踏みしめられた哀しみの夜とか(14日目の4)

In : 14日目, 修行の道場, Posted by 田原笠山 on 2008/11/01

「ボクもバイクで回ったことがあるんですよ」
と、その商店の若い経営者氏は言った。
「そうなんですか」
「はい、高知に住んでいるのですが、やはり遍路はやってみないと分からないですしね。随分いろいろな人に接待していただきました」と、バイクで回った遍路のことを話してくれた。そして「こんな札所も霊場もない場所にお遍路さんがいたもので、見たときに驚いたのですよ」と。確かに遍路道を外れてしまうと、そういう姿は非日常的になり異様なものにも写るのかもしれない。例え四国であったとしても。

ユリさんの実家に着いたのは17時少し前。経営者氏は「それじゃあ、お気を付けて」と、Uターンして今来た方向へ運転していった。ボクはその家の表札を確かめた。そしてドアベルを押した。返事は帰ってこなかった。留守のようだった。

それから、香典の用意をした。袋を買ったままだった。そうしていると、男の人が玄関に近づき、ポケットから取り出した鍵をドアに差し込んだ。そういえばどこかユリさんに似ている人だった。

「○○さんでしょうか」
「はい、そうです」
「わたし、田原と申します。先日はお手紙わざわざありがとうございました」
「ああ、あなたですか」

それから、なぜボクが遍路姿でそこに立っているのか、徳島でユリさんの死を知った、ということを手短に話した。そして、突然にお邪魔することになった非礼をわびた。

通された部屋にユリさんの位牌はあった。線香を供え、合掌した。香典も供えた。一気に何か気持ちが抜けてゆくように感じた。ちょうどジェットコースターで落ちる時のように、体液がふっと浮き上がる感じがした。

同時に涙が流れた。押し込められていた疲れも、その位置で解放されるように感じていた。言葉が見つからなかった。何を話していいのかも、分からなかった。そういう準備もしていなかった。ただ歩いていた。そして、そこがボクの目的地でもあった。

ユリさんのお兄さんも寡黙な人だった。それでも、亡くなるまでの数ヶ月のことを話してくれた。ある日突然死を宣告されること、それがどういうことかは、ボクたちには分からなかった。「哀しみ」や「苦しみ」なんて陳腐でチープな語彙を使うことは、そのまま死者を冒涜するようにも感じた。誰も分かりはしない。それが死というものの位置なのだ。

何を話したのだろうか。そして何を話さなかったのだろうか。その30分ほどの時間は、長くもあり短くもあった。ボクはそれ以上居ることが出来なかった。外に出て、誰憚られることなく感情をそのまま吐露したかった。叫びたかったし泣きたかった。それが供養だとも感じていた。

ボクは「じゃあ、ユリさん、またね」と言った。「それでは、おじゃましました」と言って、立ち上がった。そして玄関を出た。あと10分ほどの夕闇だった。ボクは歩いた。その夜のねぐらは決まっていなかった。どうでも言いことのようにも思っていた。

ボクは高知駅に向かって歩いていた。靴底まで夜だった。

高知市内

高知市内

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