善根宿(6日目の2)

In : 6日目, 発心の地, Posted by 田原笠山 on 2008/10/24

善根宿、「ぜんこんやど」「ぜごんやど」と言われる遍路に対しての宿泊所接待。無料、あるいは300円や500円という無料同然の宿。

善根宿

善根とは,本来,仏教語である。サンスクリットではクシャラームーラにあたる。「善根を施す」といった表現は,なんらかの行為が根となって善を生ずるという意味である。善根宿とは上記のことばの意味を踏まえて,わが国では,民衆が遊行中の修行僧などに一夜の宿を無償で提供することを意味した。

また「無財七施の修行」という、お金がなくても誰でもできる行い中に「房舎施」というのがあって「自分の家を一夜の宿に貸すこと。空部屋が無くて断わられた後続の遍路に相部屋をすすめる」(「四国遍路ひとりあるき同行二人 解説編」より引用)ということから、宿を貸すということも修行のひとつとされてきたのだろう。

現在では一夜の宿に自分たちの住居を施すということ(民泊)は稀になり、善根宿として作られた施設のことを意味しているよう思う。家の離れを善根宿として接待しても、隣の部屋に見ず知らずの人を宿泊させるということは、四国を歩いて巡礼するよりも難しいことのように、ボクは思った。

四国を歩いていると、その存在を知らなかったとしても、どこかでそういった宿に巡り合うのだろうし、ボクも実は知らなくて、6日目に初めて教えてもらった。

ネットで調べれば、その数の多いことに、こうして帰ってから気が付いた。のだけれど、あまりそういった情報を仕入れて遍路に出たわけではなかったし、そうすることが遍路ということを楽にしてしまいそうにも感じたので、情報収集はあえて避けたのだけれど。ガイドブックはへんろみち保存協会が出している地図と解説だけだった。

その地図には善根宿は記されていなかった。それはきっと「初めからそういうものに頼っては、あるいはすがっては、何のための遍路か」ということなのだろうと思う。ボクはへんろみち保存協会の良心だと思うし、全て教えることが親切な行いでもないように考えている。不便であればあるほど四国遍路はその意味を深遠なものにするのだろうと思っている。

その善根宿の存在と、「四国霊場八十八ケ所歩き遍路さんの無料宿泊所一覧表」という70ケ所ほどの場所が掲載されているリストがあることを、教えていただいたおじさんとの出会いは、その日にたどり着いた勝浦町のヘンロ小屋でだった。

ボクはもうそのヘンロ小屋に泊まることを14時には決めていた。そしてその敷地内にある公衆トイレでTシャツと靴下を洗濯していた。何もすることなく、通り過ぎる車の流れを見ていた。快晴。その時間にヘンロ小屋にいること、そのことへの罪悪感みたいなものもあった。学校をさぼった日の午後の想い出、そのときの感覚が蘇っていた。

「遍路とは歩くことなり」そのことを考えていた。「でも、ま、明日からへんろ転がしだし、転がされないようにするのも遍路なり」なんてことも考えていた。「歩いて遍路寝て遍路・・・」・・・・・・「うしろすがたのぐれてゆくか」なんて日記に書いて笑っていた。

柳水庵の地蔵

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