Category : 発心の地

お遍路さんはいつも空腹なのだ(2日目の1)

In : 2日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/20

朝、犬の(犬を連れて人の?)散歩の人の声で目が覚める。
「しまった」もう明るい、6時30分、急いで撤収、寝袋を丸めてスタッフバックに押し込んで、パッドを丸めて、ザックに収納して、歯磨き洗顔…。その間30分、もう隠れ場所がないほど明るくなってしまっていた。

出発。と、犬を連れて散歩中の女性に声をかけていただく。「おはようございます」

「安楽寺さんですか?」
「はい」
「近道があるのでそっちを行かれたら早いですよ」

と、へんろみち保存協会発行の地図には掲載されていない道を教えてもらう。教えてもらったのだけれど、地図にない道を歩くという不安。そういった不安は、いつも、その後地図にない道を教えてもらう度に生じるようになる。信じられないというのではなくて、地図にないことによって位置が確認できないということの混乱、そういった感じの不安、不安定感のようなものから、歩く速度が早くなったりもした。

結局、上板町役場の交差点に出て次の信号交差点からへんろ道に入った。そのあたりに出る道を教えていただいたように思う。ハッキリしないから「思う」ということなのだ。

安楽寺、十楽寺と打つ。八番札所熊谷寺への途中で30分休憩する。肩が痛い、腰が痛い、足は豆はできていないのだけれど、痛い。頭痛もしていたので、鎮痛剤を服用。朝食もとっていないのでお腹も空いていた。10時40分出発。快晴、半そでに白衣、ザックを背負った背中は汗で濡れていた。

熊谷寺、法輪寺、切幡寺と打った。朝食もだけれど昼食もとれないでいた。タイミングというか、食堂も少ないし、コンビニもなかったので、そのままになってしまった。歩いていると、そういうことが多い。へんろ道から1キロも行けば大通りだったり、食堂やコンビニがあったりするのだけれど、その1キロを歩くということが難しい、遠い。

切幡寺の門前「ふじや」にて遅い朝食兼昼食。月見うどん500円をいただく。ポン菓子(スウィートライスとか言ってたかな)をお接待でいただく。

14時30分、藤井寺まで9キロメートル……。

明日は最初の難関、焼山寺までの山越え「遍路ころがし」が待っている。法輪寺でお坊さん(巡拝ツアーで引率していた)から「今日は藤井寺までがんばって行って、そのへんで野宿して、早朝から焼山寺を目指しなさい」と言われていた。とにかく早朝には藤井寺にいなければならなかった。

潜水橋
藤井寺までまだまだ6キロ。



逆打ち(2日目の2)

In : 2日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/20

「どうして歩いているんだろう」という疑問はボクの側を離れることはなかった。それどころか雨の日は歩いていることが苦痛にもなったし、その行為への憎悪にもなった。ボクは金剛杖を何度も叩き折りそうになった。道路に強く打ち付けたこともあった。

「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」と唱えながら、それはまるで「チキショ~、このやろう~」とほとんど同じようでもあった。鎮痛剤は頭痛を軽減していたのだけれど、筋肉痛関節痛にはほとんど効いていないように感じた。焦燥感、悔恨、不信感、そして空腹感や睡眠不足、いろいろなものが、杖に向かってあるいはボク自身に向かって苛虐する。

歩いていた。吉野川に架かる川島橋を渡った時には16時前だっただろう。あと3キロと少し。ボクは土手の上の道を歩いていた。「へんろ小屋がありますから休んでいけば良いですよ」と、おじさんに声をかけていただいた。ボクの表情に何かただならぬ物、例えば憎しみなんてのを感じ取ったのかもしれない。

ボクはそのへんろ小屋で少し休憩を取った。布団もある、泊まることのできる小屋。「ここにこのまま泊まろうかなあ」と思っていた。思っていたし、そうすることが一番良いようにも考えていた。

法輪寺にて
法輪寺にて イチョウも色付きはじめた。



たどり着いたへんろ小屋の夜(2日目の3)

In : 2日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/20

歩き始めた。17時までに藤井寺に行って…。夕陽が時間を圧迫していた。容赦なかった。ボクは歩いていた。少し早足だった。へんろ道、藤井寺への最後のアプローチは上り坂、そして山道、その時点でタイムアップとなっていた。17時を過ぎた。

「南無大師遍照金剛……、なんだこれは……」とボクは誰に向かうでもなくのろいの言葉を口にしていた。

お寺の駐車場にテントを張らせていただこうかと思ったのだけれど、食料がなかった。夕食もだけれど、明日からの「へんろ転がし」焼山への峠越えにはプラス 2食は必要だった。藤井寺までのへんろ道にはコンビニもスーパーもなかった。少し離れればあったとしても、ボクに余裕がなかった。とにかく藤井寺を打って、それから考えれば良いや、と思っていた。また後悔した、そして焦った。

ボクは歩き始めた。今度は車道を通って国道192号線を目指した。今来た方向に戻り始めたのだ。逆打ち。四国八十八ヶ所を一番札所から順番に巡るのではなくて、逆に巡るのを逆打ちと言うのだけれど、ボクは十一番から十番に、逆打ちするような形になったのだ。

国道に出る頃には全くの夜になっていた。

ローソンに着くと、ボクは3食分を買った。夕食には牛丼を買った。そして駐車場の隅で食べた。涙が出た。「どうしてここで牛丼なんて食べてるのかなあ」「どうして歩いているのかなあ」。

牛丼を食べ終わる。ボクはまだ歩かなければならなかった。その駐車場はその夜のベッドには不向きだったし、迷惑はかけたくなかった。たとえ許されたとしても。

ねぐら。
ボクは更に逆打ちを続けた。あのへんろ小屋が、あのへんろ小屋しかイメージ出来なかった。国道の閉店しているパチンコ屋の軒下を借りようかとも考えたのだけれど、ボクはあの壁のある、そして全ての人から野宿することが認められているへんろ小屋だけが癒しの場所のように思えていた。

迷った。一度通った道なのだけれど、そのへんろ小屋、橋の側の、共産党事務所のあるへんろ小屋…。30分、あるいはもう少しだったのかもしれない。ボクには2時間ほどの時間に感じられたのだけれど、そのへんろ小屋になかなかたどり着けなかった。

歩いて歩いて、そして迷いながらも、なんとか辿り着いた。幸い誰も居なかった。定員1名、そのリバーサイドホテルからの夜景は綺麗だった。もしも、そこに、そのへんろ小屋に先客がいたとしたら、ボクの気持ちもタイムオーバーしたかもしれない、と思った。まだツキはある、とも思った。そういうツキみたいなものは、旅には必要なのかもしれない…。

備え付けの水道でTシャツを洗った。身体を拭いた。顔も洗った。もう動けない、と言うほどに疲れていた。4キロほどを打ち戻った、ということがその疲労度を高めていたように思う。そして明日はまた来た道を戻る。「なにしてんだろうね」と、つぶやいた。

右足かかとに豆が出来ていた。潰して治療をした。身体の痛み、頭痛はまだあった。頭痛薬を飲んだ。寝袋に収まった。もうそうするしかなかった。また少し泣いた。「なにしてんだろうね」口癖になっていた。

川島橋の夜

川島橋の夜


涙で滲んでいるのではなくて、ピンボケしているけれど…。

*六番札所安楽寺~十番札所切幡寺
*吉野川市川島橋へんろ小屋泊

*(出費)
・自動販売機
スポーツドリンク2本 300円
ココア 120円
・ふじや(切幡寺門前、昼食)
月見うどん 500円
・ローソン
カフェラッテ 144円
お茶 126円
スニッカーズ 120円
柿の種 105円
コーンマヨネーズパン 105円
おにぎりかつお 105円
おにぎり日高コンブ 110円
おにぎり梅 2個 210円
牛丼 398円 (小計1423円)

合計 2343円



転がされずに焼山寺(3日目の1)

In : 3日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/21

まだ3日目。その3日間が特に長く感じた。慣れていないということもあったのかもしれない。余裕もなかったのかもしれない。ただ歩くことだけがボクの全てになっていたし、相変わらず慌しい風景との関係をなんとかシャッターを押すということで保っていた。そのことがなければ、ボクは漫然として点と点を繋ぐという巡礼になっていた、と思う。

まだ3日目。3日前までのハイカロリーの食事が胃や腸、そして血液、筋肉、細胞組織の中に、その栄養素をたっぷりと残していた。ボクはその貯金で動いているようでもあった。

そういう意味では「へんろ転がし」と言われる焼山寺への山越えは、ボクにとってはそれほど「転が」されるほどのものでもなかった。山登りをしたことのない人にとっては、あの3つの山越え、それも急登の高低差はキツイと思うけれど、それでも頂上があり下りがあり、先が見えるということは、精神的には「楽」なのかもしれない。それよりはその後に待ち受けていた札所と札所の長い距離や、膝を痛めた後の足摺までの行程のほうが「転がし」だったし「地獄」だった。

その日の行程は

06:10 へんろ小屋発
07:00 藤井寺着 朝食(おにぎに)
07:30 藤井寺発
10:30 柳水庵着 昼食(柿の種、スニッカーズ)
11:10 柳水庵発
12:00 一本杉庵着
12:15 一本杉庵発
14:10 焼山寺着
14:40 焼山寺発
15:10 杖杉庵着

そしてサンクス神山町店に17:00前に着いた。

転がされなかったのだけれど、やはりあの急登は疲れた。藤井寺から長戸庵、柳水庵への登り、そして最後あたり、は、転がされそうになったのだけれど、やはりまだ3日目、体力は残っていた。残っていたのだけれど、そこで使い果たしたのかもしれない。サンクス神山町店から道の駅までの道程で足は「足はこれまでで一番、たぶん一生で一番痛かった」と日記に書いているほど、痛かった。

サンクス神山町店でボクは夕陽を見ていた。ねぐら探しがまだ残っていたのだけれど。

柳水庵から浄蓮庵への途中で

柳水庵から浄蓮庵への途中で



そして神の山は焼けた(3日目の2)

In : 3日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/21

焼山寺を打ち終えて、結局食料もないということで鏡大師経由を諦めて神山経由を選んだ。当初は鏡大師経由という計画だったのだ。藤井寺から焼山寺、そして鏡大師、広野、国道192号までの道には食料を確保できそうな店が、地図上には存在しなかった。そのことがボクを神山経由にさせた。それに16時から玉ヶ峠越えには自信がなかった。自信、というよりも、怖かったのだけれど…。

神山の町並みを見たときに、ボクは一日中山の中だったこともあったのだろう、ホッとした。安心した。もう大丈夫、と思った。焼山寺山は霊験あらたか、何か不思議な力が宿っているように感じていた。途中に見たイノシシの皮を吊るしていた畑の光景(きっとイノシシ避けなのだろう)とか、深山幽谷、誰にも逢うことのなかった山間の集落、そして疲労が少し感覚を麻痺させていたのかもしれない。

ボクは少し怖かった。サンクスで都会を感じたとしても、その感覚は拭えなかった。なにかがいるような、あるいは、ボクになにかが憑いたような、何かを感じていた。その感覚は徳島市内に入るまで消えなかったのだけれど…。

サンクスで食料を調達した。そして夕食もその都会、あるいは文明を感じさせる場所で済ませた。なによりも山を焼くような夕陽がクライマックスを迎えていたのだ。少しボクの感覚は麻痺というよりも、平衡感覚をなくしていて、そしてそれが恐怖という感覚に繋がっていたのかもしれない。

焼山。山は焼けていた。きっと弘法大師も同じ光景を見たのだろう。その地形が出来た時から、山が焼け、そして町が赤く染まる。人々はその光景に神を、あるいは仏を見たのだろう。神山。
焼山寺の夕焼け
夕食の野菜サンドとまるごとソーセージを食べたボクは、道の駅を目指した。クライマックスを終えた西の空には夜が段取りよく忍び込んでいた。暗い道を歩いた。とてつもなく長く感じた。1時間にも満たない時間、夜を歩くのはそれだけで感覚を麻痺させた。長く感じた。

ボクは道の駅に着いた。東屋に腰を下ろした。もう動けなかった。それは毎日のことだった。力を残さないでねぐらへと辿り着く毎日。その日もおおよそ10時間は歩いていた。

*藤井寺~焼山寺
*道の駅温泉の里神山

*(出費)
・サンクス神山町店
野菜サンド 280円
まるごとソーセージ 121円
赤飯おにぎり 130円
ふんわりロールマーガリン 105円
ポリッピー 103円
柿の種 105円
アサヒサンジャポスポーツドリンク 98円
ガム 120円
・自動販売機
スポーツドリンク3本 450円
缶コーヒー 120円

合計 1632円