Category : 6日目

同行二人(6日目の1)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

「同行二人」とは、お大師さまと常にふたり連れということ。

お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。そして、遍路で使われる杖には弘法大師が宿ると言われています。
お遍路のススメ / お遍路さんの基礎知識

だから休憩する時はまず金剛杖を先に休ませる、常に上座に置く、宿では先に汚れを落とす、と大事に扱わなければならない。

ずいぶんと、お大師さまに助けられた。その金剛杖に山の登りでは身体を押し上げて、下りでは身体を受け止めていただいた。道にあっては前へ進めて、身体を起こしてくださったし、野に寝る時にはお守りにもなった。そしてボクの怒りの矛先にも、哀しみを慰安してくれる相手にもなった。

普通は10センチほど短くなるというのだけれど、ボクの場合は随分とすがったので、もう少し短くなってしまった。打ちつけたこともあった。叩き折りそうにもなった。「助けろ」と怒鳴ったこともあった…。いつも「二人」だった。

5時30分起床。ゆっくり準備をして6時30分には恩山寺バス停を後にした。そして参道を山門に向かった。晴れていたし、朝日が綺麗だった。

恩山寺を打ち終えて立江寺に向かった。立江寺までは4キロメートル、一時間ほどの道のりだった。熟睡していない身体は常に緊張状態にあった。6日目あたりになると、旅立つ前の肉体の貯えも消費してしまったように感じていたし、そこから体重も減っていったように思う。

常に金剛杖をついて歩いた。遍路の中には大事に扱うということから、そしてあまり頼らない縋らない、ということから、突かないで持って歩く人もいたのだけれど、ボクはほとんど突いて歩いた。そのほうがリズムカルに歩けた。コツコツ、という杖の音が心地よかっりもした。

立江寺を打ち終えて県道28号、22号を西、勝浦町方面へと向かった。次は二十番札所鶴林寺、二十一番札所太龍寺、ふだらく峠越えの「へんろ転がし」が待っていた。鶴林寺まで行くか、その手前の勝浦町までにするか迷っていた。勝浦町を過ぎて鶴林寺、太龍寺、国道195号線まで十数キロの間には、商店やコンビニがなかった。ほとんどが山道だった。水を確保出来る場所があるかどうかも不安になった。

標高30メートル勝浦から一気に500メートルを登って鶴林寺、それからまた標高50メートルの大井集落まで急坂を下り、そこから520メートルの太龍寺への急登、また国道まで高度差500メートルを下る。もうこうなると登山だ。巡礼というよりも。

太龍寺にはロープウェイがあった。「西日本最長の特大スケール・川越え、山越えの大パノラミックロープウェイ」…。そんな場所に楽に行けるはずがない、そう思った。最長にて特大なのだから…。

途中、こうぼうず曽我部冷泉で頭を洗った。この小さな無料の冷泉場は硫黄の匂いをたっぷりさせていて、なんとも効きそうに思った。ついでに洗顔もした。

11時、ローソン勝浦町沼江店で食料の調達。2食分を買う。その後、県道16号線を少し歩いて、11時30分に食堂「たなか屋」に入る。イカフライ定食(600円)を注文した。久しぶりの温かいご飯に味噌汁だった。ほうじ茶が美味しかった。

13時少し前にJAとくしま直売所の駐車場にあるヘンロ小屋勝浦第12号に到着。休憩、というか、行くか留まるか思案する。山は見えていた。遠く、そして高く感じた。30分ほど過ぎた。ボクはもう動かないことを決めた。明日早朝から山を2つ越えよう、と決めた。それに、そのヘンロ小屋が居心地が良かったし、夜もゆっくり眠れそうに思った。バス停とは違って、そこに眠ることが許されているのだから…。

恩山寺にて

恩山寺にて



善根宿(6日目の2)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

善根宿、「ぜんこんやど」「ぜごんやど」と言われる遍路に対しての宿泊所接待。無料、あるいは300円や500円という無料同然の宿。

善根宿

善根とは,本来,仏教語である。サンスクリットではクシャラームーラにあたる。「善根を施す」といった表現は,なんらかの行為が根となって善を生ずるという意味である。善根宿とは上記のことばの意味を踏まえて,わが国では,民衆が遊行中の修行僧などに一夜の宿を無償で提供することを意味した。

また「無財七施の修行」という、お金がなくても誰でもできる行い中に「房舎施」というのがあって「自分の家を一夜の宿に貸すこと。空部屋が無くて断わられた後続の遍路に相部屋をすすめる」(「四国遍路ひとりあるき同行二人 解説編」より引用)ということから、宿を貸すということも修行のひとつとされてきたのだろう。

現在では一夜の宿に自分たちの住居を施すということ(民泊)は稀になり、善根宿として作られた施設のことを意味しているよう思う。家の離れを善根宿として接待しても、隣の部屋に見ず知らずの人を宿泊させるということは、四国を歩いて巡礼するよりも難しいことのように、ボクは思った。

四国を歩いていると、その存在を知らなかったとしても、どこかでそういった宿に巡り合うのだろうし、ボクも実は知らなくて、6日目に初めて教えてもらった。

ネットで調べれば、その数の多いことに、こうして帰ってから気が付いた。のだけれど、あまりそういった情報を仕入れて遍路に出たわけではなかったし、そうすることが遍路ということを楽にしてしまいそうにも感じたので、情報収集はあえて避けたのだけれど。ガイドブックはへんろみち保存協会が出している地図と解説だけだった。

その地図には善根宿は記されていなかった。それはきっと「初めからそういうものに頼っては、あるいはすがっては、何のための遍路か」ということなのだろうと思う。ボクはへんろみち保存協会の良心だと思うし、全て教えることが親切な行いでもないように考えている。不便であればあるほど四国遍路はその意味を深遠なものにするのだろうと思っている。

その善根宿の存在と、「四国霊場八十八ケ所歩き遍路さんの無料宿泊所一覧表」という70ケ所ほどの場所が掲載されているリストがあることを、教えていただいたおじさんとの出会いは、その日にたどり着いた勝浦町のヘンロ小屋でだった。

ボクはもうそのヘンロ小屋に泊まることを14時には決めていた。そしてその敷地内にある公衆トイレでTシャツと靴下を洗濯していた。何もすることなく、通り過ぎる車の流れを見ていた。快晴。その時間にヘンロ小屋にいること、そのことへの罪悪感みたいなものもあった。学校をさぼった日の午後の想い出、そのときの感覚が蘇っていた。

「遍路とは歩くことなり」そのことを考えていた。「でも、ま、明日からへんろ転がしだし、転がされないようにするのも遍路なり」なんてことも考えていた。「歩いて遍路寝て遍路・・・」・・・・・・「うしろすがたのぐれてゆくか」なんて日記に書いて笑っていた。

柳水庵の地蔵



ママチャリ遍路そして眠れぬ勝浦の夜だった(6日目の2)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

16時前に二人の自転車遍路がやってきた。

どちらともまだ20代の女性。自転車はママチャリだった。ヘンロ小屋の横に自転車を着けると、ひとりが言った「ここは泊まっても良いところですよね?」

「良いんじゃないですか」とボクは幾分不機嫌な声で言った。(そう後で後悔した)眠りかけていたせいもあった。それよりは彼女がいきなり「ここは」と切り出したことに対して不快感みたいなものだったのかもしれない。それに「え、ここに女性二人泊まるのかよ」と、ボクの平穏な時間が、そして約束されていた安心感みたいなものが、そのことによって失われるように感じたのだろう。

あの頃のボクは、自分にも余裕がなかったし、まして人に余裕を持って接することは出来ていないように感じた。それに旅の中にあっては旅人との接触が多くなる、それは遍路の中にあってもそうなのだけれど、そうすると「慣れた人」への違和感みたいなものが生じる。旅慣れたことからの自信なんてものが言葉の端端に露見する。自信がそのまま饒舌になり強い言葉になる。そしてそういう人たちへの嫌悪感が生じて、身構えてしまう。その時もそういったものを少し感じていた。それに人と話すのも面倒だった。

ふたりは荷物を降ろしだした。「やっぱり泊まるのか」と思った。ボクは寝たふりをした。少ししてふたりがヘンロ小屋の中にやってきた。小屋と言っても東屋、壁は腰のあたりまでしかないのだから、近寄れば何もかも見えてしまうのだけれど。

そしてひとりはテントを干し始めた。それが終わると、もう一度小屋のベンチに座った。「起きてますか?」とボクに聞いてきた。「はい」とボクは身体を起こした。「今日はどこから?」「神山のキャンプ場から」

ボクが2泊して3日かけた距離を自転車だと1日で着ける。そのことを話した。「自転車でお家から?」とボクは尋ねた。

「コメリで、四国のコメリで買ったんですよ。1万円ほどでした」とどちらかが言った。彼女たちは長野の山小屋で働いているらしくて、シーズンオフになった機会に四国遍路をすることにしたということだった。山女らしく、というのが適切かどうかは別として、元気だった。そして山小屋でのことを話してくれた。

「おじさんももうすぐ来るはずなんだけれどなあ」「でもまだじゃない、歩き出し」という話をしていた。ボクはそのおじさんも小屋泊まりだな、と思った。少しして彼女たちはテントを張って、食事の用意、うどんを作って食べていた。

17時ごろ、そのおじさんがやってきた。60歳を少し過ぎているだろうおじさんは「疲れた、今日も歩いた」と言って、入り口のベンチに座った。女の子たちも出てきて、少し話した。ボクは「こちらに寝てください」と奥の広い場所を勧めた。おじさんは遠慮したのだけれど、「お昼過ぎには着いていて、もう休養十分なので」と更に勧めた。結局ボクは地べたに寝たのだけれど・・・。

「そうかい」とおじさんはそこに移った。それからおじさんは夕食のパンを食べ始めた。その間に旅の様子を話していた。ボクたちは一番札所霊山寺を同じ日に出発していた。ボクのほうが少しだけ早かったようだった。そしてボクのほうが少し前を進んでいたのだ。

「栄タクシーは良かったねえ、鴨の湯では2回も風呂に入ったよ」とボクに言った。
「さかえタクシー・・・、どっかで・・・、あのプロ遍路が言ってたところかなあ」とボクは考えていた。そして「それって、なんですか?」と聞いた。

「知らないのか?」
「ええ」
「これがないとまったく困ってしまうよ」とその「四国霊場八十八ケ所歩き遍路さんの無料宿泊所一覧表」をボクに見せた。「こんなのがあるんですね」

「初日にもらったよ。」と、初日に泊まったどこかの民宿にあったのか、コピーしたということらしかった。

「すごいですね」
「他のも善根宿はあるらしいんだけれど、取りあえずこれだけあればなんとかなると思っているけれどね」
「コピーさせてもらってもいいですか」
「ああ、いいよ」
とボクは少し先にあったサンクスで2部コピーした。一部はおじさんの予備としてあげた。何度も見たのか、雨に濡れたのか、少し破れていたので。

コンビニから戻るとおじさんはシュラフの中に入って、もう寝る準備をしていた。「寝るのが一番だね」と言った。ボクはそのリストのお礼を言って「一部コピーしときましたから」と渡した。「ありがとう」と言っておじさんはそれをザックのポケットに入れた。ボクたちは出身地のことなんかを少し話した。そして寝ようとした。「じゃあ寝るか」「そうですね」

ボクは少しの間眠れなかった。シュラフの中で今日の出来事なんかを考えていた。夜中に1度トイレに行った。そしてまた少しの間眠れなかった。それから何度か目が覚めた。「部屋だったら電灯を点けて、コーヒーを淹れて、パソコンやテレビを見るんだろうなあ」なんて考えていた。

ヘンロ小屋勝浦から

*恩山寺前バス停~勝浦町ヘンロ小屋
*ヘンロ小屋泊

(出費)
・たなか屋
イカフライ定食 600円

・ローソン勝浦町沼江店
おにぎりかつお 105円
おにぎり日高昆布 110円
おにぎり紀州梅 105円
赤飯おにぎり 120円
薄皮あんぱん(3) 110円
スニッカーズ 120円
リポビタンD 153円
(小計 829円)

・自動販売機
缶コーヒー2本 240円
スポーツドリンク 150円

・コピー代 30円

合計 1849円