Category : 発心の地

前夜・岡山駅(0日目)

In : 0日目, Posted by 田原笠山 on 2008/10/18

岡山駅に着いたのは20時過ぎだった。土曜日の駅はざわめいていたし、人々の足取りは軽いように感じた。ボクは少し緊張していた。少し疲れてもいた。

普通電車でいつものように岡山駅に着いた。「いつものように」とは、青春18きっぷを使って何度もこの駅を利用しているからだ。トヨタ自動車の期間従業員として働いていた長期連休のときには、この駅をまず目指していたし、この駅に泊まって九州へ帰っていた。岡山駅は駅泊しやすい。四国に乗入れる路線があるからだろうか。そして何度も利用しているということが安心感に繋がっていた。

高松行きマリンライナーは日付が変わった0時17分まであった。「どうしようか」と少し迷ったのだけれど、そのまま駅のベンチに座っていた。高松に深夜に着いたとしても、何があるか分からないし、とりあえず明日朝の始発5時26分発のに乗ろうと思った。

寒い夜だった。0時になっても目が冴えていた。週末の駅はまだ賑やかだった。タイツをはいた。ダウンジャケットを着込んだ。寒さへの不安が増した。まだ10月なのに。

もうあと数時間後には四国にいて、そして歩き始めているのだと思うと、また眠れなくなった。計画不足への不安もあった。とにかく1番札所に着いてから、そして歩き初めてから考えようと思っていた。その日の予定、その日のねぐら、その日の全てを。

考えたのだけれど、野宿旅は計画を立てなくて良い分、楽なのかもしれない。宿に泊まる歩きのお遍路さんたちは、その宿まで着くということを求められる。雨や雪、天気に関係なく「宿」というものに縛られる。それが「苦」になる場合のほうが多いのではないかと思う。

ちょうど良い時間にチェックイン出来る、なんてことは歩いていては難しい。その日に予約する人が多いようだったけれど、たまには予定していた近くの宿がなくて、暗くなってまでも歩いたという話も聞いたことがある。

確かに野宿も場所に困ることがあったけれど、開き直ればその辺に転がってしまえば、そして眠ってしまえば、そこが「宿」なのだから…。どのスタイルの旅が「楽」か、なんてことは、言えないと思うし、どのスタイルの旅もそれなりの苦労があるのだろうと。

ボクは、そんなことを考えながら眠れぬまま時計の針は2時を指していた。寝袋をザックから出そうかと思っていた。結局出さなかったのだけれど、そして結局眠れないまま始発の電車の時間になったのだけれど……。

緊張感からなのか寒さからなのか、それとも寝不足からなのか、少し身体が火照っているように思えた。日曜日の岡山駅は眠りからさめていた。

四番札所大日寺にて

四番札所大日寺にて

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板野駅、板東駅、痛い間違い(1日目の1)

In : 1日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

日曜日は、本当は避けたかったのだけれど、大安だったのでこの日を出発の日とした。18日にそのまま四国入りも出来たのだけれど、やはり仏滅はなにか縁起の悪さみたいなのもを感じていた。

5時26分岡山発マリンライナー高松行きに乗った。まだ明けやらぬプラットホームは秋というよりは冬を感じさせる風が吹いてた。寒かった。ほとんど寝ていなかったので、そのことが更に体感気温を低くさせているのではないかと思った。暖房の効いた電車の中が心地良かった。すぐに眠くなったし、寝てしまった。

1時間少しで高松駅に着くということがなかなか頭の中で理解できなかった。距離感がうまく感覚として分からなかった。四国はもう少し遠い、というイメージが出来上がっていた。今、地図を見ると岡山-高松間と岡山-福山間を比較すると、直線距離で福山までのほうが遠い、そしてそれを考えると、あまり遠くないのだ、というのが実感できる。海を越えるということが、遠いというイメージになってしまっている、のかもしれない。

ほとんど寝たままに電車は6時30分過ぎに高松駅に着いた。夜は明けていて朝日が綺麗だった。快晴。そのことが緊張感を高めた。身体が浮く感じもした。

到着後、ボクはトイレを探して行った。そしてJR高徳線、徳島行き普通電車の乗り場に急いだ。6時37分発、トイレに行く暇などなかった、ということを発車した電車の中で気付いた。ボクを待つようにして電車は動きだした。ついているのかついていないのか、とにかく大安吉日、1日目は始まっていた。

電車の暖かさは、ボクの緊張とは裏腹に眠りを誘ったし、ボクはまた眠ってしまった。

そして電車は「板野」駅に着いていた。ボクはそこで目が覚めた。と、同時に電車を降りた。目的の「板東」に着いたと思ったからだ。ボクは改札を出て駅のお姉さんに聞いたのだ。「一番札所はどっちに行けば良いのでしょうか?」

駅員であるお姉さんは、恐らく、ボクが板野駅に降りたのはそこに近い札所に行くからだろうという、先入観があったのか、あるいはボクの「一番札所」という言葉をうまく聞き取れなかったのか、三番札所金泉寺の方向を教えてくれた。(それは後で分かったことなのだけれど)

ボクはその方向が一番札所霊山寺だと思って、駅員の教えてくれた方向に歩いて行った。そして駅(板東)と霊山寺との位置関係を地図で確認した。そこでボクはどうも駅から東方向を目指しているということに気付く。板野駅からだと西、正確には北西方向に霊山寺があるはずなのに…、と立ち止まってその方向を向いた。

「迷ったよ~」と、駅を出た直後に道を見失ってしまった。県道12号の横断歩道下のことだった。そしてボクはそこが「板野駅」ではなくて「板東駅」だったと気付いたのだ。2駅手前で降りてしまっていた。「しまった」

ボクは県道12号線を板野駅方面、一番札所霊山寺目指して逆打ちを始めた。大安吉日、快晴の日曜日だった。

到着駅(板東駅)だと思って記念写真まで撮っていたのだけれど…。

到着駅(板東駅)だと思って記念写真まで撮っていたのだけれど…。



そして一番札所霊山寺(1日目の2)

In : 1日目, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

車に乗せていただいた。
間違った板野駅から板東駅、霊山寺を目指して県道12号線を歩いている時のことだった。いきなり車が停まって「霊山寺までですか、乗って下さい」と、おじさんが助手席の窓を開けて話しかけてきた。

ボクは少し考えたのだけれど、「じゃあ、お願いします」と乗り込んだ。まだ巡礼は始まっていなかったし、きっとボクのような「板違い」をする人が多いのだろうと思っていた。

「結願して霊山寺ですか?」
「……。あ、いえ、板違いで」
「?」
「あ、板東かと思って降りたら、板野駅だったもんで、歩いていたのです」
「ああ、そうですか。じゃあ、今日からですか」
「はい、最初からこんなんで……」
「12号線を霊山寺に向かっている人はだいたい結願後にお礼参りの人が多いもので、てっきりそうかと思って……」
「すみません」

と、霊山寺の門の前まで送ってもらった。初めてのお接待が、ボクのミスからのものだったなんて、と、少しショックを受けて、そしてそのことで更に、少し緊張が増して、そしてなによりも時間は過ぎるし、迷ったことと戻るということで、疲れてしまった。

霊山寺の門前にある「門前一番街」にて遍路用品を買った。14450円で全てを揃えた。霊山寺の中にもあったということをお寺の中に入って初めて知った。どちらが良いのか分からないし、気持ち的には正装をして門をくぐりたい、ということもあるのだけれど、お寺のほうが霊験あらたかなようにも思うし…。どうなんだろう。

とにかく始まったのだ。

日曜日の朝、それも大安吉日快晴、霊山寺は賑やかだった。賑やかというよりも、少し混雑していた。ボクは緊張していたのだけれど、どうにか本堂、大師堂で納経することが出来た。読経も来る前に何度か聞いて声に出していたので、すんなりできた(と思う)。

それでも初日は門前一番街の店の人が「(1)開経偈(2)般若心経(3)十三佛真言(本堂のみ)(4)光明真言(5)大師御宝号(5)回向文を唱えて下さい」と言われたので、他の合掌禮拝、懺悔文、三帰ほかは唱えなかった。そういった余裕もなぜだかなかった。とにかく、その作法を辿ることで精一杯の一日だったように思う。般若心経以外のお経は初めて見聞きするものばかりだったので、なんだかお経というよりも、不思議な外国語のように、聞こえたのだろうし、そう思った。

いろいろなことが、一番札所霊山寺までに起きた。岡山駅からまだ5時間ほどしか過ぎてないのに、5日も6日も過ぎたように感じた。そしてボクは板野駅の方向に歩き始めた。少し前に来た方向に。

結願後にお礼参りに来たときに、ゆっくり霊山寺を見ることが出来た。どうもよく覚えていない自分がいた。それぐらい初日、一番札所は緊張もしていたのだろうし、間違ったと言うことで少し焦ってもいたのだろう。

まだ始まったばかりだった。気温も上がっていった。半そでに白衣という姿だった。
一番札所霊山寺にて
一番札所霊山寺にて、買ったばかりの金剛杖とボクの手



眠れる場所のある幸せ(1日目の3)

In : 1日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

260円、所要時間21分、それが板東-徳島間の距離なのだ。そのわずか260円の距離を3日かけて歩く。もちろん札所を巡るので遠回りになるのだけれど、21分の距離を3日かける、時間を逆行するような行為こそが、遍路なのだと思う。

ひよいと四国へ晴れきつてゐる

昭和14年の10月7日に山頭火も松山から四国遍路を始めている。その頃は、きっと、交通の便も悪くて、時間の感覚も今とは随分と違っていたのだろうと思う。歩くことも、まだ普通なことだったのかもしれないし、遍路というのは「歩くこと」だったのだろうと思う。

ボクも歩いていた。
極楽寺で昼食を食べた。そろそろ正午になろうとしていた。門前のお土産屋さんで「炊きこみご飯」400円と「よもぎ餅」170円を食べた。朝食も食べてなかったのでお腹は空いていたのだけれど、空腹を感じる暇もなかった。暇を考える余裕もなかったし、緊張もしていたのだろう。

この日の写真も少ない。緊張が感覚を麻痺させていたのだろう。しがみつきたくなるような風景、愛おしく感じる光景に対して、不感症気味になっていた。シャッターを押して関係を保つということさえも出来ないでいた。

ただ歩いては寺に辿り着いて、そしてその作業をしていた。作業、山門で一礼をしてから納経所で墨書授印して、山門で一礼して次に向かうまでの行為。

初日だからしかたないのかもしれないけれど、初日のお寺での記憶がほとんどなかった。結願して戻ってきた時に改めて発見したことの多いこと、そしてその風景は初めて見るようなことの多いこと、そのことがボクを驚かせたのだけれど…。

初日は5番札所地蔵寺までだった。地蔵寺を打ち終えた時点で16時前だった。ボクはへんろ道を6番札所安楽寺方向に歩いた。奥谷橋を渡るりそこから左折した。へんろ道を逸れる道に左折した理由は「川沿いのほうが野宿場所がありそうだな」と感じたからだ。もう橋を渡る頃には夜の気配が辺りに広がっていた。夕餉の匂いが温もりを感じさせた。

ボクは川沿いを歩いていた。そして「やっぱり役場方面に行ってみるか」と交差点まで戻ろうとした。少しして自転車のおじさんから声をかけていただいた。「スポーツ公園には泊まらないのか?」

ボクには何のことだか分からなかった。だから「え?どこですか」と聞きなおした。おじさんは「お遍路さんは、この先にあるスポーツ公園に野宿する人が多いよ」ということ。

「そこは泊まれるのですか?」
「みんな泊まっているよ」
「この先にあるのですか」
「ああ、川沿いに行ってたら見えるよ」

もう辺りは薄暗かった。あと10分もすれば夜になる頃だった。

ボクは「ありがとうございます。そこに行ってみます。その前に何か食べるものを買ってから行きますので。」と礼を言ってから、スーパーでぐちに向かった。空腹だったし疲れてもいた。もう横になりたかった。睡眠不足だった。

スーパーでぐちで買い物をしたボクは、おじさんから教えていただいた「上板ファミリースポーツ公園」に向かった。もうすっかり夜だった。ヘッドライトを引っ張り出してその光を頼りに公園に向かった。

広い公園だった。場所を探した。野宿する場所、どこでも同じようだけれど、条件を出せと言われれば、屋根があって壁がある場所、ベンチがあればなお良いのだけれど…。そして自分の感覚と一致するような安心感のある場所、というものがある。気持ちが落着く場所というか…。

探した。野球場があった。ボクは1塁側ベンチに腰を降ろした。そしてそこがその夜のベッドになった。

上板スポーツ公園1塁側ベンチ。遍路の、夢はグラウンドを駈け巡る…。なんて。

上板スポーツ公園1塁側ベンチ。遍路の、夢はグラウンドを駈け巡る…。なんて。



競艇おじさんとミスタースモーク、そして眠れぬ夜なのだ(1日目の4)

In : 1日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/19

上板スポーツ公園1塁側ベンチは、今思えば最高のベッドだった。三面壁、そして広いベンチ、静かな立地、トイレ・水完備、自販機まで徒歩30歩…。そうして四国初夜という不安をゲストたちが和らげてくれた。

弁当を食べて、そしてデザートのイチゴパンを食べ終えたボクは、洗髪をしようかと考えていた。疲れていた身体は重力に逆らえずにベンチに倒れこんでいた。洗髪しようと何度も考えた。考えたのだけれど、面倒でもあった。

しばらくすると、ボクにその最高のベッドを教えてくれたおじさんが、暗闇の中3塁ベースあたりからやってきた。1塁ファールグランドに来ると「さっきのお兄さんかね?」と。

「そうです、どうもありがとうございました。」

とボクは起き上がった。そして立ち上がって挨拶をした。それから1時間ほどいろいろな話をした。おじさんの過去の話が主な話題だったのだけれど…。大阪で暮らしていたというそのおじさんは競艇好きで、トラックの運転手としてかなりの額の収入もあったのだけれど、多くは競艇で消えてしまったことを、ボクに話してくれた。そして予想師の話、予想師になるには3000万円ほどの権利金がいるし、予想もそこそこ当てなければならない話、なんかをしてくれた。

「それじゃあの、お兄ちゃん、気をつけてな」
と、おじさんが帰った。20時を過ぎていた。ボクは、眠かった。

と、しばらくすると「缶はなかった?」と、いきなりお兄さんが訪れた。というか、ボクがそこにお邪魔していたのだけれど…。お兄さんはさらに「缶はなかった?」と聞いてきた。

何のことなのかさっぱりわからないボク。
「缶があったのだけれどなあ」
「……」

お兄さんはベンチの周辺をその「缶」を見つけようと探し回った。その「缶」は少し離れたところにあったらしく、見つけてそしてボクの前のベンチに前にその「缶」を置いて、彼も腰を降ろした。

タバコの吸殻用の缶だった。一斗缶、というのだろうか、食用油や塗料が入っている18リットル缶、その空缶を探していたのだった。そしてお兄さんはタバコを吸い始めた。消した、と思ったら、また吸い始めた。チェーンスモーカー…。

「お遍路さんですか?」
「はい」
「今日はここで泊まるのですか?」
「ええ、泊まらせていただこうと思っています」
「……」

タバコを消す、そしてタバコに火をつける。消す、つける。ベンチにいる間におそらく20本、一箱吸ったのではないのだろうか…。

沈黙。
「どこからですか」
「○○からです」
「ああ、あすこの○○高校は野球強いですね」
「そうですねえ、プロ野球選手もいますし」

野球の話をしばらくした。その間、もちろん、つける消すという、ことを繰り返していた。

「じゃあ、気をつけて」
お兄さんが帰った時には21時を過ぎていた。ボクは、少し苛立っていた。もう来ないでくれ、と思っていたし、たとえ来たとしても「寝たふりをするもんね、もんね、ぜったい、するもんね」と決心していた。

それからは、誰も来なかった。真夜中に、きっと1時か2時にアベックが来てグランドでふざけ合っていたのだけれど、20分ほどしていなくなったけれど、そのことはボクの睡眠を妨げたとしても、ボクが起き上がって会話をするということはなかったので、例えば夢を見ている感じだった。

ボクは、お兄さんが帰ってから(というのも変な表現なんだけれど)、髪を洗った。そしてタオルを濡らして身体を拭いた。身体を拭きながら思っていた。「毛が邪魔だな」と…。陰毛が邪魔、というか、その毛は洗髪できないので、特に不潔になるように感じていた。拭いたとしても地肌までは綺麗にはならないし…。洗おうかと思ったけれど、陰毛を洗っている、それもその部分だけを出して、そんな自分を想像したら……やめた。ボクはホテル上板1塁ベンチのベッドに戻った。

寝袋にもぐり込んだ。23時前だった。とにかくいろいろなことが、いまさっきまで起こりすぎた、と思っていた。そのことがボクの疲労度を増していたように思い出している。

ボクは、深夜のアベックがグラウンドを駈け巡るまで眠りに落ちた。なんとも長い一日だった。少し寒かった。

割れたガラス
金泉寺から大日寺に向かう途中で…。

*一番札所霊山寺~五番札所地蔵寺まで
*上板スポーツ公園泊

*(出費)納経代、お賽銭別
・極楽寺
山菜たきこみごはん400円
よもぎ餅2個170円
・自動販売機
スポーツドリンク2本300円
・スーパーでぐち
鮭弁当500円
イチゴパン140円
アクエリアス104円

(合計)1614円