Category : 結願後

そのうち“萌え大師”も登場するかも

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/15

四国の話ではないのだけれど、お寺にこんな看板があったほうが入りやすいのかなあ。四国の札所にあったとしたら、歩きつかれた若い遍路たちは癒やされるかもしれないなあ。「南無大師遍照金剛」を絵文字とかキャラ文字で書いた白衣とかも発売されたり…。

お寺にも“萌え看板” 了法寺「若い男性参拝者増えた」 – ITmedia News
萌えキャラを活用した地域活性化が盛り上がる中、東京都八王子市にある日蓮宗のお寺「松栄山 了法寺」(しょうえいざん りょうほうじ)が、萌えキャラをあしらった“萌え看板”で男性参拝者を引き付けている。

了法寺、“萌え看板”のニュース画像

了法寺、“萌え看板”のニュース画像

NHK朝ドラ「ウェルかめ」が始まる秋の遍路シーズンは、例年になく賑やかになるかもしれないですね。昨年の「街道てくてく旅」の四元さんも、ある意味萌えキャラだったような…。

遍路の姿も随分と変わっているのだろうと思います。靴やザックも随分とカラフルになっているのかもしれませんし、四元さんのようにファッショナブルな人も増えているのだろうし。

札所に何日かいるといろいろ見えてくるかもしれないですね。余裕があれば滞在するのも良いかもしれないと思いました。



青春18きっぷ

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/20

青春18きっぷが今日7月20日から利用できますね。これを利用して遍路をする人も多いのではないかと思います。11500円で5日間JR普通列車が乗り放題ですから、四国へのアプローチにこれを使うと格安で往復できるということになりますし、使用期間が9月10日までの53日間という歩き遍路の行程にちょうどいい長さなので、今週から四国へ入る人も多いのだろうと思っています。特に学生さんはこの時期に回る人が多いのかもしれないですね。

ボクもよく利用します。18きっぷで帰省したこともあります。長時間電車に乗るのが苦痛という人も多いようですが、ボクはそんなに苦痛に思わないのです。集中して本を読むことが出来たり、車窓を眺めるのもあきないですし、途中で野宿することになったとしても、始発までの5時間とか6時間は楽しかったり…。鉄道ファンではないのですが、電車に乗るのは好きです。

その18きっぷで四国に入るのは岡山から高松、乗り換えて一番札所霊山寺のある板東駅に向かうことになります。

18きっぷの特性上、1日の乗車距離を長くしたいと思う人が多いのでしょうし、そうなると出発駅を始発に乗って、目的地までその日のうちに着いて使用する切符を1枚で抑えたいと思うのでしょうね。坂東まで1日で着く距離ではない人は2枚を使ってゆっくりと四国上陸ということになるのでしょうけれど。

さて、そうなると切符を入鋏した日に坂東に着くためには
【岡山】
20:42発:JR瀬戸大橋線下り 快速 マリンライナー63
【高松(香川)】
21:36着
21:39発:JR高徳線下り 普通 
【板東】
23:10着

ということになります。20時42分に間に合うように岡山に到着していなければならないということです。東京からですと東京駅を朝出発すれば間に合うようですね。九州だと熊本、延岡あたりが当日着が可能のようですけれど。

真夜中に坂東駅に着いて駅のベンチや霊山寺周辺で朝を待つというよりも、岡山や高松で始発を待って一番札所に向かうというのが良いようにも思います。ボクはそうしました。岡山駅で一泊して、始発で四国に入りました。

【岡山】
05:28発:JR瀬戸大橋線下り 快速 マリンライナー1
【高松(香川)】
06:32着
06:38発:JR高徳線下り 普通 
【板東】
08:48着

というルートで霊山寺に…、が、ボクの場合は「板野」を「坂東」と間違えて、手前の板野駅で降りたのですけれど。(詳しくは「板野駅、板東駅、痛い間違い(1日目の1)」をご覧下さい)

岡山駅泊にしたのは、いつも利用している安心感があったことです。知らない街に夜中に入って寝る場所を探し眠れない夜を過ごすよりは、少しでも睡眠を取って初日を迎えたいと思ったのと、その日がちょうど仏滅で四国へは日付が変わって大安になってから、という縁起をかついだということもあるのですが。

とにかく、不安でしたら宿に宿泊するなり、岡山駅近くのネットカフェに泊まるなんてことのほうが良いように思います。初日はとにかく疲れますからね。眠れない日が続くと、遍路どころではなくなって冥土に行くことになりかねませんから。特に暑い夏には。

嫌な思いや辛いこと、苦しいことは、そのうちたっぷりと経験するでしょうから、せめて前夜、当日の朝は気持ちよく、と思っています。

電車の中で遍路道具一式

電車の中で遍路道具一式



日食

In : 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/07/22

日食を見ることが出来ました。食が始まってから30分ほどの時間だけで、あとは雲が覆ってしまって、そして小雨まで降る天気でしたが、それはそれで運がよかったのだろうと思っています。

四国はどうだったのでしょうか。遍路中だったりすると、もっと感動したのかもしれないと思っています。風が吹いても、雨や雪が降っても、感動した日々だったように憶えています。日食を見ると人生観が変わると言いますけれど、遍路も人生観が変わったという人が多いように思います。

日々、刻々、自分が呼吸をして鼓動を聞いて歩いていることが超自然現象のようにも感じたことがありました。その中で、やはり生かされている自分を感じると、なにか少し変わるのかもしれませんね。

期待をしてしまうと少し違ったりするかもしれませんが、きっと毎日が不思議な時間だったり、感動する時間だったりはすると思います。朝日が昇るのを見て涙が流れたり、お腹が空いて怒り狂ったり、膝の痛みに絶望したり、眠れぬ夜に不安になったり、感情が大きなふり幅で揺れる毎日だったように思います。

日食を見ながら、そんなことも思い出しました。感動することはとても大切なことだろうし、生きるということはその繰り返しなのかもしれないと、思ったりしています。

日食

日食

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南光坊の想い出

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/04

「へんろ」8月号の「あの寺この寺札所めぐり」は第55番南光坊です。
南光坊と言えばあの山門の四天王像を想い出す人も多いかもしれないですね。また四国霊場で唯一「坊」と呼ばれている札所ということで記憶している人もいるだろうと思います。

大三島に鎮座する大山祇神社の四国本土にあった8つの僧坊のひとつが南光坊ということです。その全ての坊が長宗我部の戦火で消失したのですが、南光坊だけが「禄高が一番低かったことが幸いして」そのご再建されたそうです。その後、藤堂高虎の祈願所として薬師堂が再建され、「近世は今治藩主の篤い崇敬と庇護を受ける神宮寺としてあった。文久年間(1861年~1864年)には金毘羅堂が造られ」たということです。(南光坊参照)

その南光坊は34日目に参詣しました。
浅海駅からの出発でした。それから国道196号線、海岸線を通り、菊間市内番外霊場遍照院を過ぎるあたりから雨が降り始めた午前中でした。その後すぐ雨は止んだのですが、風の強い、低気圧が近づいているのか、雲が低い1日でした。

34日目を読み返すと、雨に祟られた1日の様子と、それに振り回されたボクのことが昨日のことのように想い出されます。

その日は、午前中に「今治市内へ泊まる」と決めていました。携帯の充電もしたかったのです。そして計画としてはチェックインと同時、あるいはそれ以前に、早めに宿に入ってゆっくりしたい、と思っていました。そういう思いがボクを支配していました。もう他の選択肢はなくなって、とにかく早く今治市、ということに呪縛されているようでした。

54番札所延命寺に12時ちょうどに到着しました。ホテルは14時からチェックインOKということで予約しました。ちょうど良い時間、そのことが更にボクの行動を縛ることになりました。12時30分、延命寺を出る時に雨が降り始めました。それも少し強く降っていました。ボクはレインジャケットを着こんで歩き始めました。「14時にホテル」そのことがボクにとっては重大事になっていました。

途中の高速道の架橋の下で雨宿りをしました。雨宿りをしたというよりも、歩けないほどの雨だったのです。少し弱まってから歩き始めましたが、雨は降り止みませんでした。金剛杖を道路に叩きつけました。そして呪いの言葉。

杖が割れたのがこの日です。

そして南光坊に着く少し前に雨は降り止みました。30分、たったそれだけの時間を待てなかった自分を、今度は呪い始めました。

計画は時として危険なものにもなるのでしょうね。あるいは欲望は。

そうして着いた南光坊では、たいへん思い出深いことがあったのです。納経所で納経帳に名前を書いて頂きました。そして30分以上、お話をしていただきました。

そんな想い出深い34日目と南光坊の想い出です。こうして数ヶ月過ぎ去った今でも、かなり正確に思い出すことが出来るというのも不思議です。歩いたから、ということもあるでしょうけれど、肉体と精神の想い出が、記憶が、時間が、凝縮されていたのだろうと思います。あの高速道架橋下から大谷墓園、そして今治北高あたりの道と雨を今でも時々想い出すことがあります。「もう止めた、今治駅から帰る」なんて雨の中を叫んでいたボクを想い出して、少し恥ずかしくなることがあります。

そして南光坊の納経所で涙が流れたことも、少し恥ずかしく想い出したりしています。

五十五番札所南光坊

五十五番札所南光坊



さぬき市寒川

In : 四国遍路について, 結願後, Posted by 田原笠山 on 2009/08/16

遍路にとっては歩きにくい雨も多い夏だったかもしれませんね。雨が降ると行くに行けなくなるだろうし、寝る場所も限定されるので、思うように歩けない人も多かったのだろうと思っています。そんなストレスもまた精神修行なのかもしれませんが。

高校野球の頃で、やはり四国の高校が出ていると気になるものです。昨日の寒川高校、残念でしたね。四国は、徳島の池田高校や高知の明徳義塾、松山商業、尽誠学園、鳴門工業なんて強豪有名校が多いようにも思います。

遍路として歩いて、地元の人とそんな高校野球の話をしたこともありました。そして高校のある場所を通ると「ああ、あの」なんてことで、少し親近感が沸いたりもしました。

寒川高校は第八十七番札所長尾寺の近くにあります。長尾寺から2キロ、もう少し近いのでしょうか、それぐらいの距離です。2キロは歩き遍路にとっては「少し」の距離ではなく、遍路道から離れた名所旧跡、温泉食堂などなど、「ああこのへんなんだ」なんて感じでしか接することは出来ませんでしたし、側を通ったとしても寄らなかったりしたこともありました。道後温泉なんてのもそうで、写真も写さなかったのは、今思うととても残念なことのように感じています。

「また今度」なんてことを考えていました。

42日目、八十八番大窪寺を目の前にして、急いでしまう人も多いのだろうと思います。ボクも前日泊まったの高松市内から八十四番屋島寺、八栗寺、志度寺と、風景を楽しむというよりも、前へ前へと札所だけを見て歩いていました。

それでも志度郵便局でお金を下ろし、県道3号線を長尾寺に歩いたこと。途中麺喰志度店で親子丼セットを食べたことや、「オレンジタウン?」なんて思ったこと、長尾寺の納経所で並んだこと、甘納豆おはぎを食べたこと、なんかは記憶の一部というか、皮膚の一部というか、断層の中に残った化石のような感じで、細胞の中に残っているように思います。ゆっくりと形を変えているのですけれど…。

こうしてもう遍路とは程遠い生活をしていたとしても、いろいろなことがスイッチとなって蘇る、それほど強烈なものだったのだろうと思っています。遍路をしている最中よりも、きっとその後に強く遍路の日々を感じられるかもしれないですね。ま、人生即遍路、なのですけれど。

長尾寺の甘納豆入おはぎ

長尾寺の甘納豆入おはぎ