Category : 7日目

コンビニ巡礼(7日目の1)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

5時30分起床。同じ頃におじさんも起き出した。ママチャリ遍路の女性ふたりもテントの中から声が聞こえていた。洗顔をする。缶コーヒーを飲む。朝食は昨日お昼にローソンで買っていたおにぎり2個。賞味期限はとっくに過ぎていた。

無口に、そして少しの気恥ずかしさを伴って、朝の時間は流れてゆく。ゆっくりとすべり落ちてゆくように景色は変化する。

おじさんは6時すぎに出発した。「またどこかで・・・」と挨拶をした。

6時30分、その勝浦のヘンロ小屋を出発。ふたりは食事の準備をしていた。「もう、きっと会うことないね」とボクは言った。
「鶴林寺で会えるかもしれないですよ」
「そうだね・・・。じゃあ、またね」
「はい、お気をつけて」
「あなたたちもね」
と、ボクはサンクスへ向かった。(このあと鶴林寺手前の山道で、彼女たちが自動車道の坂を下って大龍寺に向かうのが見えた。「会う」ことはなかった)

札所巡り、そしてコンビニ巡り。毎日のように1度はコンビニを利用した。一日に数度ということもあった。買い物だけではなくてトイレも使わせていただいた。トイレを使うということは、何かを買うということだったのだけれど・・・。

コンビニがなかったら、歩き遍路はさらに困難になると思う。へんろ道沿いには商店が少ないし食堂も少ない。もしかするとコンビニが出店する前までは営業していた店舗もあったのだろう。お寺でトイレや水の確保はできても食料の確保はできない。参道に商店が並ぶところでは、食堂があるのだけれど。

またゴミの処理にも困ると思う。買い物、トイレだけではなくて、ゴミを捨てるためにコンビニに寄る。山道が多いへんろ道ではゴミ箱がほとんどない。コンビニがないとゴミを一日中ぶら下げて歩くことになる。民宿に泊まる人たちはそこで捨ててもらえるだろうけれど、野宿する人たちはゴミと寝ることになる。

普通の商店には店頭にゴミ箱がないし、お願いすると言うわけにもいかないし、やはりコンビニのあの店員との距離感みたいなものが楽なように思う。ゴミもトイレも水も、そして道案内も・・・。

へんろ道のところどころに、

遍路の旅で人生を見つめ直したい。そんな人々が全国から集まる四国八十八か所の札所巡りに、異変が起きている。ごみを路上にポイ捨てする遍路がいるかと思えば、山間部では不法投棄された粗大ごみが遍路を出迎える。「癒しの道」とも言われる遍路道だが、地元では「このままでは『嘆きの道』に変わってしまう」と心配する声も上がり始めた。

というゴミ問題を扱った新聞記事が貼られていた。

「ゴミは持ち帰る」という看板を見ても、歩き遍路、それも野宿旅だと「どこに持ち帰るんだよ~」と考え込んでしまう。結局、コンビニのゴミ箱を利用するしかなくなる。

食べる、そして排泄する、ということを繰り返して、そして歩いているのだけれど、ボクはコンビニの看板を見つけると、なんだかホッとしたし、路傍の丁石や仏、あるいは札所に辿り着いたほどの喜びを感じた。そういう意味では歩き遍路はコンビニを巡るのかもしれないと思っている。

ボクはサンクス勝浦町店に入った。「いらっしゃいませ」と言う声に心が慰められる。全てあることで不安が解消される。設定された心地よい室温が痛みを解放する、ように思えていた。「コンビニで涅槃を思うへんろ道」なんて日記に書いていた。

コンビニを打ち終わって、いや買い物を終えて、ボクは鶴林寺へ歩き始めた。

鶴林寺への丁石
「右 観正寺、中 鶴林寺、左 里道」そして「後 サンクス」なんてのはないか。



遍路とは…登山なり?(7日目の2)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

思っていた通りの難所だった。いきなり急登、直線距離で2キロ少しを500メートルほど高度を上げてゆく。何も考えられなくなる、ただ足を前へ身体を上へと上げてゆく。その状態で思索するなど不可能だと思った。肉体の苦しみ痛みが、精神の苦痛を忘れさせる。逆はなし、精神の苦痛が肉体の痛みを忘れさせる、ということは稀のようにも思っていた。

「無」ということはそういった肉体と精神の加減なのかと思った。「行」とはそういうことなのかもなんて考えていた。

車道が見えた時にちょうどママチャリ遍路の女性ふたりが勢いよく坂を下っていた。階段を登って山門に辿り着いた。「遍路即登山」・・・・・・。

ベンチにはヘンロ小屋で一緒だったおじさんが座っていた。もう納経を済ませたようだった。「早いですね」とボク。「疲れたね」と言った。それからボクは衣装を整えて、山谷袋から輪袈裟を出して着けた。数珠を持ち、そして本堂に向かう、納札を納め灯明、線香をあげ、そして賽銭をあげた。読経を始める。「無上甚深微妙法・・・・・・」いつものように開經偈から静かに始めた。一週間、札所だけではなくて道中も読経していたので、この頃になるとかなり暗記して、スラスラと唱えることが出来ていた。そう思った。

本堂での納経を済ませると、次は大師堂で納経をした。そして納経所に行って、納経帳に 墨書授印していただく。終わると、納経帳や御影札を山谷袋に収める。輪袈裟も収める。そして、ベンチに腰を下ろして少しだけ休憩した。おじさんの姿は見えなかった。

10分ほど休憩してボクはザックを背負う。10キロほどの荷物が肩だけではなくて腰に膝に負荷をかける。トレッキングシューズが沈み込みのが足の裏を通して感じられる。その反動で一歩を踏み出す。金剛杖を突く、左足を出す。繰り返し。ビブラムのソールを通して大地の感じが伝わってくる。金剛杖を通してもそれが手に伝わる。3つの接点で、ボクは繋がれていた。

鶴林寺から水井橋までの直線距離1.7キロほどを、今度は400メートル以上高度を下げてゆく。そして少しだけ平坦な道を歩き、また登りになってゆく。今度は大龍寺までだ。

鶴林寺直前にて

鶴林寺直前にて



補陀洛(7日目の3)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

人は旅をする。
永遠に。
行き着くところは桃源郷、あるいは地獄。

補陀洛とは「《(梵)Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す》仏語。インド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山。日本でも観音の霊地にはこの名が多い。補陀落山(ふだらくせん)」。

その桃源郷を目指して、旅に出るという宗教的な行いもあったそうだ。多くは海の藻屑となり、生きて戻ったとしても死が待っていた。
補陀洛渡海(ふだらくとかい)

大龍寺に着いたのは11時少し過ぎた頃だった。山の反対側には大龍寺ロープウェイが、高低差400メートル強、距離3000メートル弱を運行している。参拝者の多くはそのロープウェイを利用して標高500メートルの大龍寺を訪れる。それは急峻な山ということを物語っている。

おじさんがいた。ちょうど大師堂で納経をしていた。そのあとボクが納経所から出てきた時もおじさんはまだベンチに座っていた。ちょうど昼食時だったので、パンを食べていた。ボクはその隣に腰を下ろした。そして「今日はどこまで行きますか?」と尋ねた。「平等寺まで行って、それから考えるか」と答えてくれた。

しばらくしておじさんは、出発する仕度をした。「そしてどっちかね」とボクに聞いてきた。平等寺へのへんろ道は山門を出て少し打ち戻る車道を通るコースと、山に向かって行くふだらく峠越えとがあった。「どっちなんですかねえ」とボクが言うと、おじさんは納経所に聞きに行った。そして「山門を戻るんだそうだ」と、車道のコースを教えてもらったことをボクに話した。そして出発した。

ボクは昼食におにぎり2個とスニッカーズを食べていた。「あの方向は車道コースですよね」と隣のベンチに座っていたおじさんが声をかけてきた。茨城のKさんとの出会いだった。「そうなんですか」とボクは地図をサイドポケットから引っ張り出して見た。あとで分かったことなんだけれど、ふだらく越えは迷いやすいので、大龍寺としては車道を通るコースを勧めているそうだ。

Kさんも昼食のおにぎりを食べていた。昨夜泊まった民宿で作ってもらったものだ、とKさんは言った。そして宿に泊まりながら歩いているということを話してくれた。まだ少し休憩する様子だったKさんに「じゃあ、お先に失礼します」と言って、ボクはふだらく峠を目指した。確かに踏み後はしっかりと付いているけれど、それがいくつにも分かれていたので、迷いやすいな、と思った。そして思った通りの急坂だった。金剛杖で身体を止めなければならなかった。なんどか転びそうになった。

それでも身体は落ちて行く。そういう感じで山を下りて行った。まだボクの身体、特に膝にも痛みはなかった。筋肉痛は全身にあったとしても、それは少しだけ心地よさも伴っていた。痛みは時として快楽を内包して存在する。あるいは痛みは快楽に変換される。脳内でドーパミンが分泌される。そのことを身体は知っている。無意識下において。

持福院で休憩した。荷物を肩から降ろし、道端に座った。そして靴を脱いだ。しばらくするとKさんもやって来た。また少し話した。出身地のことや、ボクが失業者であることなんかを言った。Kさんの方が先に出発した。「止まっていると動きたくなくなりますからね」と言った。そうボクも思っていた。少ししてボクも歩き始めた。

国道195号線に出た。久しぶりの文明、なんてことを感じた。朝からまだ6時間ほどしか過ぎていなかった。身体が少し楽になると、思索が始まる。痛み…ボクは癌で亡くなったユリさんのことを考えていた。二ヶ月後に死ぬと宣告されたら、いったい何をするのだろうと。そしてその痛みに耐えることが、ボクには出来るのだろうか、と。

大龍寺 種火
昇華。エネルギーは異なる力へと置換される。痛みあるいはい悦び。その繰り返しが生命ということだ。(大龍寺の種火)



気ままな野宿旅(7日の4)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

民宿などの宿泊施設を利用して歩き遍路をすることの難しさは、宿を予約するタイミングや計画が立てられないということにあると思う。早めに予約したほうが確実に部屋は取れるだろうが、当日の天候や体調、あるいは山道になると思った以上に時間がかかったりなどの予期せぬことが起きると、その日にチェックイン出来るかも難しくなる。

当日予約する人、それも午後からのほうが無駄なく距離を歩けて、そして時間も節約できるのだろうけれど、満室だったり、あるいは休業中、中には廃業してしまっている施設もあったりで、かなり遠くまで歩かなければならなくなったりする。

特に遍路シーズンの春には難しくなるのだろうと思う。その点、野宿遍路は楽なのかもしれない。予約したりする手間もなければ、時間というものを気にしなくてもいいのだから。ただ、宿に辿り着かなくて良いというだけで、野宿する場所がなかったりで、暗くなってもねぐらを探せなくて彷徨い歩くという場合もあるのだけれど。

安心して眠れるということと、食事や入浴ができる、なんてことを考えると、そういったこともそれほど苦労だとは感じないのかもしれない。ボクもホテルや民宿に泊まる日は、気持ちが楽になったし、身体も軽くなったように感じた。旅のスタイルでそれぞれ苦労があるのだろうと考えている。

195号線を歩いていた。道の駅わじきでKさんと再会。と言ってもまだ1時間ほどしか経っていなかったのだけれど。Kさんはちょうど電話をしていた。その夜の宿がないようだった。平等寺近くには民宿が一軒だけしかなくて、そこに泊まれないということだった。ボクは休憩をしないでそのまま道の駅を後にした。 Kさんは休憩をしていた。そして「どうするかなあ」と言っていた。

それから大根峠を越して、車道に出たところでボクが休憩しているとKさんがやって来た。ボクはそのこと(宿のこと)には触れなかった。そのほうが良いと思ったからだ。Kさんは「先に行ってるよ」とそのままボクの前を通り過ぎた。

平等寺にて
経済と救済、厄払い。
(平等寺にて)

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そしてヘンロ小屋の夜(7日目の5)

In : 7日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/25

平等寺に着いたのは15時30分ごろだった。おじさんが納経所の横の休憩所にいた。「結局、ふだらく越えで来ました」とボクが言った。「オレもそのつもりだったんだけれどね。どうも途中で違っていると思ったんだけれど…」とおじさんは言った。
地蔵たち

「今日はどこまで?」
「もう少し行って弥谷観音あたりかなあ」
「そうですねえ、今からだとそのあたりで暗くなりますかねえ」
「ま、先に行ってるよ」
「はい」

と、おじさんは準備をしていた。Kさんが納経しているのが見えた。ボクも本堂に行って納経を始めた。終わって休憩所のベンチにいるKさんの隣に座った。「今日は、この辺に?」とKさんが聞いてきた。

「もう少し行ってから」
「この先に善根宿があるそうだよ」
「そうなんですか。どうしようかなあ。宿、取れました?」
「ああ、少し先の『グリーンハウス樹園』ってところ。まだけっこう距離があるんだよね。それでもそこしかないしね」

ボクは地図を広げた。
「10キロですか」
「うん、暗くなるよね。急がないと」
「そうですね。少し距離がありますよね」
「じゃあ、先に行ってるよ。あ、これ、今お接待で頂いたんだけれど、半分に分けたから」
と、5個ほど入ったみかんをわざわざ袋に入れてボクにくれた。
「あ、ありがとうございます」
「うん、じゃあ、また」
と、Kさんは山門に向かっていった。16時。18時に着ければいいけれど、とボクは思っていた。

そしてボクも今夜のねぐらに向かった。決まっていなかったけれど、おじさんが向かった弥谷観音かその手前の釘打トンネルの出口にあるヘンロ小屋が、6キロ先にあった。暗くなるな、と思った。

歩いた。途中、歩いている道がヘンロ道なのか不安になった。地図を持っていて、その通りに歩いているつもりでも、不安になるときがある。道を尋ねた。迷ってはいなかった。暗くなると、それだけで不安になる。国道や車の通りの多い道路だと良いのだけれど、山の中だと更に不安は大きくなる。そうすると時間も長く感じる、歩くのは速くなる、疲労する、良いことは何一つない。

暗くなった道を歩いて、釘打トンネルの入り口近くにあるヘンロ小屋に17時30分に着いた。おじさんがいた。

「居心地良さそうですか?」とボクが言った。
「水もトイレもないんだよね。弥谷観音まで行かなければならないみたいだよ」
「遠いんですかね」
「地図だと1キロほど」
「遠いですね。ボクもここに泊まりますよ」
「それがいいよ」
「食事は?」
「パンを食べた。水がなくてね…」
「あ、ボク2本もっているんで、1本差し上げます。水道水ですけれど」
「良いのかい」
「ええ、1本あれば。それにちょっと弥谷観音まで偵察に行ってきますから、その時に自販機があれば買ってきます」

そしてボクは荷物を置いて、洗面道具だけを持って弥谷観音へ向かった。暗かった。ヘッドライトを持ってこなかったことを後悔した。道路脇に湧き水が勢いよく流れていた。ボクはその水で顔を洗った。ついでに髪も洗った。暖かい季節ならば、そのまま行水をしたら気持ちいいだろうと思っていた。3日ぶりの洗髪だったのだけれど、暗闇で落ち着かなかった。それにおじさんも待っているだろうと思ったので、かなり慌ててそれらのことを済ませた。自販機はなかったし、その水も飲めるかどうかは分からなかった。

ボクは小屋に戻ると、そのことをおじさんに話してから、朝買っていたオニギリを食べた。今日はトータル1000カロリー摂っただろうかなんてことを考えていた。

そして明日、薬王寺を打ったら、室戸まで長い長い道程が待っていることなんかをおじさんと話した。トンネルの入り口は車の音がいつもしていてうるさかった。それでも疲れ果てた身体はトンネルの中でも眠れそうに思えた。そして疲れ果てた身体は、ボクから食欲を含めた全ての欲求を奪うことでバランスを保っていた。長い一日だった。

*ヘンロ小屋勝浦~ヘンロ小屋釘打
*ヘンロ小屋泊

(出費)
・サンクス勝浦町店
おにぎりツナマヨネーズ 105円
おにぎり焼鮭 130円
おにぎりカツオおかか 115円
おにぎり昆布 115円
アサヒ1本満足バー 126円
(小計 591円)

・自動販売機
缶コーヒー 120円
スポーツドリンク 150円

合計 861円