Category : 13日目

野生の朝(13日目の1)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

漁師町の朝は早い…。
というか、公園や海岸など寝られる場所の朝は、犬の散歩(なのか人の散歩なのか)の人たちで、一日が始まる。その気配や声で目ざめる時もあった。あるいは深夜、え、こんな時間になんていう1時とか2時に、犬の散歩をする人たちもいて、驚かされる。それはきっと散歩の人たちも同じで、驚くこともあるのだうと思った。「え、こんなところに人が…」と。

安芸市の海岸の朝も犬の声で目が覚めた。しばらくすると、うっすらと水平線が朱色に染まり始めた。6時前起床。テントをたたむ。海岸での宿営は片付けるのが大変だ。結露で濡れた部分に砂が付く。グランドシートは海岸の湿気で濡れている。そこに砂が付着する。小さくたたみ込むので湿気たまま次の出番を待つことになる。重量も1割増しといった感じがした。

6時30分出発。
ローソン安芸津久茂店で朝食を買う。この日の朝食はおにぎり3個。安芸市営球場が見える。少し戻って近くの公衆トイレで洗顔、洗髪もした。ついでにTシャツも洗濯した。多目的トイレに入って行ったのだけれど、どうも落ち着かない。後ろめたさはいつもあった。それでも身体を拭いたりするのには、あの空間は最適だった。

途中、あかの駅とわじき駅の間、わじき駅の先だっただろうか、琴ヶ浜では、地引き網漁をしばらく見ていた。鳶がその漁の分け前に求めて群がっていた。その奥の松林はきっと彼らのサンクチュアリになっているのだろう、100羽ほどのが浜にいた。鷲敷、あれは鷲だったのだろうか、いや、あれだけの鷲がいるはずもなく、鳶だったのだろう。鳶敷…。

海水健康プールの所でもう一度休憩。プールに来た3人組の女性と挨拶を交わす。太陽は隠れてしまっていた。嫌な感じの雲が空を覆っていた。雨の予感がした。

途中、西分駅の所に遍路小屋あり。「宿泊可、食事は西分駅の店で、トイレは駅にあります」という看板あり。「ありがたいね」なんて思って通り過ぎる。国道に出てサンクス芸西店にて救急絆創膏を買う。踵の豆が大きくなっていたんだ。ついでにスニッカーズも買う。駐車場で絆創膏を貼り直して、スニッカーズを食べる。痛い。

歩いていた。
少し行ったところにある(地図には記載されていないのだけれど)介護施設には接待所があって、自動の給湯器があって。ほうじ茶をいただく。このあたりには接待所が多い。そう言えば、サンクス芸西店の店員さんも親切だった。とても些細なことなのだけれど、例えばひと言が、「がんばって下さいね」というひと言が、胸にしみる。時には涙になった。

琴ヶ浜の接待所
琴ヶ浜の接待所。一瞬驚いたよ。



夜須の芋天(13日目の2)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

「ありがとうございます。お気を付けて」とレジの後に言ってくれるコンビニの店員さんは、2割いただろうか。遍路姿のボクに「またお越し下さいませ」と言っても、しかたないだろうに、といつも思った。四国にしかないのかな、スリーエフというコンビニ、宿毛ではお接待もしてくれた。そのスリーエフやサークルKでは、店の前にベンチがあって「お遍路さんへ、どうぞ休憩して下さい」なんて書かれていたりする。四国にはセブンイレブンがない。

毎日、違うコンビニを利用していると、その店の5Sを見てしまうようになる。そういう意味では、遍路はコンビニ評論家になれるのかもしれない、なんてことはないか。

道の駅やすのモダン焼
道の駅やすのモダン焼500円

夜須の道の駅に着いたのは11時50分だった。食事時だったので、取りあえず売店を見て回った。芋天、サツマイモの産地なのか、ファーストフードのように、揚げたてを売っていた。100円。ひとつ買った。そして食べた。お好み焼き屋さんがあって、モダン焼を注文した。15分~20分ほどかかるけれど、良いかと聞かれたので、「待ちます」と答えた。

店の外のテーブルで待っていた。少し離れた所に座っていたふたり連れの女性の方と目が何度か合った。しばらくするとその女性が近づいてきて「これをお食べ下さい」と袋に包んだ「芋天」を下さった。「ここのは美味しいんですよ。歩いて回られているんですか」と聞いてきた。「はい、歩いてます」と答えた。

「がんばって下さいね」と、そのまままた席に戻って行った。ボクは立ち上がって、お礼を言った。そして手を合わせた。「ありがとうございます」と言った。

すぐに注文したモダン焼がきた。ボリュームのあるものだった。それがなにか贅沢なもののように感じた。きっと、向こうに座っている女性は、ボクが何も食べないで居るのだろうと芋天を持ってきたのかもしれないなあ、なんて考えると、少しそのモダン焼を食べていることに罪悪感のようなものを感じた。

500円だったのだけれど、それはなにか遍路が食べるものではない、ようにも感じた。少し後悔した。「やっぱりオニギリを静かに食べた方が良いかなあ」なんて考えた。白衣に金剛杖、菅笠姿で、焼き肉とかステーキとかは、どうも憚られるように思っていた。

そのモダン焼を急いで食べて、もう一度お礼を言って道の駅やすを出発した。芋天とモダン焼で満腹だった。ザックの中にも芋天が入っていた。

今にも雨が降りそうな空だっった。遍路小屋香我美には若い遍路が眠っていた。大きく重そうなザックが、もうそこに泊まるんだ、というように彼と一緒にベンチに横たわっていた。それはもう彼の意思表示のようにも思えた。

雨が降り始めていた。それでもまだレインウェアを着るほどでもなかったので、そのまま歩き続けた。

左足中指付け根に豆。どこかを庇えば、どこかが痛む。
痛みは常に10であって、9にも8にもならなかったし、0になどにはなりそうになかった。人の苦しみも、きっとそんなもので、0にはならないし、常に10 あって、どこかが楽だとか、幸せだと感じたとしても、どこかで苦しみや痛みが加算される、そういうものなのかもしれないと。そう思った。

香南市赤岡あたり
香南市赤岡あたり、祭りの準備なのかなあ…



西岡善根宿(13日目の3)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

歩いていた。
14時、坂本龍馬記念館近くの休憩所着。少し休憩。14時40分、大日寺に着く。雨が少し強くなったのでザックカバーを着ける。レインジャケットを羽織って、納経。その後、雨宿り。少し小降りになったところで出発。15時30分だった。

雨雲が気持ちまでも暗くしていた。雨が降ると眠る場所を探すのも難しくなる。雨の中で幕営したとしても、濡れた荷物や服、身体を乾かすことも出来ないで、ただ寝袋に収まって寒さに震える夜を思うと、どこでも良いから屋根のある場所で眠りたいと誰しも思うだろう。寒さよりも雨のほうが厄介だと思う。しみ込んでしまう雨は、まるで過去の想い出のように、振り払うこともできないで、一晩中テントの中でヌルヌルとまとわりつく。

コスモス畑 土佐山田市松本あたりで

コスモス畑 土佐山田市松本あたりで


16時40分、松本大師堂にて休憩。西岡善根宿の案内が置いてあった。「一泊300円。3人~4人まで泊まれます。必ず事前に連絡して下さい」と電話番号が載っていた。ボクは、その松本大師堂に泊まろうかと思っていたのだけれど、その「宿」に「300円」を見てしまっては、1時間ほどなら歩いてでも、なんて考えてしまった。そして電話をした。

大師堂から遠くはなかった。17時10分西岡善根宿着。墓地の前。先客あり。「こんにちは」とボクはその先客に挨拶をした。初老の遍路は「ああ、こんにちは」と言った。「泊まるの?」と聞いてきたので、「はい、泊めていただきます」と言った。

宿と言っても、墓地の管理小屋みたいになっていて、畳2枚分の座敷、それが2人分のベッドになっている。縦に並べられた畳を板で区切っているだけの空間。そしてソファがあって、そこもベッドとして利用されるようだった。

ボクは、荷物の整理をして、寝袋を出した。下半身だけをその中に入れた。
「何日目?」
「13日目です」とボクは答えた。
「早いね」
「そうですか。だいたいここまでだと何日ぐらいですかねえ」
「そんなもんだろ」
「長いのですか」
「まあ、長いね」
「今日はどこからですか」
「ここから」と、そのプロ遍路は答えた。そして裏の水道で米を研ぎ、それをコンロにかけた。「え?」とボク。「朝ここを出発して、ここに戻ってきた」。なるほどそういうことなのか、と思った。

ボクも夕食を食べた。昼間にいただいた芋天、ピーナッツ、カロリーメイトがその日のメニューだった。大日寺からここまでの遍路道にはコンビニがなかったから、非常食を食べることになった。

しばらくしてその遍路宿のオーナーさんが来られた。「今日もお世話になります」とプロ遍路は言った。「こんにちは、お世話になります」とボクもそのあとに言った。オーナーとプロ遍路が少し話していた。内容は「最近の遍路のマナー」。ゴミの問題とか、挨拶の問題とかを、話していた。

ボクは、聞くだけで、そしてたまに頷くだけで、「どこから」と聞かれるまで、黙っていた。それから少しボクの旅の様子なんかを話した。

「お金は今払っときましょうか」とプロ遍路が言った。
「あすこの賽銭箱に入れて置いてくれたらいいよ」
「今朝入れたのはありましたか」
「あったよ、じゃあ、帰るからね」とオーナーは出て行った。

ご飯の炊けた匂いがした。どんなものを食べているのか気にはなったけれど、聞かなかった。ボクは身体を横たえて、日記をつけていた。もう眠くなっていたし、どうも苦手なタイプだった。なにか嫌な感じもしていた。

西岡善根宿

西岡善根宿



眠れぬ善根宿の夜(13日目の4)

In : 13日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/10/31

同じ部屋に見ず知らずの人と眠るということが出来ない人もいるのだろうと思う。ボクもどちらかというと苦手なほうだけれど、歩き疲れて辿り着く善根宿や遍路小屋では、早々と眠ってしまうので、あるいは眠れることで、相部屋の人との会話も避けられるので、それほど苦にはならなかった。相手が話しかけてくる場合もあったのだけれど。

西岡善根宿、19時にはボクはもう睡魔に襲われていた。ウトウトしながら、同宿のプロ遍路氏と少しだけ話した。プロ遍路氏は、なかなか寝付かれないようだった。部屋の電灯は0時過ぎまで点っていたし、早朝4時頃には点いていた。

それだけならばいいのだけれど、ラジオの深夜番組を聴き始めた。そしてそれは電灯が点く4時までも、そしてその後も聞こえていた。マナーについて話していた人とは思えない行動だったのだけれど、ボクは先輩遍路氏に対しての敬意を表して沈黙していた。ラジオに耳を傾ければいいだけのことだった、そう思った。

そして眠る。またラジオの音や、プロ遍路氏の物音で目が覚める、眠る、という繰り返しだった。

4時に電灯を点けて髭を剃っていた、そしてなにか読んでいるようだった。5時過ぎたらゴソゴソとザックの中から何かを取り出す音が聞こえる。それからパッキングを始めた。これが何度も何度もやり直すというもので、ほとんど病的だった。なかなか良い感じに荷物の位置が決まらなかったのだろう。ボクはもうその時点でハッキリと目がさめていたし、いつ起き出すかという状態だった。6時過ぎに起き出した。

「おはようございます」とボクは言った。
「おはよう」と聞こえた。

ボクはしばらく氏の様子を壁にもたれかかって見ていた。何度かやり直した。50リットルほどのザックに銀マット、テント、予備のバックを外にくくりつけていた。恐らく15キロは超えているのだろう、その重量がパッキングを難しくしているようだった。

ボクも寝袋を片付けた。そしてパッキングする。10分ほどで終わってしまった。それから顔を洗い、出発の準備をした。線香を上げて、神棚の賽銭箱に宿泊代300円を入れた。

プロ遍路氏は、宿泊ノートに何か書いていた。なぜ4時に起きて何度も何度もパッキングしたのか分からなかった。ボクを起こすための嫌がらせか、とも思ったりした。

結局、ボクのほうが先に出発する。「お世話になりました。お先に失礼します」なんて言って、29番札所国分寺に向かった。氏は「ああ」なんて感じの返事をしてくれた。

またプロ遍路という人たちへの嫌悪感みたいなものが生まれた。

雨は上がっていた。いよいよ高知市内だった。ユリさんのところへ行く日だった。そう考えると、また哀しみが蘇ってきた。夕方には逢えるはずだった。

西岡善根宿近くの地蔵二人

西岡善根宿近くの地蔵二人

*安芸市球場前手前の海岸~南国市西山
*西岡善根宿泊

(出費)
・ローソン安芸津久茂店
小岩井コーヒーホット 141円
おにぎりカツオ 105円
おにぎり日高昆布 110円
おにぎり辛子高菜 110円
(小計 466円)

・サンクス芸西店
救急バン 210円
スニッカーズ 120円
(小計 330円)

・道の駅 やす
芋天 100円
モダン焼 500円
(小計600円)

・自販機
スポーツドリンク2本 300円

合計 1696円