Category : 36日目

湯浪ルート横峰寺へ(36日目の1)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

丹原総合公園の深い闇の夜を抜けて東の空が薄っすらと明けてきたのは6時前だった。ボクは5時30分には目が覚めていて、寝袋から出るタイミングをじんまりとして待っていた。6時起床、そのまま撤収する。いつものように寝袋をスタッフバックに押し込んで、マットの空気を抜きながら畳んでゆく。それをザックの中に入れてから、トイレに向かう、洗顔をして出発したのが6時30分だった。公園前道路の自動販売機で缶コーヒーをゴトンと出す。それを立ったまま飲んでから歩き始めた。

遠く石鎚の山々が見えた。7時30分、国道11号線のファミリーマート小松大頭店着。いよいよここから山に入る。買出しをして肉まんとあんまんを店の横のベンチに座って食べた。

横峰寺、湯浪ルートにて

横峰寺、湯浪ルートにて

7時50分出発。県道147号線、妙之谷川沿いの道をゆっくりと高度を上げてゆく。車も人もほとんど通らない朝、その静寂が横峰寺や石鎚という神秘性を増してゆくようでもあった。9時00分湯浪の交差点に着く。右折、妙之谷川沿いをさらに登る。9時20分、横峰寺への登山口にあるへんろ小屋に到着。この時期にこの山の中に野宿するのは辛いだろうと考えながら、そこにあった遍路日記をめくると、その日もその小屋に寝た人が「寒かった」と書き込んでいた。

湧き水を汲んで出発しようと思ったのだけれど、ポリタンクやペットボトルをたくさん持った人が数組並んでいたので、そのまま出発。9時30分、横峰寺への山道に入る。2キロほどの距離なのだけれど、急登。遍路道というよりも登山道だった。

10時30分、六十番札所横峰寺に到着。日曜日だからだろうか、ツアーの人たちで混みあっていた。バスは国道11号線から登ってきてそして下りてゆく。ここから星が森へは、来た道を戻って山門を出て左、右が今来た湯浪ルートだ。

横峰寺へは前日に会った女性が取ったルート(ボクが会ったほとんどの人がそのルートを取っていたのだけれど)五十九番国分寺から六十一番、六十二番、六十三番と打ち、車道を経由横峰寺、そして打ち戻って六十四番前神寺を打つのが効率的かる安全だそうだ。確かにへんろ地図ではなくて大きい地図を俯瞰すると、そのルートのほうが分かりやすい。

そして横峰寺を出て白滝奥之院経由香園寺への奥之院ルートは厳しい下り坂で、下りなのだけれど距離の割りに時間がかかる、そんな道だった。

四国にくれば普通に宗教がある

四国にくれば普通に宗教がある。横峰寺にて

数年前に一度来たことがあった。その時は石鎚に登った。伊予氷見から県道142号線を下谷に行き、ロープウェイのところの民宿に泊まって翌日登った。その時は4月だったのだけれど、数日前に大雪が振って石鎚山頂を諦めて成就社まで行って引き返した。

懐かしいというよりも、車を運転しながら見た風景をよく思い出せなかった。伊予氷見あたりも、あの時の、と言えば、あの時の、感じがする、というぐらいだった。



石鎚遥拝(36日目の2)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

11時に六十番札所横峰寺を出発したボクは、12時20分に分岐点に着く、そこでスナックパンの昼食。湯浪ルートには「てんとうむし」という喫茶店があるのだけれど、この下りのルートは山の中、約2時間何もない。何もないというか登山道なのだけれど。食べ終わると出発して、13時20分に香園寺奥之院白滝不動にやっと着いた。「やっと」という気持ちだった。特に横峰寺からの5.3キロメートル地点「ジグザグコース」と言われるところは、すべり台のような急な下りだった。

転がり落ちるような、そんな高度感

転がり落ちるような、そんな高度感

白滝奥之院で少し休憩をした後14時00分六十一番札所香園寺に着く。大きいお寺だ。本堂、大師堂とも2階建の体育館の中にあって、2階に入り口がある。その2階のこれまた体育館のような場所に入ると、女性の姿が多い。「子安大師」と言われるこの寺は安産、子育てに霊験があると言われている。そのせいもあるのだろう。そしてその霊験あらたかさと、親の気持ちが施設の大きさなのだろうと思った。遍路ではない人のほうが圧倒的に多かった。

14時30分に出発した。1キロ少しで六十二番札所宝珠寺だ。14時45分到着。伊予小松駅のすぐそばにある。その日の朝買い物をした国道11号沿いのファミリーマート大頭店から小松駅まではわずか4キロの距離だった。そういった距離感が麻痺してしまう。果てしなく遠い場所にいる錯覚はその事実で瓦解してしまう。タイムラグのような感覚、夢のような感覚。それも遍路ということなのかもしれない。擬死再生、戻るという感覚。

宝珠寺を15時05分に出発した。次の六十三番札所吉祥寺も国道11号線沿いにある。1キロ少し、15時20分に到着。伊予氷見駅の近く、数年前に石鎚に登った時の記憶が蘇る。

石鎚山や石鎚神社の末社は全国いたる所にあって、石鎚信仰の大きさをうかがうことができる。そのことについてはここには書かないが、ボクの実家もその石鎚信仰を行っていた。近くの山に石鎚神社を勧請していて、小さな祠がその山頂に建立されていた。そして石鎚山の山開きの日に同じように白装束を着て、法螺貝を吹いて山開きを行っていた。その山にはちゃんと同じように鎖場まであった。

そして実家はその地方の石鎚参拝の先達でもあったのだ。そういう道具、錫杖や法螺貝、権現像などがあった。おんな縁で母親が一度その石鎚に行きたいと言い出したのが始まりだった。

宗教的な生き方、というか、命は常に宗教に寄り添っていた。霊験というものとは別に、それが生きる目的だったのかもしれない。四国に行くために1年間頑張って仕事をする、貯金もする、というような。宗教と人の関わり合いというのはそういうことなのだろうと思う。聖地への旅、メッカやローマ、エルサレム、カイラス、ガンジス、伊勢や四国。人は祈る、そしてそのために生きる。誰彼のためではなくて、それが人生なのだから。

15時45分に吉祥寺を出発した。旧道を通って六十四番札所前神寺に着いたのは、夜もそこまで来ている16時30分だった。その夜の訪れが境内を寂とさせていた。

前の神、後ろの石鎚

前の神、後ろの石鎚



無財七施とかアガペーとか(36日目の3)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

六十四番札所前神寺に着いたのが16時30分、それから少し慌てて広い境内を本堂、大師堂と納経していった。夜がそこまで訪れていたのだけれど、日中の賑わいの余熱が境内をゆっくりと温めているようにも感じた。

親子連れの遍路から声をかけていただいた。
「あの、歩いて回られているのですか」
「はい」とボクはいきなりの質問に驚いて答えた。
すると「これ、お接待です」と納め札を、それも錦の札をボクのほうへ差し出した。納め札は遍路の回数で違う。

金、白、錦の納め札

金、白、錦の納め札

1回から4回が白、5回から7回が青、8回から24回が赤、25回から49回が銀、50回から99回が金、そして100回以上が錦の納め札になる。納め札は金でも100枚500円ほどの値段なので、それ自体には価値があるというものではない。そしてその回数も自己申請なので、あるいは手段は問題としないので、どうも分かりにくい部分もあるのだけれど、とにかくありがたいものとして扱われる。特に金や錦の納め札は霊験があると言われる。

その回数、巡礼をしている人は、やはりどこか違うのだろうと思う。自己申請とはいえ、虚偽の申請はしないだろう、と思う。四国の食堂にはよくその納め札のコレクションを額装して壁にかけていることがある。縁起物でもある。

その錦の納め札をボクにくれるというのだ。
「実は、わたしたち一枚づつ頂いて、あなたを見かけたので、一枚お接待と思いまして」とボクに渡してくれたのだ。ボクはそれを受け取り「ありがとうございます」と言った。あっという間の出来事だった。そしてその親子は、そのまま去って行った。ボクは彼女たちの後姿に頭を下げて、そして納経所へ向かった。

無財七施、二枚もいらない、というか、二枚頂いたのだから一枚は他の人に、ということなのだろうと思った。善という能動的な行為ではなくて、布施やお接待という自然な行い。結果を求めない行為のようにも感じていた。それを行うことが生なのだろうから。

人の行為は常に結果がつきまとう。例えば「人のため」「自分のため」「ふたりのため」「人類のため」。「為」の「行」が行為なのだけれど、意識化ではないのだけれど、直感的に「返る」という意識が常に隣に存在している。善を積むということはそのまま現世、あるいは来世の自分に返る、ということが潜在的に思想としてあるのだからどうしようもないのだろう。

ところが布施という行為は、ギリギリのところでそういう宗教的潜在意識とは別のものであろうとしているように感じていた。それはごく普通のこと、たとえば挨拶をするようなもの、のように感じていた。

行為をマーケッティングで捉える人が多いということだ。幸福もそうだ。あるいは結婚や子育ても無償というものと少しかけ離れてしまっているように感じるときがある。

ということを考えながら、ボクは前神寺を後にした。17時ちょうどだった。

極楽へと渡る

極楽へと渡る



さよなら石鎚温泉(36日目の4)

In : 36日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/23

前神寺を17時に出発したボクはすぐ近くにある石鎚温泉に行った。宿泊もできる温泉施設だ。温泉に入った。そしてそこで夕食を食べた。

実はこの温泉には約1月半後の翌年1月に青春18きっぷで行った。その時は前日に高松、徳島、牟岐駅下車、内妻海岸でテント泊、そして翌日善光寺、石鎚温泉に入って、そして西条からムーンライト松山で岡山という旅をした。ボクにとっては想い出の場所だった。

だったというのは、実は2月に閉店したそうなのだ。ボクも知らなくて、先日石鎚温泉のサイトを見たら「平成21年2月4日をもちまして、閉店致しました。」とあった。http://www.ishizuchi-spa.net/

ちょうどボクが行ってから1か月後のこと。そんな感じはしなくて、賑わっているように思っていたのだけれど。なんだか寂しい気持ちでいっぱいになる。

久しぶりの生、魚だけれど

久しぶりの生、魚だけれど

話は戻って、その石鎚温泉ではにぎり寿司うどん定食を食べた。835円だった。(こういう安さが経営を圧迫したのだろうか、と考えている)18時30分に温泉を出て、少し戻ったところにあるJR石鎚山駅に行った。小さな無人駅だった。近くにラブホテルがある。

駅に着くとボクはベンチに腰を下ろした。しばらくすると電車が着いて、遍路がひとり降りた。「こんにちは」とお互いに挨拶した。そして30代前半だろう男は「石鎚温泉は近くですよね」と訊ねてきたので「ええ、すぐですよ、ボクも今入ってきたところです」と言った。「そうですか、ここにお泊りになりますか」と訊いてきたので「はい、そのつもりです」と言った。すると彼は「ボクも泊まろうかなあ」と言って「その前に温泉に行ってきます」と言った。

ボクはその時に金剛杖がないことに気付いた。「あ、温泉に忘れてる」と思い出して。「ボクも一緒に行きますよ。杖忘れて」と言って、二人並んで歩いて行った。そしてボクはまた駅に戻ってきた。

21時過ぎに彼はやって来た。電車の時刻表を見ながら、「やっぱり今晩はここに泊まります。明日の朝一番で伊予小松に行って61番から打ち始めます」と言った。少し話した。彼はその年の2月から区切り打ちをしているということだった。2月からだから、もうそろそろ1年という時間が過ぎようとしていた。1年間通して遍路を出来たことは通しで50日間というひとつの季節だけを見るということよりは、4倍の経験をしたのではないか、ということを話した。

そして今回はその日に六十番から石鎚山に参拝して、翌日4つの札所を巡わって帰宅するということだった。仕事をしながら、連休があると四国まで来て巡拝する。難しいことだろうと思った。

彼は石鎚温泉で食事とお酒を飲んだらしくて、かなり眠そうな目をしていた。22時少し過ぎたあたりに「寝ます」と言って寝てしまった。ボクも目を閉じた。

23時ごろになったら二人連れの若い遍路がやって来た。ベンチは1台残っていた。「こんばんは」と静かに挨拶をした。ひとりは女の子だった。その22、3歳と思われる女の子がベンチに寝て、男の子は床にマットを敷いて寝た。どちらも軽装だった。もう限界という感じの装備だった。寒そうに男の子は丸まっていた。

そのすぐ後に、もう1人やって来た。石鎚温泉にいた遍路だった。ベンチも場所もないことを確認すると、近くの軒下にテントを張った。(朝分かったことなんだけれど)

みんな起きていたのかもしれない。その日は全員横峰の山を登って、そして下りて来たのだから疲れていた。そして温泉に入ったところで、筋肉も感覚も弛緩してしまったのだろう脱力感に支配されていたのだろうと思う。ボクもそうだった。そして多くの遍路が石鎚温泉に浸かって、疲れを癒したのだろう。もう数え切れないほどの人たちが。

しばらくすると雨の音が聞こえてきた。ついていると思った。同宿4人。いしづちやまの駅は満員だった。石鹸の匂いと温泉の香りが充満していた。女の子の香水の香りかもしれなかったけれど…。

幅50センチのマットより狭いベンチがこの日のベッド

幅50センチのマットより狭いベンチがこの日のベッド

西条市丹原町久妙寺、丹原総合公園~西条市西田甲
JRいしづちやま駅泊

(出費)
・ファミリーマート小松大頭店
あんまん 105円
肉まん 105円
スナックパン(8) 179円
カロリーメイト 105円
ビッグソーセージ 116円
(小計 610円)

・石鎚温泉
入湯券 450円
にぎり寿司うどんセット 835円

・自動販売機
缶コーヒー×2 240円
スポーツドリンク 150円
ミルクティー 120円

(合計 2405円)