Category : 33日目

繁多寺、石手寺(33日目の1)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

日尾公園の夜は静かだった。寒さも前日の久万の雪の夜に比べればなんともなかったし、使い捨てカイロが効いていた。それでも何度か目がさめて、そして眠って、それを繰り返す夜には違いなかった。

日尾公園から

日尾公園から

テント内の結露がひどかった。正確にはテントではなくてシェルターなのだ。その15デニールという極薄の生地に防水コーティングをしていて、気密性は良いのだけれど透湿性を犠牲にしているために、天井と入り口にベンチレーターが装備されそこから外気が入ってくるとしても結露はする。800グラムという軽さと引き換えた不自由さなのだけれど。

6時10分に起きて、テント内の結露を拭くことからその朝は始まった。完全には乾かない。それに地面に設営したので中だけではなくて、グラウンドシートのほうも濡れていた。強引にスタッフバックに詰め込んだ。パッキングを済ませてから洗顔した。それから出発。7時10分だった。少し遅い出発になった。

そのまま近くのファミリーマート南久米店でサンドイッチとほっとゆずを買い、駐車場で食べた。松山市内ということもあって、非常食や予備の食べ物は持たなかった。朝の通勤通学ラッシュの道を歩く。

7時40分、五十番札所繁多寺到着。納経が終わり境内のベンチに座り少し休憩。8時20分出発。9時00分五十一番札所石手寺着。とても大きなお寺で迷子になる。迷子というか、大師堂と本堂が分からなくて、結局4か所で納経する。日曜日でもないのにすごい人出だった。石手寺ではなくて人出寺だなあ、なんて思った。

その人の多さと広さに驚きながらも納経所で墨書、朱印をいただいた。「仏教、涅槃への道」という冊子もいただいた。その日は(いつもかもしれないけれど)餅のお接待をしていて、あん餅をひとついただく。

小学生の女の子から声をかけられた。
「あのお遍路さん」
「なに?」と言った。
「写真を写していいですか」と訊いてきた。その後ろで母親も頭を下げていた。ボクは「ああ、良いよ」と少しポーズを取ってその少女のファインダーを見た。混雑していた境内なのだけれど、遍路の姿は2、3人だけだった。それを考えると、異様な姿なのかもしれないと思った。それに松山市内は都会なのだ。

9時40分出発。石手寺の「お山四国八十八箇所」を抜けて松山市内道後温泉に出るルートを取った。階段を登るとその「お山四国」はあった。ボクはそのまま素通りしていた。すると「どこに行くんだ」と声がした。老人がこちらに向かって急ぎ足でやって来た。

繁多寺の弘法大師像

繁多寺の弘法大師像



遍路とは(33日目の2)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

その老人はボクの前に立ちふさがるようにして言った「どこに行くんだ、こっちはまだ回ってないだろ」と。石手寺、お山四国八十八箇所はその名の通り、その山だけで四国遍路八十八か所巡礼が出来るように札所ごとの仏様を奉っている。老人が言った「まだ回ってない」というのは、ボクが素通りをしていることに対しての忠告のようだった。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

線香も束で供えられる。火も消えていないままに。みんな忙しい。

ボクは驚いて「太山寺の遍路道はここではないのでしょうか」と訊いた。すると「ここは違う」と言った。そんな遍路道はないと言った。ボクは地図を見せて「この道ではないのでしょうか」と聞いた。すると老人は怒ったように「わしは80回ほど遍路をしている、そのわしが違うと言ってるんだ」と言った。ボクは「そうですか、すみません」と引き返そうとした。そうしたら「待て、お礼はちゃんとするもんだよ。ありがとうございましたとな」と気をつけの姿勢をとって「こうするんだよ」とばかりに頭を下げた。

ボクはその通りに「ありがとうございました」と言って、面倒なのでそのまま来た道を引き返した。そして山門を通って県道に出た。「なんなんだろうなあ、あのジジイ」と、なんだか少し怒りがこみ上げてきた。「あの道のはずなんだけれど」と考えていると、自分が毎日のように回っている「八十八か所」を素通りする同じ遍路に対して、その巡礼の本質への問いかけだったのだろうと、考えた。

大きい小さい、長い短いなんて秤で計れるものが遍路ではなくて、祈る気持ちが遍路なのだろうと。それを計ることも出来なければ、評価することも出来ない。出来るとしたら本人だけなのだから。

その老人にとってお山八十八箇所は聖地なのだろう。それを同じ遍路が素通りすることに対して疑問や怒りを感じたとしても、なんら不思議ではないように思った。その日はもう何人もあるいは何十人も老人を追い越して素通りして山を抜けていったのかもしれないと思った。そうしたら、なんだか悪いことをしたように感じた。少しだけ時間をかけて、あの老人の聖地を巡礼すべきだったと思った。それが仏に対しての礼儀だったかもしれないと考えた。

虚しい気持ちでいっぱいになった。道後温泉だった。温泉に入ることや、なにか食べることも打ち消してしまった。どこかに歩いていることや野宿いていることへの驕りがあったのだろう、そう思った。どこかに遍路という「ハレの日」を感じていたのかもしれない、そう思った。写真を撮られて、お接待を受け、手を合わされ、許される、それら全てが傲慢な、そして驕溢した態度となっていたのではないか、と考えた。

そして歩いた。歩きながら1日目からのボクの行動を振り返っていた。2時間ほど歩いたところで蓮華寺、そして196号線に出た。松山市内から山田池、吉藤池経由でやって来ていた。うまく処理できないまま歩き続けた。それが遍路だとも思った。いつか、あのお山八十八箇所を巡らなければなんて思った。帰るということなのだろうと思った。

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火

「もくもくもりあがる雲へあゆむ」山頭火



瀬戸は日暮れて鎌大師(33日目の3)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

12時20分に五十二番札所太山寺に着いた。石手寺からの長い10キロだった。秋晴れの1日、空気が乾燥しているからだろうか、風景も透き通っていたし、静かにそこに置かれていた。遍路に会わない日だった。石手寺からこの太山寺まで5つのコースがあるからだろうか。それとも多くは道後温泉に入ってからゆっくりと出発するのだろうか。

すこしゆっくりして13時10分出発。山門から本堂までが長い坂道だったので、そこで少し疲れた。またこの日も空腹。ちょうどの時にコンビにも食堂もない。もう一度打ち戻って円明寺へと進んだ。

13時35分五十三番札所円明寺到着。ここでも少し長くいた。14時10分発。JR予讃線を渡りうなぎやに出るルートを歩く。地図にローソン、サークルKが記されていたからだ。そこまで1キロほど、何か食べようと思っていた。

円明寺朱塗りの大師像

円明寺朱塗りの大師像

石手寺のことを引きずっていた。ホッチキスに電話する。歩きながら長電話になった。そういう遍路の姿もおかしいのかもしれないと考えていた。「携帯遍路」なんて自嘲気味に笑った。いくつかのコンビニを通り過ごした。空腹だったのだけれど、それに電話をしていたということもあるのだけれど、また予讃線を渡った。しばらくすると海が見えてきた。県道347号線だった。海が見えると気持ちは落ち着いた。そうすると空腹も和らいだように感じた。そして海岸線の道を歩き続けた。

旧北条市粟井に来ると商店や郵便局、賑やかな街並みになった。16時00分、もう限界、というか、ここで何か食べておかないとねぐら探しが待っていたし、北条の市街地を過ぎると国道196号線は山に入って行く、それが遍路道だった。そうなると、何もないということも考えられたので食糧の調達もしたかった。

ローソン北条中須賀店に寄った。牛丼とレーズンバターロール6個入りを買う。駐車場の隅で牛丼を食べた。その日の昼食だった。食べ終わると出発した。夜がそこまで来ていた。北条駅を過ぎてスーパーマルナカを曲がるあたりになると暗くなり始めた。反対車線を一台の自転車が走りすぎた。あの男だった。西予市のへんろ小屋宇和で同宿した元遍路だった。道の駅に行くのだろうと思った。ボクが見えなかったのか、それとも嫌われたのか、急いでいたのか、なんて考えた。

17時00分。少し慌てた。岬に行くと道の駅風早の里風和里がある。その手前にコスタ北条という温泉マークが記されている。196号線海沿いの道路だった。そちらは遠回りになる。

鎌大師が2キロほど先にあった。そこを目指して歩いた。へんろ小屋のマークが地図に載っていた。ザックからヘッドライトを出した。そして歩いた。

瀬戸内に浮かぶ島々と向こうに見えるのは広島

瀬戸内に浮かぶ島々と向こうに見えるのは広島



超軽装備エコノミスト登場(33日目の4)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

鎌大師に着いたのは17時20分で、どこからか幸せのにおいが香っていた。醤油と砂糖を煮るにおい、それが夜を迎える合図でもあり、一日を終わらせる儀式であるのだろうと、考えていた。

鎌大師のへんろ小屋は境内にあって、立派な建物だった。そこに貼紙がしてあった。「宿泊厳禁」。ボクの疲れはそこでピークを迎えた。その貼紙を無視して倒れこみたかった。少し考えて大師堂に向かった。そして庵の人に頼んだ。「ひと晩泊まらせていただけないでしょうか」と言った。すぐに「お断りしているんですよ」との答えが返ってきた。ボクは「このあたりに泊まれるようなところはありませんか」と訊いた。すると「浅海大師堂」を紹介してくれた。地図に「大師堂」と小さく載っていた。

立岩川から見える夕焼け

立岩川から見える夕焼け

「そこに皆さんお泊まりになるようですよ」と教えていただいた。ボクはさらに「ここからどれくらいかかるでしょうか」と訊いた。「私の足で昼間、30分ほどでしょうか」とのことだった。

礼を言って鎌大師を出発した。坂道を登りきると今度は急な下り坂になった。真っ暗な中での鴻の坂、そして峠越えだった。浅海原の集落に着くと、ひとりのおじさんが前を歩いていた。声をかけた。「すみません、浅海大師堂へはこの道でいいのですか」。

おじさんは親切にもボクを大師堂まで連れていってくれた。そして大師堂の前でまた引き返していった。ありがたかった。少し話をした感じでは建設関係のお仕事のようだったのだけれど。

18時10分着。浅海大師堂は賑やかだった。その日はお大師様の日、というか、近所の人たちが集まってお経をあげる日ということだった。大師堂の下に管理されている方の家があって、挨拶にうかがった時にそれを聞いた。「一緒にお経をあげていればいいですよ」とその家の奥さんは言った。そして「今日は2人お遍路さんが泊まるようで」と言った。

ボクを含めて3人、なんだかそれはとても疲れるように思った。ボクは、挨拶をして、大師堂を後にした。そしてJR浅海駅に向かった。駅か海岸でテント、と思った。

駅に着いてベンチに座ったら、もう動きたくなくなった。18時30分だった。そのまま誰もいないベンチでパンとカロリーメイトの夕食を摂った。ホットゆずれもん、そしてミルクティー2本を飲んだ。もう12時間近く動き続けていた。食事も休憩も満足に取っていなかった。

ベンチに座っていた。そして21時になって寝袋を出した。下半身だけ入れて座った。眠いと思ったら寝ていた。電車が着いて、人々の声で目が覚めた。22時になっていた。マットも出した。寝袋に収まった。それからまた寝た。

23時を少し回ったあたりで、超軽装備の男がやって来た。その時間まで歩いていたそうだ。その日は宇和島からだと言った。ジーンズにTシャツ、その上に薄いジャケットという服装だった。それにデイパック。

「寒くない?」と訊いた。「寒いですね」と答えた。「やっぱり遍路なの?」「はい」という答えを聞いても、金剛杖も菅笠も、白衣もないのだから、どういった遍路をしているのかということに興味がわいた。それでもそのことを聞くのは失礼にも思えた。ボクは黙っていた。

しばらくするとその男はお茶のペットボトルを買ってきた。そして1本をボクにくれた。「ありがとう」と受け取ってそれからひと口だけのんだ。この寒いのに、そして「軽装なのに冷たいお茶かよ」と思った。「寒さにやられたのかなあ」なんてことも思った。

あまりにも寒そうなのでカイロを3個あげた。それからボクは「寝るね」と言って目をつぶった。次に起きた時にはその男が目の前にいた。かなり驚いた。ボクの顔を覗き込んでいた。すぐそこで。手の届く距離に。

浅海駅待合室のベンチで寝ました

浅海駅待合室のベンチで寝ました



エコノミスト氏の不思議な荷物(33日目の4)

In : 33日目, 菩提の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/20

その男はボクの顔をジッと見つめていた。ボクは驚いたのだけれど、いったい彼が何をしているのか分からなかったし、何をしたいのかも分からなかった。

「手を握らせてください」と男は言った。いったい何があるのだろうかと思ったのだけれど、ボクは寝袋の中から手を出して彼のリクエストに応えた。とても冷たい手だった。その二つの手でボクの右手を握り締めていた。そして「暖かいですね」と言った。なるほど、あまりにも寒くて何か暖かいものを探していたのだろう、と思った。そして「ありがとうございます」と手を離した。

暖かそうなポスター

暖かそうなポスター

男は一睡もしてなくて、ブツブツと呟きながら足踏みをしたり身体を小刻みに動かしていた。そして待合室に貼ってあるポスター「高知キャンドルフェア」の蝋燭の炎の写真に手をかざしていた。暖かく感じるのだろうか、とボクは寝たふりをして見ていた。動くことで体温と精神のバランスを保っているのだろうと思った。

しばらくすると男がまたそばに来て「経済は興味がありますか」と訊いてきた。「ケインズとか竹中さんとかなら知っているけれど」と答えた。「ああ、そうですか。ボクは専門が経済なもんで」と広辞苑ほどの厚さの経済書を見せてくれた。彼の少ない装備のほとんどがその本だった。それから少し経済の話をしていたのだけれど、ボクが興味がなさそうなのが分かったのか、深夜に迷惑だと思ったのか、「すみません」と言って、またブツブツを動き回っていた。

それから手紙のようなものを荷物から出して、小さく破いてゴミ箱に捨てていた。ボクはウトウトだけしか出来ずに5時少し前に起き上がった。そしてココアを自動販売機で買って飲んだ。エコノミスト氏も缶コーヒーを買って飲んでいた。

「おはようございます」と言った。「おはようございます」と応えてくれた。そして「始発で今治に向かいますから」と言った。「ああ、電車だと暖かいし早いね」とボクが言うと「そうですねえ」と言って、ボクの座っていたベンチの近くに一冊の本を置いた。「経済学入門」というようなタイトルだった。ボクに読めということなのだろうか、それとも荷物の整理をしてそれが邪魔になったのだろうかと考えたのだけれど、何も聞かなかった。

ボクは出発の準備を始めた。そして6時になったところでエコノミスト氏はホームに行った。「お気をつけて」と挨拶をした。ボクも立ち上がった。しばらくすると電車が入ってきた。ボクのほうが少しだけ早く駅を後にした。電車ももうすぐ出発するはずだった。「経済学入門」は、きっとゴミとして扱われてしまうのだろうと思った。

エコノミスト氏の恩返しなのだろうか、とも考えた。ボクにはその本を持ち歩くことがとても非経済的に思えた。そして彼の行動も経済学とはかけ離れているようにも感じた。それを本人が一番分かっているのかもしれないとも思った。

悩みや苦しみが彼を「遍路」という彼のスタイルの遍路にさせたのだろうと考えた。経済ではなくて政治を学んだほうが良かったのかもしれないと思った。いや、うまく立ち回れない人はどうやってもうまく生きられないのかもしれないと思った。学問は、利用できる者の側にしかつかない。それは宗教や信仰も同じことなのかもしれないと考えていた。

完全な寝不足だった。ボクは鎮痛剤を飲んだ。

そしてひとりは電車に乗って、もうひとりは歩いて浅海駅をあとにした

そしてひとりは電車に乗って、もうひとりは歩いて浅海駅をあとにした

松山市日尾公園~松山市浅海
JR予讃線浅海駅泊

(出費)
・ファミリーマート南久米店
ミックスサンド 230円
ホットゆず 130円
(小計 360円)

・ローソン北条中須賀店
牛丼 398円
とっておきレーズンバターロール6P 190円
(小計 588円)

・自動販売機
缶コーヒー×2 240円
ミルクティー 120円
ホットゆずれもん 130円

(合計 1438円)