Category : 4日目

プロ遍路との出会い(4日目の1)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

「神山、鬼門や~」とその遍路は言った。
そしてボクが自販機の缶コーヒーを買おうとしたら「こんなところに金落とすことはない」と…。神山町には鬼籠野(おろの)というところがあるのだけれど、そういう意味では本当に鬼門かもしれない…。

道の駅神山の朝は近接した民家から流れてくる演歌で明けた。6時起床。素早く片付ける。そしてパッキングし終わってから洗顔、歯磨き。終わったところで自販機前のベンチでコーヒーでも飲もうとしたときに、いかにも遍路のことは知りつくしてますよ、という感じの、そしてそのことが全身に、例えば使い古された菅笠や白衣、ザックやそこにパッキングされたテントに見てとれるプロ遍路氏から声をかけられた。

「どこに泊まった?」
「そのへんに」(実は道の駅の東屋は「野宿禁止」という看板が立っていた)
「東屋はダメだし、焼山寺の下のところは水道を使えないし、ここも食べるところはないし、キャンプ場に行けってか、神山鬼門やで~」
「そうですか。どこで眠られたのですか?」
「そこの橋の下。まったく、鬼門や~」
そして「こんなところに金を落とすことはない」ということになったのだ。

それでもボクは自販機に120円を入れて、ジョージアオリジナルを買った。
「今日はどこまで行く?」
「えっと、まだ決めてないので…」
「頑張れば○○タクシーに行けるか」
「え?…(面倒くさかったので)そうですね」
と曖昧にボクは答えた。そのプロ遍路はその後すぐに東、鬼籠野方面へ歩いて行った。後で分かったのだけれど「○○タクシー」とプロが言ったのは徳島市内の栄タクシーのことで、そこにある善根宿が歩き遍路の定番になっているようなのだ。ボクはまだそういった宿のことを知らなかったし、善根宿や宿泊が可能な大師堂などが書いている「善根宿リスト」を持っていなかったので分からなかった。

人は何を求めて歩いているのだろうか。「鬼門」と言って、ボクにとっては「それぐらい」のことで怒りを表すプロ遍路氏を不思議に思った。あるいはその「野宿禁止」になったことに対して、その理由に対しての怒りだったのだろうか、とボクは、これを書いている今、考えている。

というのも、いろいろな場所が野宿禁止になっていた。その理由が遍路のマナーの悪さが原因だった。中には「大便をそのへんにするので」と張り紙までされているバス停もあった。民家の近くだといろいろとトラブルもあるのだろうし、神山のようにキャンプ場が近い道の駅だと「キャンプ場に行って寝て下さい」と住民の多くが思ってもしかたないと思う。キャンプと野宿は違うとしても、その違いは遍路の都合なのだからそんなことよりも、目と鼻の先で毎日のように誰かが寝ているということへの嫌悪感のほうが地元住民にとっては重要なのだろうということは理解できる。

プロ遍路氏はそのような「最近の遍路」のマナーの悪さに対して怒っていたのかもしれない。そしてその被害者は通過者であるボクのような遍路ではなくて、滞在型の遍路なのだろうと思う。一夜の宿ではなくて、彼にとっては50日後にまた戻ってくる場所なのだから。

その後、ボクはプロと呼ばれる人たち何人かに出会うのだけれど、例えば門前で托鉢をしている人、ガイドをしている人、酒を飲んで寝ている人、絵を書いている人、大量の荷物を自転車に積んでいる人…。彼らはいったい何を求めているのだろうか、と考えていた。あるいは四国と言う場所が住みやすいからという理由からなのかもしれないと考えていた。

菅笠、金剛杖、そして白衣を着れば、お遍路さんと言われ、お接待を受け、野宿をすることが認められる。真夜中に歩いていようが、軒下に身体を横たえていようが、公衆トイレで身体を拭いていようが、許される。

そういう意味では四国は住みやすいかもしれない。ボクが今住んでいる町の公園でテントを張ったとしたら、きっと警察に通報する人もいるだろう。そしてそういう野宿者が毎日のように現れたとしたら、「野宿禁止、キャンプ禁止」ということになるのだろう。

都会ではいろいろな事件が起きる。そしてその度に人々は包容力を失くしてゆく。

四国は優しい。その優しさの中での旅が野宿が、ボクは生温いものに思えていた。そしてそういう迷いや疑問を提示してくれたプロ遍路氏の出現こそ「鬼門だなあ」と思っていた。

ボクは鬼籠野へ歩き始めた。

阿呆坂あたりのコスモス
阿保坂あたり、まだ秋という毎日でした。



時雨て霞む徳島の街(4日目の2)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

住むだけ、あるいは遍路として四国に滞在するだけならば、四国は優しく包容力のある場所だと思う。一笠一杖の旅姿さえしていれば、お遍路さんとして公認される。そして無料の宿泊施設や野宿場所やお接待という待遇を受けることができる。旅ということに何かを求めるとしたら、四国は生温い気もする、そのことを前のエントリーに書いた。

歩くことが遍路である、としたら、歩くことはつらい。毎日30キロも40キロも歩くということは悲しいほどつらかった。そして野宿ということがさらにその距離を長くした。たとえ四国が優しく包容力のある場所だとしても、いとも簡単にねぐらが見つかる、ということはなかったし、都市化した街ではさらにそのことを難しくした。そして何よりボクはまだ「善根宿」や「通夜堂」と言った無料の、あるいは低額の宿泊施設の存在を知らなかった。

鬼籠野へ歩いていた。空は雨を予感させていた。山あいの道は寂しかった。車とすれ違うことがとても不自然に思われる程の佇まいだった。辺境、言い方は悪いかもしれないが、ボクにはそう感じた。30分で徳島市内へ行けるほどの距離だとしても、ボクにとっては半日がかりの辺境であることには変わりはなかった。

ボクは鬼籠野を過ぎてオーロ喜来で道に迷った。ちょうど工事中だったことがボクの感を鈍らしたと思う。地図を確認しなかった。コンパスを出さなかった。へんろマークはあった。広野ではなくて一の坂越えの道、県道207号を歩いていた。

そしてそこから県立神山森林公園を通るはずだったのだけれど、大桜トンネルの手前の交差点でも直進してしまっていた。トンネル直前でその間違いに気付いたのだけれど、ボクにはその1キロに満たない距離を戻ることがムダのように思えた。そのままトンネルを抜けた。3つの選択が鬼籠野ではあった。そして選ぶ余裕もなく、そちらへ誘われたように進んだ。地図には「甲、乙、丙」という案内があって、その道は「丙」だった。その意味は分からないのだけれど、きっと「3番目の選択」という意味なのかもしれない、と考えていた。少しだけ後悔もした。いつものように。

その辺境の道は長く感じた。結局、南丁赤坂のへんろ道への左折場所も見過ごしてしまって、一宮の駐在署のある信号交差点まであるいてそこから左折して(ようするに打ち戻ることになったのだ)大日寺に着いた。雨が降り始めていた。「山中で降られなくて吉」と日記にメモしている。道の駅を7時に出て12時20 分に着いたのだから約5時間、ほとんど休まずに歩いたことになる。

大日寺を打って、常楽寺へ向かう途中一の宮橋の手前で雨脚が強くなる。ザックカバーを着けた。「キツイ」という文字が日記の中に目立つ。大桜トンネル越え、いや、昨日の焼山寺への山越えと下り、そして今日の山越えが、足にきていたのだろう。確かにきつかった。

常楽寺で雨の止むのを待った。14時20分発。雨は降っていたけれど、空の色は回復に向かうように思えた。歩いた。国分寺、観音寺で16時、井戸寺まで2 キロ。足は悲鳴をあげていた。ボクも時折声をあげた。「南無大師金剛遍照…」そして「このやろ~」と。もうどこでも良いから泊りたい、と思っていた。

井戸寺を打ち終えたのが16時50分だった。逆打ちでまわれれている人に「徳島市内なら送って行きますよ」と声をかけて頂いた。「ありがとうございます。歩いていますので…」と断った。本当は乗せてもらいたかった。「良いじゃないか、それぐらい」と思った。きっとそのおじさんも、思ったのだろう。こだわる理由はなんなのだろうと、そして何になるのか、と考えていた。

雨は止んでいたけれど、湿気を吸った雲が高度を下げていたし、もうそのまま落ちてくるのではないのかと不安に感じた。まだ降るのだろうと思った。

ボクは、ホテルに泊まることにした。「今日は風呂に入る。充電もする。そして寝る」と決めていた。徳島市内のビルの明りが、その欲望の光が、ボクを誘っていたし、雨の不安の中でのねぐら探しがきつかった。どこでも良かったのだけれど、温もりや安心というもの、文明に慰撫されたかったのだ。ボクはホテルを目指した。そう決めると、心も体も少し軽くなったように感じた。

朝食に前日買った赤飯オニギリとポリッピー、昼食にふんわりロールパンと柿の種を食べただけの胃は限界を訴えていた。

うしろすがたのしぐれてゆくか

山頭火48歳の時の句を口に出していた。なんのために人は歩き続けるのか、ボクは歩き続けるのか、と思っていた。いったい、この苦しみはなんに繋がるのかと考えていた。「神山、鬼門やで~」ではなくて、毎日が鬼門のようにも感じた。

十五番札所国分寺にて

十五番札所国分寺にて



欲望の街で剃毛する(4日目の3)

In : 4日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/22

中鮎喰橋を渡るまでにすっかり夜になっていたのだけれど、ネオンや車のヘッドライトのヒカリでその夜は昨日の神山のものとは全く違うものになっていた。都会の夜、夜の照度が文明の度量衡なのかもしれないと思った。きっと、うまく伝わらないと思うのだけれど、それにわずか一日でカルチャーショックのようなものを感じるはずがないと思うのだろうけれど、ボクは感じていた。ちょうどアジアやアフリカから帰国した時の感覚に似ていた。

欲望の街。目の前に、手を伸ばせば、そして金さへあれば、何でも手に出来る。ボクはJR徳島線、くらもと駅のビジネスホテルに入った。そのビジネスホテル蔵宿が井戸寺から一番近いホテルだった。徳島駅前まで行けば大手チェーンホテルもあったのだけれど、もう動けなかった。18時を過ぎていた。

チェックインするとボクはまず洗濯を始めた。コインランドリーがなかったので洗面所での手洗いになった。風呂にも入った、というか、風呂に入いりながら洗濯をした。すすぎは浴槽の中でした。洗濯物をすすいでいるお湯の中にボクもいた。

それからコンビニに買い物に行った。雨が降り始めていた。ホテルに戻って遅い夕食を食べた。それからもう一度風呂に入った。今度は身体を洗った。久しぶりの風呂、久しぶりに身体を洗った。髭を剃った。そして陰毛も剃った。痒いとか毛じらみがいるとか、ということではなくて、入浴できない日々に身体を拭くのだけれど、その毛が邪魔になっていたのだ。ないほうが良いかなあ、と前から思っていた。少し恥ずかしかったのだけれど、そしてその後恥ずかしい思いをするのだけれど…。

4日ぶりの風呂だった。4日ぶりの布団だった。そして4日ぶりのテレビ、4日ぶりの電燈の下での夜、4日ぶりの無警戒な夜…。なんと4日の長かったことか、と思っていた。

雨は強く降っていた。このままだと明日も停滞かなあ、なんて考えていたし、チェックアウトはギリギリでしようか、と考えていた。筋肉が気持ちが身体中が弛緩していた。今朝の道の駅神山での出来事が遠い昔のように感じられた。

井戸寺にて

井戸寺にて

*道の駅神山~井戸寺、くらもと駅前
*ビジネスホテル蔵宿泊 5250円

*(出費)
・サンクス佐古八番町店
のり弁 385円
チャイ 105円
抹茶ラテ 105円
シーフードヌードル158円
(以上夕食)
スナックパン8P 179円
ブラックサンダー2個 62円
バターピーナッツ 105円
(小計 1099円)
・自動販売機
缶コーヒー 120円
スポーツドリンク2本 300円

合計 6769円