったころだろうか、アベックが犬の散歩にやってきた。グランドでボールを投げてそれを犬に拾わせるということを何度か繰り返していた。ボクのことに気づいてすこし驚いたようだった。そして1塁側にも同じように遍路が寝ていたのだから、2度驚いたのだろうと思った。

あるいは、毎日違う遍路が寝ているのかもしれない。もう上板は遍路の聖地となっているのかもしれない、と考えていた。四国とはいえ、安心して眠れる場所が簡単に見つかるわけではない。

散歩のアベックがいなくなると、また静寂が戻ってきた。少し寝た。次に起きたときは1時30分、そして次に目が覚めたときは2時だった。眠りは浅かった。日付が変わって、もうその日が四国最後の日になっていた、そういう興奮した気持ちもあった。

なによりも「帰れる」と思った。「やっと、終わる」と思った。

アパートに帰れば毎日風呂に入ることが出来て、そして暖かい部屋で安心して眠ることが出来る。そう思うと、そこが楽園に思えてきた。豊かさとはなんと身近にあることか、と思った。ここでそのギャップを感じることができるのも不思議なことだった。ここ、文明の国、日本にボクはいたのだから。

もう眠れなかった。寝袋からはい出して、音をたてないようにパッキングをした。いつものように。ヘッドライトも出来るだけ使わなかった。1塁側の遍路氏に遠慮したということもある。不審者として通報されるのではという懸念もあった。

パッキングを済ませると、出発した。2時30分。意味のない出発だった。早く着きすぎる・霊山寺まで6~7キロという場所だった。2時間としても5時前だ。それでも出発した。ゆっくりと歩いた。正面玄関から県道12号線に向かって歩いた。

ゆっくり歩きながら板野町に入った。羅漢のローソンのところで少し休憩した。その先のコインランドリーでも休憩した。疲れているのではなくて、時間をやり過ごした。懐かしい思い出が蘇った。あの日、板野と坂東を間違えて2駅手前で下車してしまったこと、そして霊山寺に戻ったことを思い出した。そこを歩くのは3度目となっていた。

5時、阿波川端駅着。駅のベンチに座って朝食をとった。おにぎり2個とほっとレモン。それからまたゆっくりと歩き始めた。寒い朝だった。鳴門PAの場所を確認するためにドイツ館バス停の所から高速道路の高架をくぐり、PA入り口の階段を上った。そして下りて霊山寺に向かった。

6時00分、一番札所霊山寺到着。開門前。朝は粛々と再生されているように感じた。ボクはバスチケットを買うためにローソンへ向かった。

霊山寺で昨日のろうそくを燃やす

霊山寺で昨日のろうそくを燃やす



遍路とは(44日の2)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/27

早朝6時に一番札所霊山寺に着いたボクは、近くにあるローソンに向かった。高速バスで鳴門PAにある鳴門西バス的から難波まで行き、それから南海電鉄高野線で極楽寺駅まで、そこから高野山までケーブルカーで行く予定にした。それは早朝歩きながら考えた。

霊山寺の夜明けとローソンの看板

霊山寺の夜明けとローソンの看板

予め決めてはいなかった。なにもかも。行き当たりばったり、というよりは、臨機応変、体調や天候に合わせての遍路だった。予定を決めるとそれに縛られる。しかたないことはしかたないのだろうし、と考えていた。それを考えることが出来る時間があるということが前提ではあるのだけれど。多くの遍路は時間に拘束される。そして区切り打ちをしなければならない人も多い。

何度か書いたのだけれど、遍路のスタイルにはいろいろあって、どれが一番とかどれが霊験あらたかなのかということは誰も分からないし、決められないと思う。どれも大変なことなのだ。野宿しない人たちはそれだけ宿泊代がかかる。打ち終わるまでに40万とか50万円という出費になる。

区切り打ちのひともそうだ。その金額プラス何度も四国への交通費が増える。そしてお金を貯めて休日を使い遍路をする、という生活全てが遍路になる。人生即遍路なのだ。

ツアーにしても同じだ。時間がない人、あるいは健康ということもあるだろう。人生いろいろなのだから。

遍路をしようと思うことが大切なのだろうと思う。なにもいらないし、どんな作法でもいい、その気持ちを持つことですでに8割がたは結願しているのだろうと思う。したくても出来ない人のほうが多いのだから。多くの四国八十八か所が全国にあるということはそういうことなのだろうと思う。そこで結願することも、本四国で結願することも、同じなのだと思う。

遍路とは。いろいろなワーディングでそれが語られると思う。そして遍路とは、ということを言葉にするのも簡単なのかもしれない。でも、実際、ボクは分からないでしるし、なにかがボクの中に生まれた、あるいは、消滅したなんて実感もない。

そうして、遍路する前と同じ生活をしている。精神的にも物質的にも変化していないのだ。「擬死再生」という言葉を使ったとしても、それがマジックのようにボクに起きたかというと、その気配すらない。

膝の痛みも、足に出来た豆も、もうすっかり消えてしまった。思いでも徐々に変化する。

そしてボクはなお今もすがる。線香を焚いては「南無大師遍照金剛」と唱える。般若心経を唱える日もある。そして近くのお寺に行くこともある。

擬死再生というよりも、また元に戻ったという感じなのだ。

ボクはロッピーで南海なんばまでのチケットを買った。9時17分発のバスだった。それから霊山寺に向かった。山門で一礼をして、いつものように納経をした。まるで今から打ち始めるような気持ちになった。

納経所に行きお土産を買った。納経所の方と少し話をして、結願記念のお数珠を頂いた。高野山の地図やガイドブックも頂いた。まだ7時を少し回ったところだった。ボクはそのまま高速バスの乗り場へ向かった。

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け



生々死々去々来々転々(44日の3)

In : 44日目, 涅槃の道場, Posted by 田原笠山 on 2009/05/27

無上甚深微妙法
百千万却難遭遇
我今見聞得受待
願解如来真実義

開経偈だ。そしてその現代語訳は以下の通りなあのだけれど…。

最高にして深遠な(仏陀の説かれた)真理には、どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。願わくは仏陀の説かれた真理を体得したい。
開経偈-真言宗のお経(在家勤行式解説)-真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

結局、なにも体得できないままボクは高松自動車道鳴門パーキングエリアにいた。そこに立つと風景、風も光もそれまでのものとは全く違って見えた。文明の中にいるといことが実感できたし、それは確実にボクを涅槃ではなくて、混沌へと運び去る大河のように感じた。

さらば四国(高速バスから)

さらば四国(高速バスから)

また迷い込んでしまうという予感もあった。歩いても歩いても道ばかり。山頭火の言う「人生即遍路」がそこで分かったように思った。人生なお遍路、人生さらに遍路、なのだ。

バスを待つ間にパーキングエリアのトイレで髪を洗った。鏡に映った遍路姿のボクは、日に焼けて髪も菅笠の型がついてボサボサで、顔も洗ってなかったので目やにまで着いていた。その姿をしていなければ、ただの小汚いオヤジだった。

バス停でパンを食べた。9時前にバスが来た。それに乗り込んだ。買ったチケットの便とは違うものだったけれど、運転手が「もう乗る人がいないので良いですよ」と乗せてくれた。バスには5~6人乗っていた。ボクは前から2番目の椅子に座った。フロントガラス越しに風景が拡がった。

本線に合流するとすこしして眠くなってしまった。そして眠った。目が覚めた時には明石海峡大橋を渡っているところだった。神戸の街が見えた。

文明の匂いがした。
欲望の香りがした。

ボクは少しの間、その風景をまるで外国へ行ったときにランディングする飛行機の窓からの景色のように眺めていた。ずいぶんと見慣れぬ風景だった。同じ国だとは思えなかった。とつぜん自由の女神が見えるのではないかと思った。

感覚がぼやけていた。そして橋を渡りきったところで感じた。「戻ってきた」と。よく分からない44日間だった。全てが、例えば眠っているのかということさえも曖昧な感覚だった。そしてバスの中はなぜだか安心できる場所だった。ボクはまた眠くなった。そして寝た。戻ってきた場所、そこがボクの居場所のように感じた。

次に目が覚めた時にはもう大阪市内だった。

11時に難波駅に着いてボクは、南海電鉄高野線に乗って極楽寺駅、そこから高野山ケーブルカーに乗って高野山に行った。高野山内1日フリー乗車券を使って、ぐるりと回った。

それからまたケーブルカーに乗って極楽寺に下りて、そして電車を乗り継いでその日のうちにアパートに戻った。遍路姿のまま地元の駅からアパートまで歩いた。

四国遍路が終わったと感じた。アパートに着くと同じ位置に同じものがあった。なにもかもが同じだった。そしてボクも同じだった。戻ってきたと感じた。それだけのことだった。

(完)
「四国遍路」旅日記はここで終わります。
また、高野山のことや、ここに書けなかったことなどを少しずつ書いていこうと思います。「装備」のことについても考察していこうと思います。

ありがとうございました。合掌。

明石海峡大橋から明石の街並み

明石海峡大橋から明石の街並み